第六十五話:二十八糎砲
『独立重砲兵連隊』と呼ばれる部隊が、第9師団の出征に合わせて内地から大連港に運ばれた。
その名前の通り師団や野砲兵旅団に属さない連番の無い独立連隊で、日露開戦前に旅順要塞攻略のために編成された。
この部隊が使用する二十八糎砲は、陸軍の東京湾要塞と芸予要塞に配置された沿岸砲を転用したもので、口径280㎜クラスの野戦砲は陸軍で最大級だ。
通常の野砲兵連隊や野戦重砲兵連隊は二個大隊で36門の砲を運用するが、独立重砲兵連隊の装備する砲は18門と半分である。これは、二十八糎砲の重量が26tにも及ぶ巨砲であることが原因であった。
戦場への野砲の運搬は鉄道か馬匹牽引、あるいは人力牽引となる。
船から下ろされた砲は、大連の駅から機関車によって柳樹房に運ばれた。そこからは特製の台車に分解した部品を乗せ、人馬牽引によって各砲座陣地まで運ぶ。
夏の時期、昼夜を問わない運搬作業に従事する下士官兵卒は、暑さに堪らず上裸になりながら、ひたすら重砲を引っ張るのだった。
そして、目的地に着いたならば砲の設置工事を始める。組立式のクレーンに砲身を吊し砲架に着ける。砲床にコンクリートと木材を用いて固定させる。砲の使用はコンクリートが固まるまで待たねばならない。
本来ならば、砲床工事にはコンクリートのみを使用して三週間待たねばならなかったが、製造企業及び部隊の努力と工夫によって十日以内に押さえられたのだ。
18門中7門の砲が旅順西部の第1師団方面の各所に設置される予定だ。問題なのが、第3軍司令部のある柳樹房から鉄道は終わり平均10㎞に及ぶ距離を人馬牽引で運ぶ。高低差のある坂道や泥道にも悩まされた。そして、残りは要塞正面に配置される。
これが、満州軍司令部一行が第3軍司令部訪問時の状態だった。
「攻撃の時期は何時になります?」
「今月26日と計画しております」
と、大山の問いに伊地知が答える。
二百三高地を奪取した後、軍主力をまとめて速やかに満州平野へ北上するのが第3軍の計画である。しかし、「遼陽決戦には間に合うか?」と、児玉源太郎は懸念していた。彼の頭の中では、ロシア軍との一大決戦を8月の下旬と見積もっていた。
現在、第1軍と第2軍、新たに編成された第4軍は遼陽を目指して着々と北上している。
旅順での戦闘の後、部隊を再編させ、整えた兵力の移動と物資の補充を一ヶ月以内に済ませるのは容易ではない。第3軍を頭数に加えたとしても戦力差はロシア軍が日本軍よりも優勢でいた。
ロシア各地から大軍が到着するまでに満州の支配権を握ることが陸軍の目標であり、戦争勃発からロシア軍の迎撃体制は徐々に構築されている。
前線の司令官や参謀達は、余裕の無い戦争を強いられていた。
―奴も苦労している様だが、何とかしてもらわねばならん―
と、心中で語る児玉源太郎の横には西南戦争以来、久々に見る苦心を浮かべる十三朗があった。