第五十九話:満州軍
6月20日、帝国陸軍の野戦軍を統括する満州軍の編成が完結した。海軍で言うところの連合艦隊に匹敵する部隊だ。
総司令官に大山巌元帥陸軍大将、総参謀長に児玉源太郎大将が就いた。両者ともに陸軍の要となる人物だった。
日露開戦から今日までの指揮系統は、東京の大本営(参謀本部)→大陸に派遣された野戦軍(第1軍・第2軍・第3軍)→軍隷下の各師団と下がってくる。
ここで問題となるのが、内地と戦地での状況認識の相違である。大本営は外から齎される間接的な情報をたよりに戦争の推移を把握をする。その情報源は様々で、前線の日本軍の他に同盟国のイギリス、中国やロシアのスパイからの情報が集められてくる。これらを基に次なる作戦と行動を前線に促す。
だが、現地野戦軍の実情に見合わない命令に軍司令官は苦慮した。砲弾・物資の消費し将兵の士気は伸び悩むばかりだ。第1軍司令官の黒木大将は、鴨緑江会戦の直前に大本営から作戦行動の延期を促されたが、これを無視して予定通りに作戦を実行した。第2軍司令官奥大将は、金州の攻略で疲弊した戦力を整える間もなく南下するロシア軍の迎撃を大本営から命じられ、得利寺で交戦している。
満州軍の設置と大山巌を総司令官に添えたことで、大本営から下される命令と圧力に柔軟に対応できる。明治維新来から日清戦争までの戦役で培った指揮官としての人格が買われた。
総参謀長の児玉源太郎も明治維新以来の軍歴を持ち、軍人として台湾総督を兼任しながら政治家として陸軍大臣に内務大臣、文部大臣の経歴を持っている。
満州軍司令部が機能し始めて最初に取り組んだのは連合艦隊司令部との会談であった。
7月12日、遼東半島の裏長山列島沖に停泊する戦艦『三笠』の艦内で東郷平八郎以下連合艦隊幕僚と陸海における両軍の相互連携について話がされた。
陸軍は、夏季中にも来るべき遼陽でのロシア軍との決戦に備え、海軍は旅順口内に潜む旅順艦隊に悩まされている。
連合艦隊は、開戦から旅順口閉塞作戦を開始して二隻の戦艦の撃沈成果を上げてから著しい不祥事が立て続けに起きていた。
4月13日に旅順艦隊司令官ステパン・マカロフ中将が乗艦する戦艦『ペトロパヴロフスク』が日本軍の機雷に触雷して撃沈し艦と運命を共に戦死してから一か月後、旅順口を定期巡回していた戦艦『初瀬』と『八島』がロシア軍の機雷に触雷して撃沈する大損失を被っている。他にも巡洋艦二隻、駆逐艦や砲艦が四隻も旅順口にて沈んでしまった。
また、6月15日には陸軍の兵員を乗せた輸送船団がロシア海軍ウラジオストク艦隊の攻撃を受け、『常陸丸』、『和泉丸』が撃沈し、1,334名の犠牲者を出している。
大山は連合艦隊の現状を批判することなく、海軍の置かれている状況を配慮して彼らが要請する旅順艦隊を地上軍をもって陸上から圧力をかけて海上に追い立てる方針を改めて伝えたのだった。陸海軍共に開戦来から決して油断のできない戦況下にあっても精神的負担は大きい筈だが、総大将たちは平常心が揺れることなく話し合われた。
そして海軍は、現状で最大の不安事項である陸軍の旅順攻撃を「どのようにして攻撃をするか」と、問いてきた。海軍の全神経が旅順に集まっている。最終的には主力艦隊による旅順口内への殴り込み作戦も検討され始めていた。
「第3軍の兒玉十三朗大将が旅順要塞を7月頃に攻撃する予定です」
と、児玉源太郎が応えた。さらに言葉を加え、「奴なら上手くやるでしょう」と言った。