第五十六話:兄の死
乃木希典と妻静子には三男一女の子供がいた。しかし、長女と三男は早くに夭逝し、長男勝典と次男保典が残った。二人は父親同様に軍人の道を志す。
勝典は三度の受験によって13期生、保典は一回で15期生で共に陸軍士官学校に入った。配属部隊も同じ歩兵第1連隊だった。所属大隊や中隊は違えど同じ衛戍地で兄弟が顔を合わせる機会が多々あり、兒玉白朗は勝典とも面識があり好印象を持った人物だった。
日露戦争が始まり、第1連隊の出征が決まってからは、それぞれが小隊長の職務に追われ会うことが出来なくなった。次に会ったのが金州攻略の前日で、保典が部隊の前進を調整のため兄の所属大隊に行った時に偶然出わす。
互いに元気な姿を確認し、少ない数の声を掛け合っただけで直ぐに別れた。
「また、直ぐ会えるだろう」
と、兄弟は軽い気持ちで考えていたからだ。
そして、金州・南山の戦いが始まった。26日までの戦闘で日本軍は二千五百名の死傷者を出しながらも、ロシア軍の守る南山を攻略する。
戦略目的を達成した後も掃討戦を続行して敗走する敵軍の追撃が、26日以降も行われた。この作戦の最中に勝典は不幸に見舞われた。
至近距離から撃たれた銃弾が腹部を抉り身体を貫いた。これが致命傷となった。背部の射出口は射入口の10倍以上の穴を開けた。
すぐさま野戦病院に搬送されるが、もはや手の施し様がなかった。銃創部からの大量出血は収まることなく、知らせを受けて保典が駆けつけてきたときには、既に没した後である。24歳の若さだった。
遺体は、第2軍が設けた金州郊外の仮設墓所に埋葬された。戦いで戦死した両軍全ての将兵が分け隔てなく土に埋められ、その盛られた所に墨字で氏名階級が書かれた真新しい木製の墓標が立てられている。
陸軍少尉乃木勝典と書かれた墓に、保典は機会があるごとに訪れた。何をするわけでもなく、墓標に手を合わせ、亡くなった戦没者の冥福を祈る。兄だけでなく、小隊に所属した多くの部下も命を落とした。
「親父も、こんな心中だったのか」
南山の戦いの後、保典は白朗に言った。父の乃木希典は15の歳で寄兵隊に入り幕府軍との戦いでの初陣以来、西南の役や日清戦役にも出征した。日頃から口数は少なく昔の話を語る事もなく、立派な軍人だと思っていた。その軍歴の影には、多くの人の死に様を目の当たりにしている。
軍人とは、硝子細工のようなものだ。その美しく立派な志は、一度の有事によって脆く崩れて壊れてしまう。そこから如何に再び這い上がるかは、その人間の心次第だ。




