第五十五話:中隊長心得
金州・南山の戦いから幾日が経った。ロシア軍は旅順要塞にて徹底抗戦の構えを取ったため、大連を第1師団は無血占領できた。
その後、占領地の治安維持のため第2軍の編成から解かれ、入れ替わりで広島の第5師団が戦闘序列が加えられる。
港湾都市である大連を確保できた事から、日本からの徴用船の往来が始まり、補充兵や物資が続々と本土から運ばれてきた。
これによって、各師団は消耗した戦力の回復が捗るが、それでも軍の北進開始までには間に合わず、砲弾の保有量の不安を抱えながらの進軍が6月から始まった。
さて、先の戦闘を遂行した第1師団も次なる作戦が行われようとしていた。旅順への進撃である。
兒玉白朗少尉は、南山の戦いで戦死した中隊長の代行として中隊の指揮を取っていた。正式な昇任でなく、中隊長心得という立場だ。
若干23歳の少尉にとって中隊長の役職は重たいものだった。補充兵の掌握に中隊の再編成、大隊との調整など仕事は沢山ある。
本来ならば、次級者は中隊本部を取りまとめる中尉辺りなのだが、その中隊将校の殆どが死傷する大損害を被ったのだ。大隊ないしは他中隊からの将校の派遣も考えられたが、結局この形に収まった。
「藤野はいないか」
と、白朗は兵下士官の宿営天幕に顔を覗かせた。休憩中の一等卒や二等卒が何人かはいたが、藤野は見当たらなかった。何処に行ったかを尋ねると、らっぱの手入れに行ったらしい。
宿営地の近くには水汲み場として井戸があった。らっぱ内部の溜まった汚れを落とすために、朝顔管と呼ばれるベルの中から水を入れて吹口から外に出し、中に残った水分を吹口から空気を送って水滴を外に出す。その際、らっぱ手は上半身を上下に回してらっぱの水分を外に出すのだが、身振りが滑稽である。
藤野がいた。声を掛けると咄嗟に敬礼をする。白朗は答礼を返して本題に入った。
「6月10日に第3軍司令官が戦線視察で、ここに来る。その時に送迎らっぱを吹いてくれ」
大隊に数名のらっぱ手が在籍していたが、先の戦闘で殆どか死傷した。大隊本部から、らっぱ手差し出しの指示が届き、中隊で生き残った藤野に白羽の矢を立てた。
陸軍大将の前で一等卒がらっぱを吹くのは大変な大仕事だ。当然、藤野は別の連隊在籍のらっぱ手の名前を出してみだが、その殆どが死傷していた事を知った。
「分かりました」
暫く考えてみてから、ようやく承諾した。なんだかんだで、やる気はあったようだ。
陸軍では、金州・南山の戦いの教訓から、突撃らっぱは敵に攻撃意図が察知されてしまうため、以後の戦闘では用いれないとする通達が全部隊に発せられていた。
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