第五十三話:曲家店の戦い
秋山支隊の前衛とロシア軍が、田家屯と呼ばれる人気の消えた集落で会敵したのは30日午後1時のときだった。
双方とも100騎程の中隊規模の騎兵であったが、どちらもが下馬して遮蔽物に身を隠して銃撃し合った。砲兵の火力支援が無い常態で、突撃はできず膠着した戦闘となった。
支隊の主力と司令部は数キロ後方の曲家店にあり、生々しい銃声が響いてくる。
「鳴ったな」
と、秋山は部下たちの戦闘を他人事のようなに副官の中屋大尉に言う。手には蓋の開いたブランデー入りの水筒を持っており、すでに中身は半分に減っていた。
伝令の騎兵が駆けつけて来るのに時間は掛からなかった。司令部に敵の規模と戦闘の詳細が伝えられた。
「増援を出しましょう」
中屋は言った。戦闘に勝つには数による力攻めが最も有効な手段である。敵の出鼻を挫き、勢いに乗って敵を撃退するのは古今東西からの最良策だ。勿論、秋山も同じことを考えていたが、司令部も前進する。と言い出した。
ブランデーを飲み干し、水筒を捨てて馬に跨る少将を周りの人間は止めに入った。万が一、指揮官が敵の流れ弾に当たって倒れれば一大事である。しかし、部下の心配をよそに当の本人は強情だった。
「命令を出す大将が戦場を知らんで何ができるか」
と、前進する部隊に追従するように馬を走らせた。
初夏の乾燥した地表は、騎兵集団の途切れない行軍によって大きな土煙を巻き上げる。先頭を行くのが騎兵第14連隊と旅団機関砲中隊だ。機関砲の牽引は勿論、移動する兵員も軍馬を用いている。そのため、歩兵大隊直轄の機関砲中隊に比べて機動力は高い。
秋山の支隊司令部が中核の騎兵第13連隊と前線へ同行する最中、前方から機関砲の連射音が轟いた。保式機関砲の砲音である。それも一門だけではなく、同じ射撃音が多数鳴り始めた。
すると、秋山は馬上から隣を並んで馬を走らせる中屋に声をかけた。朝から、ブランデーを飲み続けたとは思えない顔色で、上手に馬を操る。しかし、その口調は、どこか酒の入った喋り方であった。
「この音が続く限り、負けんぞ」
機関砲の射撃音に負けない大声は上機嫌だった。案の定、田家屯のロシア軍は日本軍の火力に圧倒され後退を始めた。後ろに繋げた軍馬の縄を外し、倒れた味方の死傷者も乗せ撤退する部隊と殿の部隊が上手に動き出した。
会敵から30分しか経過していない。対して日本軍の前衛は追撃に移った。日本騎兵は三十年式騎銃を背中に背負い、各々の愛馬に跨がり敵軍を追う。