第五十二話:秋山支隊
千葉県習志野に所在する騎兵第1旅団は、本来の所属である近衛師団から離れ、第2軍の戦闘序列に入り満州に出征していた。
秋山好古少将を旅団長として、騎兵第13連隊と騎兵第14連隊の二個連隊を持って編成された日本騎兵最大の部隊の一つだ。
塩大澳に上陸した後、金州の攻略を目指す軍主力とは別行動をとり、旅順から遼陽の交通路である得利寺に向け進む。
騎兵旅団と称しても部隊の核となるのが六個の騎兵中隊で、連隊の戦力も実質は大隊規模でしかない。対して、ロシア騎兵連隊の標準編成は六個騎兵中隊によって構成されている。
この、ロシア騎兵との戦力差を埋めるため、騎兵第1旅団には司令部直轄の旅団機関砲中隊がある。フランスのMle1897重機関銃を日本軍の主力小銃である三十年式歩兵銃が使用する6.5mm口径の三十年式実包と共用できるように改修した保式機関砲を12門運用する部隊で、各歩兵連隊内の歩兵大隊にも同様の部隊が編成されている。
加えて、他部隊の歩兵一個大隊と三十一年式速射砲を四門装備した一個砲兵中隊が臨時に配属された。合計十二個の諸兵科中隊と二千名の将兵を有する大部隊となった。これによって、騎兵の十八番である機動力を発揮できなくなったが、歩兵部隊の兵力と砲兵部隊の火力は騎兵の弱点を補うには十分であった。
諸兵科連合部隊となった騎兵第1旅団は、旅団長の名を取り『秋山支隊』と呼ばれる事となる。とは言え、単身敵地内を先駆けて進軍する日本軍の集団がロシア軍の情報網に掛からない筈がなかった。
5月30日、第2軍撃退を帯びたゲオルギー・スタケリベルク中将を司令官としたシベリア第1軍団所属の騎兵集団が軍団を先行して得利寺を越え、日本軍に対する偵察任務についていた。その規模は騎兵十二個中隊と歩兵二個大隊、砲四門を装備する諸兵科連合部隊だ。
戦場となる周辺の地形は、遼陽まで連なる千山山脈の山々に囲まれた隘路で、その少ない平地裂くように復州河と呼ばれる河川が通る。地形的に部隊の大掛かりな展開は困難である。無論、騎兵も同様だ。戦術的にも正攻法しかない。そうなれば、戦闘の勝敗を左右するのは指揮官の采配となる。
秋山支隊の戦力はロシア軍に劣るものの、絶望的な程の差ではなかった。
秋山支隊(騎兵第1旅団)
騎兵第13連隊(騎兵三個中隊)
騎兵第14連隊(同上)
旅団機関砲中隊(保式機関砲×12門)
歩兵大隊(歩兵三個中隊、機関砲中隊)
砲兵中隊(三十一年式速射砲×4門)