第五十一話:南山攻略
陸軍が盛り返しを見せてきた頃、西の黄海に面する金州湾に海軍からの増援が到着した。特務艦『赤城』、砲艦『鳥海』、『築紫』、『平遠』、水雷艇二隻である。
第2軍司令部は、金州への侵攻を前に海軍との協議を行っていた。陸軍独力による金州攻略が困難を極めた場合には海軍が海上から陸上への艦砲射撃を要求した。
午後5時、海上からの攻撃が開始された。火力は陸軍砲兵の主力砲である三十一年式速射砲の75mm口径を遥かに凌ぐ150mm口径や260mm口径の砲弾を撃ち込んだ。強力な砲弾によりロシア兵を陣地もろとも跡形もなく吹き飛す。
ロシア軍の築いた南山の防御網は、日本軍の侵攻を想定して北に向けて防備を固めていたが、海上からの攻撃対策は無かった。
陸海軍は情報共有により、ロシア軍陣地の座標へ正確に砲弾を命中させた。攻撃に参加した艦艇に乗艦する若い水兵たちは、日々の旅順口沖での海上待機に不満を溜めていたが、噴煙を上げて爆発が起こり続ける南山を見て士気が高まった。
海上からの攻撃は一時間で終了した。陸軍の砲撃も同時に止まった。それから間もなく歩兵部隊の突撃が再開される。日本軍の進撃は容易だった。分厚い鉄条網や地雷原のあった場所には大きな弾痕が無数にあり、部隊はそこを目掛けて進む。敵の主要陣地も命中弾を多く受けたことにより敵兵の気配はない。
砲撃を免れた陣地から攻撃が散発的にあったが、部隊間の通信手段を喪失したロシア軍に日本軍の突撃を防ぐ手立てはなく、瞬く間に制圧された。
山頂の生き残ったロシア軍司令部は、残存部隊をニコライ・トレチャコフ大佐の判断の下で、重火器を放棄して南の旅順に撤退した。その後を入れ替わるように日本兵が山頂に続々と殺到し、旗手は軍旗を高々と振り挙げ、兵隊は両手を上げて万歳を叫んだ。
南山は一日の戦闘で陥落したのだ。日本の侵攻を予想して急造した陣地だが、野砲や機関銃陣地を多数配備し、塹壕や地雷原に鉄条網を何重にも築いた。そして、一万を越える守備兵を配置していた。
僅か一日で突破されてしまう防御体勢ではなかった。確かに、総攻撃を開始した第2軍は二千名に達する死傷者を出し、砲弾も大量に消費させた。
ロシア側の目算では数ヶ月は持ちこたえるだろうと見ていた。しかし、日本軍の砲撃と歩兵部隊の突撃が、ロシア軍の想定を上回る勢いで行われた。損害を辞さず、数を頼りに攻め続け、陸海からの猛烈な砲撃を防ぎきれなかった。
鴨緑江に次いで、金州の戦闘での敗戦はロシア軍を騒然とさせた。内陸部の遼陽から旅順への陸上交通路が遮断されたことにより、旅順要塞司令官アナトーリイ・ステッセリ中将は、日本軍の侵攻に備え籠城戦の準備を進めた。
遼陽のロシア満州軍司令部では、第2軍撃退のためシベリア第1軍の派遣を決定する。