第四話:西南戦争(一)
兒玉十三朗は兒玉源太郎、乃木希典と初対面早々に親しい仲となった。
「全く、どいつもこいつも目先の事ばかりしか見えんでいかんわ。」
兒玉十三朗は酒を舐めながら前に座って一緒に酒を飲んでいる兒玉源太郎と乃木希典に言った。
「おっ、有名な兒玉十三朗の『酒の勉強会』が始まったな。」
と、兒玉源太郎が言う。
陸軍では兒玉十三朗が酒を飲んでいる内に国際情勢、国防政策等いろいろと話し始めるの事で有名で、いつしか『酒の勉強会』と言われるようになった。また、『酒の勉強会』で語る内容が全て筋の通って奥が深い内容でもあり、兒玉十三朗の名を高めた一因ともなっていた。
兒玉十三朗はロシアについて話した。彼が昔、山県有朋に同行して欧州諸国に行った際、近代軍事を学び、ついでに欧州の歴史についても目を通していた。中でも、欧州諸国で唯一日本海を挟んだ日本の隣国であり、世界最大の国土と陸軍を持つロシア帝国について調べた。
「ロシアという国は信頼が出来ん。今に清国、朝鮮そして日本を自国の勢力下にして来るに違いない。」
十三朗は言う。彼は自分の机から世界地図を取りだし、テーブルに置いてある酒肴を隅に移し、真ん中に地図を拡げた。
「ロシアはクソ寒い国だ。余りにも寒いんで港も凍って冬は使い物にならん始末になる。そこで、冬になっても港が凍らない清国、朝鮮、そして日本が必要になる。しかも、日本の地理は大陸側から見て太平洋への入り口に辺たる。欲張って太平洋へ進出するなら、ロシアにして見れば口から手が出る程欲しいはずだ」
「つまり、いずれはロシアの勢力が日本に及ぶ今、日本人同士が争っている場合出はない。と言うことか」
兒玉源太郎が言った。兒玉源太郎の天才振りはこういったところにある。
「そういう事だ。西郷さんはその事は百も承知だ。しかし、いくら西郷さんでも川の力で押し流される石のように、血気盛んな薩摩隼人一万の力に動かされた。薩摩士族は強い。こんだ(今度)の戦はへたすると我が軍が負けるかもしれんな。それは乃木も知ってるはずたろう」
「うむ、確かに若い士官は我々と違い実戦を知らん。兵等も志願して入って来た者出はなく、制度によって入って来た若者達だ」
三人の中で乃木は余り喋らず、あえて十三朗は乃木を喋らせた。
「陸軍上層部に言っても余り取り合ってくれんが、こんだの戦で上層部の連中も分かるだろう」
兒玉十三朗は立ち上がり窓の方へ行き外を覗いた。外では兵達が銃剣術の鍛錬に励んでいる姿が見える。
*****
明治十年二月十五日
この日、九州南端の鹿児島は六十年振りに大雪となった。西郷率いる薩摩士族が熊本城に向けて進軍ていた。
一方で政府軍側の熊本鎮台司令部のある熊本城では天守にまで及ぶ原因不明の大火災が起きた。辺りから馬鹿大声を上げて兵士達は消火活動を努め走り回る。将校達も被害状況の確認や現場指揮等と混乱状態であった。そんな中、兒玉十三朗は何食わぬ顔をして司令室に一番遅く現れた。
「十三朗、お主は何やとった」
兒玉源太郎の声に合わせ司令室にいた谷熊本鎮台司令官以下幕僚達も兒玉十三朗に視線を向けた。
「火事たって、弾薬庫に火ぃが移らなけりゃ対したこたぁない。それよっかぁ、他の基地に連絡して警戒させるよぉ頼まんといかん」
と、十三朗は谷に向かって進言した。
「この火事は敵の揺動とみるべきです。味方が火事に気ぃとられとる隙に攻められる恐れがあるでしょう。我が13連隊は三大隊に分け、一つは消火に、一つは警備、偵察に、最後は待機させとります。閣下は各基地に連絡して警戒と出動待機の命令を」
「わかった」
兒玉十三朗の進言を谷は素直に聞きいれた。しかし、熊本城の火災て薩摩軍の攻撃は無く、兒玉十三朗が設置した防御陣地にも被害は無かった。
翌二十日、兒玉十三朗の放った偵察隊と熊本に到着した先発の薩摩軍が川尻にて戦闘が起きた。先に攻撃(発砲)を仕掛けたのは偵察隊であり、薩摩軍の士族は政府軍の徴兵された兵を「土百姓の鳥合の衆」と呼び、その「土百姓」から先手を受けたものだから、薩摩軍の反撃は凄まじいものであった。
薩摩軍の本隊が続々と到着し、二十一日には全軍が熊本城を包囲した。政府軍は四千の兵力しかなく、熊本城に立てこもり防衛戦に転じるも兒玉十三朗少佐以下各々の指揮官達は兵達を統率して奮戦した。政府軍にはガトリング砲を各歩兵中隊事に配備されており、さらに13連隊には第6砲隊から臨時編入した一個少隊も有り火力では決して薩摩軍には劣らず、兵力の差を火力で補なった。
乃木希典少佐指揮の歩兵第14連隊は、襲撃を受け孤立状態の熊本城へ援軍のため、同二十一日に小倉を出発した。この情報を薩摩軍に察知し、二十二日の午後、14連隊が熊本城に程近い熊本北部の植木に達した時、薩摩軍の木村三介・伊東直二率いる四百の部隊と14連隊の第3大隊の間で戦闘となった。
第3大隊にもガトリング砲が配備されており、政府軍側が掃射し有利に戦闘を続けていたが、日が暮れ周りが暗くなった頃、伊東隊の一部が第3大隊に奇襲攻撃を行った。
この時、岩切正九郎と言う男が奇襲を受け混乱する第3大隊の連隊旗手河原林雄太少尉を斬殺し、連隊旗を奪い取られてしまった。
連隊旗は天皇から親授された物である天皇の分身として神聖に扱われており、その連隊旗を奪い取られてしまった事実を知った乃木は深く落胆した。