第四十二話:仁川沖海戦
久々の更新となりました。
2月8日の日本海軍による旅順口のロシア艦隊への夜襲攻撃があった事実が世界各国に伝わるには当時の通信技術では時間を費やした。
旅順口の攻撃から始まった日本軍の軍事行動は止まることはなかった。
時間軸を旅順口奇襲開始の少し前に戻す。場所は朝鮮半島の仁川港。明治9(1876)年の日朝修好条規により開港された国際港で、列強海軍の多国籍の軍艦が多数停泊している。ここに、ロシア海軍の防護巡洋艦『ヴァリャーグ(6500t)』と航洋砲艦『コレーツ(1213t)』が停泊していた。
日本海軍の対ロシア海軍戦略は極東方面のロシア艦隊の無力化にあった。そのための方法として、各個撃破の作戦が用いられた。
第1艦隊が主力のある旅順方面のロシア艦隊を、第2艦隊はウラジオストクと仁川のロシア艦隊の撃破を受け持つ。
2月6日、連合艦隊の主力が佐世保から出動していった日、仁川のロシア艦隊撃破のための日本艦隊も出撃していた。
戦力の主力となるのは第2艦隊隷下の海軍少将瓜生外吉が指揮する第4戦隊の艦艇である。
防護巡洋艦『浪速』
防護巡洋艦『高千穂』
防護巡洋艦『明石』
防護巡洋艦『新高』
装甲巡洋艦『浅間』
『浅間』は、第2艦隊の新鋭装甲巡洋艦部隊から成る第2戦隊に所属していたが、今回の仁川方面のロシア艦隊撃破のために一時的に第4戦隊に配属された。
その他、第9水雷艇隊および第14水雷艇隊も戦闘序列に組み込まれており、この時点で第4戦隊の戦力は物量でロシア艦隊を上回っている。また、陸軍の先鋒として小倉の第12師団所属の2,200名一個旅団を載せた輸送船『大連丸』、『小樽丸』、『平壌丸』の三隻も加わっていた。
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仁川港には日本海軍の防護巡洋艦『千代田』が停泊していた。旧式の艦艇部隊からなる第3艦隊第6戦隊に所属する艦で、仁川に停泊するロシア軍艦や朝鮮半島の情勢監視のためである。艦長の村上格一中佐自身も艦を降りては日露開戦が噂される朝鮮の日本人居留民の避難の援護に助力する人物である。
2月6日、日本政府のロシアとの国交断絶を通告して程なく仁川港の『千代田』に佐世保を出た第4戦隊との合流を命ずる通信が届き、7日の夜間に乗じてロシア軍艦に悟られることなく密かに出航した。
一方、第4戦隊も仁川を目指して海上を進んでいた。途中、『高千穂』の艦首が鯨と接触する珍事態が起きたが、戦列から外れることなく2月8日には戦隊に『千代田』が合流して目的地に向かう。
さて、仁川に留まるロシア艦隊は夜間の間に消えた『千代田』の事で騒然となっていた。これがどう言う意味を現すのか。今日の日露情勢を鑑みて楽観的な考えを持つ将校はいなかった。
『ヴァリヤーグ』艦長のフセヴォロド・ルードネフ大佐は僚艦の『コレーツ』を出航させるように命じた。日本海軍の動向を探り発見次第に各地の友軍に情報を送るためだったが、時すでに遅かった。
8日の午後に『コレーツ』が仁川港を出航して港外に出た時、日本海軍の第4戦隊と出くわした。ロシア軍艦へ最初に襲い掛かったのは日本海軍の水雷艇部隊だ。小型艇の武器である速力を活かし至近距離まで接近しようとする。
一方の『コレーツ』も接近する水雷艇に砲撃を加えて進行を阻みつつ、艦の舵を再び仁川港に回す。
水雷艇部隊の近くに砲弾が着水して水柱を上げる。船体が小柄なだけに、敵艦からの砲撃は航行に支障を来す程であった。
結局、水雷艇部隊は有効範囲からの魚雷攻撃は失敗に終わり『コレーツ』を仁川港に逃がしてしまった。
しかし、第4戦隊の追撃は止まらなかった。仁川港は朝鮮の管轄下にある国際港であった。そのため、欧州列強の艦船も多く停泊していた。先程の一戦でいよいよ日露開戦が始まったと列強各国に公に知らしめる結果となっていた。そこで、瓜生外吉少将は大胆な作戦を開始する。
第4戦隊に随伴してきた三隻の輸送船を仁川港に入港させ、陸軍部隊を揚陸させた。日本軍の上陸は順調に進み、翌9日には軍使を『ヴァリヤーグ』に派遣して乗艦するフセヴォロド・ルードネフ大佐に挑戦状を送りつけた。
『本日12時までに仁川港より退去せよ、さもなくば午後4時より日本艦隊は仁川港に入りロシア艦隊に攻撃を開始する』
当然、日本艦隊が港内に入りロシア艦隊と交戦すれば列強各国の艦船にも被害が及ぶ。そうなれば、日本はロシア以外の列強とも無用な外交問題を抱え込まなければならなくなる。もし、この挑戦状の内容を内地にいる融通の利かない政治家が知れば第4戦隊の行動に酷い制限が科せられるだろう。
しかし、ロシアとて日本との戦争で外国を巻き込んで外交問題に発展する可能性がある。
ましてや、ロシア艦隊が停泊する仁川港に後から寄港した輸送船から日本兵が上陸するのを指をくわえて見ている事しか出来なかったのである。戦力的であれ状況的あれ、列強各国は仁川でのロシア艦隊を様々な捉え方で報じるだろう。
何故、仁川のロシア艦隊は何もせず日本軍の行動を見過ごすのかと批判的に見る報道も飛び出すだろう。世の中で人の上に立つ人間には、その世界で生きて行くのに批判的な印象を持つ訳にはいかない。
ロシア艦隊の指揮官であるフセヴォロド・ルードネフ大佐の保身の進退は岐路に着いていた。戦力的に日本艦隊と戦い負けるのは分かっている。
時間は刻一刻と過ぎていく。そして、時計の針は9日の午前11時を指していた。
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第4戦隊は仁川港外でロシア艦隊の出航を今か今かと待ち伏せていた。
その先方となるのが装甲巡洋艦『浅間』である。艦隊の戦力の中で一番の高性能艦であり、『ヴァリヤーグ』や『コレーツ』にも勝る。
仁川港への突入に備えて『浅間』は艦隊の先頭にあった。
午後12時を過ぎて程なく、仁川港から出航する二隻のロシア艦隊を発見した。それに反応して第4戦隊はすぐさま戦闘態勢に移行して攻撃を開始する。
二隻対六隻の対決である。『浅間』は7,000mの距離から砲撃を始め、それに続く『千代田』も砲撃する。日本艦隊の集中放火に曝されたロシア艦隊の二隻は瞬く間に被弾に次ぐ被弾に合い火災と大きな黒煙を上げる。そして、戦意を完全に打ち砕かれ再び仁川港へと引き返す。後に、『ヴァリヤーグ』と『コレーツ』は仁川港から出ることはなかった。
圧倒的戦力差、甚大な被害により戦闘継続困難であり、その後の日本軍への拿捕を見越したフセヴォロド・ルードネフ大佐は『ヴァリヤーグ』の艦内に海水を入れて自沈し、『コレーツ』も艦内の火薬庫を爆破させ自爆した。
朝鮮と対馬海峡のロシア海軍の脅威を払った日本軍は、その後14日までに第12師団の全力を仁川に上陸させた。