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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
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第三十八話:決断

陸軍対露作戦計画


一、戦闘序列


第1軍人事

司令官 黒木為楨大将

参謀長 藤井茂太少将


編成

近衛師団

第2師団

第12師団

工兵第1旅団


命令

陸軍の第一陣となって朝鮮半島に上陸し、速やかに同半島のロシア軍を撃破するとともに鴨緑江を渡河して清国東北部へ北上すべし。



第2軍人事

司令官 奥保鞏大将

参謀長 落合豊三郎少将


第一編成

第1師団

第3師団

第4師団

第5師団

第11師団

騎兵第1旅団

工兵第3旅団

野砲兵第1旅団



第二編成

第3師団

第4師団

第5師団

騎兵第1旅団

工兵第3旅団

野砲兵第1旅団


命令

清国遼東半島に上陸し、金州を攻略し旅順を孤立化させた後、第1師団、第11師団を残して北上し第1軍と合流すべし。



第3軍人事

司令官 兒玉十三朗大将

副司令官 乃木希典中将

参謀長 伊地知幸介少将


第一編成

第1師団

第9師団

第11師団

工兵第2旅団

野砲兵第2旅団


第二編成

第3軍本隊

第8師団

第9師団

第11師団

野砲兵第2旅団


第3軍独立兵団

第1師団

台湾師団

後備第1旅団

後備第4旅団

工兵第2旅団

攻城特種部隊


命令

海軍の旅順艦隊攻略作戦の推移を見極めた後、海軍の要請を受け次第に旅順要塞の攻略または旅順艦隊への陸上砲撃を行い敵艦隊を沈黙させた後、旅順要塞が健在ならば要塞包囲部隊を編成させ、第3軍本隊は内陸部へ北上し第1軍及び第2軍と合流すべし。



第4軍人事

司令官 野津道貫大将

参謀長 上原勇作少将


編成

第6師団

第10師団

後備第10旅団


命令

全部隊の上陸を完了させた後に北上し、第1軍、第2軍、第3軍と合流し遼陽の一大決戦に加わるべし。



第5軍

司令官 田村怡与造大将

参謀長 神尾光臣少将


編成

第7師団

第13師団

第15師団

第16師団

工兵第4旅団


命令

本土にて予備部隊として待機しつつ、戦局に乗じ樺太及び沿海州を攻略し、状況に余裕あるならばハルビンへ進出せよ。



二、作戦


第1段階

開戦から約三ヶ月間

第1軍による朝鮮半島のロシア軍撃破と半島の確保。


第2段階

開始から約三ヶ月間

第2軍の旅順孤立化と北上。第3軍の海軍支援活動。


第3段階

開戦から秋期までに

第1軍、第2軍、第3軍、第4軍をもって遼陽付近でロシア軍本隊との一大決戦を挑み大損失を与え、冬季に備える。その間の軍事行動は防衛以外は偵察活動を重視すべし。


第4段階

春期より

奉天またはハルビンにおいてロシア軍主力との決戦を挑み、これを打ち破る。


第5段階

第1段階から第4段階を見計らい

第5軍をもって敵国領土である樺太及び沿海州の攻略を行い対露和平交渉への圧力をかけるべし。


*****


 対露作戦計画案を兒玉十三朗が参謀総長大山巌大将に提出したのが明治37年の1月下旬で、これが採用されたのが2月に入って幾日も経たないうちであった。


 それからまた数日後の2月4日に、皇居にて御前会議が開かれた。天皇を前に内閣総理大臣、政府各閣僚、元老、陸海軍部の長が出席して国運を左右する重大な決断を議論する会議である。この日に話し合わされたのは対露外交についてだった。


 日本政府は幾度となくロシア政府へ満韓の勢力均衡を交渉によって解決させようとするとロシア政府は事ある事に回答を先送りさせて着々と満州朝鮮へ進出していった。


 開戦か交渉か。この二者択一するにあたり、鍵を握っていたのが海軍大臣であった。


 開戦となれば海軍は二つの任務をこなさねばならない。制海権の確保と大陸への兵員と物質の輸送だ。


 明治36(1903)年6月23日に開かれた御前会議では、この年の4月に行われる筈であったロシア軍の第二次満州撤兵を実施せず、あべこべに更なる満州進出に乗り出した事で日本の安全保障を脅かされたとして対露開戦の是非が議論された。


 この時、海軍大臣の山本権兵衛は艦隊と輸送艦部隊の整備不十分である事から開戦反対を主張した。島国である日本には強大な海軍が必要不可欠である。海軍戦力が乏しければ制海権の維持は難しく陸軍の輸送は常に危い。と言うわけで、対露開戦は見送られ対露交渉を継続する事で閉会した。


 話を戻す。天皇の御前に集まった閣僚、軍人がそれぞれ指定された席に着き、自分が担う役所の現状を順に報告する。戦争遂行に関わるのは軍部の他に終戦交渉を模索する外務省と戦費と財政をやりくりする大蔵省がある。陸海軍ともに日清戦争後、清国から得た多額の賠償金を使い軍備を拡大して行ったが総兵力共にロシア軍の常備兵力を凌ぐには至っていない。外務省もロシアとの外交はもはや交渉の余地無しに至り、大蔵省も財政は火の車であった。戦争となれば戦費は外貨に依存しなければならなかったが、海外の主な投資家は日本の対露戦の行く末を不安視しているのが現状であった。


 それでも、外務省、大蔵省、陸軍は対露開戦を主張した。そして海軍は、海軍大臣の山本権兵衛は言った。


 「佐世保に我が海軍の艦隊が集結しており、出動の準備は整っております」


 海軍の艦隊は、既に戦時編成の連合艦隊を結成しており、徴用された輸送艦も佐世保と広島の宇品港に集結していた。


 そして、会議に参加する内閣閣僚の全ても対露開戦やむなしと主張した。


 最後の閣僚が話し終え席に着くと会場は静まり重い空気が漂う。冷静である者もいれば冷や汗をかく者もいた。その静かの中で誰もが陛下に自らが顔を向け、英断を仰ごうとしなかった。


 「戦争は免れぬのか?」


 と、明治帝は重い口を開き閣僚に尋ねた。これに応えたのは外務大臣小村寿太郎だった。


 「申し上げます。日露外交交渉で我が国は幾度となくロシア側に協定案を提案してきましたが、ロシアは回答に長い時間を掛け、我が国の安全を脅かす回答しかよこしてきませんでした。その間にロシアの軍は、本国より大軍を派遣して満州全土のみならず、朝鮮にもその一部に戦力を配備しました。もはや外交のみでロシアの暴挙を止める術は尽きた判断せねばなりません」


 一礼をして席に着く小村に次いで、元老伊藤博文が明治帝に意見を述べた。尊王攘夷を掲げ明治維新を遂行し、西洋化による富国強兵を進め今の明治日本を作り上げた功労者の伊藤を明治帝は信頼を寄せていた。


 「陛下、私も先年にロシアに赴き満韓の問題解決に尽力してまいりましたが、ロシアに和平協力の誠意はございません。今、ロシアの暴挙に鉄槌を下せるのは我が国を置いて他に無く、ロシアの支配に苦しみ、脅威に晒されるヨーロッパ、アジアの国々が日本の勇気ある行動を起こす事を望んでおります」


 伊藤は日本の国力の限界を肌身に知り尽くしていた。だから、ロシアとの対決は消極的であったが、ここに至り対露開戦反対派の重鎮も明治帝の前で対露開戦を主張した。


 もはや、開戦の是非を左右するのは明治帝のみとなった。第122代目の天皇に即位して以来37年が経ち、その間に数々の動乱や戦役を体験してきた。それだけに大国ロシアとの対外戦争による日本の命運と犠牲とになる同胞を憂いてた。


 しかし、日本を取り巻く世界情勢は無情で弱肉強食の戦国時代である。小国が大国に飲み込まれ支配される。現に、近代化の立ち遅れた朝鮮や日清戦争に敗れた清国は列強各国に飲み込まれつつある。明治帝はその現状を知らない筈はなかった。


 そして明治帝は席を立ち、集まる臣下に告げた。


 「内閣の決議通りにせよ」


 この言葉で全員が席を立ち御前に礼をした。

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