第三十五話:対露作戦計画
緑の山々に囲まれた演習場に絶え間のない銃声が鳴り響き渡る。
歩兵の使用する小銃の一斉射撃のそれとは違い、今響く銃声は常に銃身から弾が発射され続けて人間の鼓膜がおかしくなりかねない発砲音が鳴り続く。
演習場にいる銃声に慣れない新兵達は、この激しい発砲音に多少の驚きを隠せなかった。もし、あの兵器を相手に戦ったら命がいくらあっても足りないだろう。そう言った考えが彼ら新兵達にはあった。
しかし、兒玉十三朗は、この絶え間ない銃声に微動だにせず銃声の鳴る本体を眺めていた。その横には秋山好古と数名の騎兵科将校もいる。
「騎兵第一旅団の兵たちも機関砲の扱いは上出来だな」
「はい。日本騎兵はまだロシア騎兵に勝るだけの実力と数が足りません。足りない分は頭と火力で補うしかありません」
と、旅団長の秋山が応えた。
騎兵第一旅団は、騎兵第十三連隊と騎兵第十四連隊の二個の騎兵連隊からなる独立兵科旅団である。騎兵による部隊単位としては最大の部隊規模であり、更に騎兵第十五連隊と騎兵第十六連隊からなる騎兵第二旅団がある。
陸軍少将に昇進した秋山好古は明治36年4月に騎兵第一旅団長となった。日本騎兵の第一人者である秋山は、日本騎兵とロシア騎兵の実力の差を誰よりも熟知していた。日本騎兵は、西洋の騎兵運用を取り入れて日は浅く、兵馬ともに能力的に発展途上のままである。対して、日本騎兵の宿敵であるロシア騎兵は規模、経験、実力ともに欧州列強でも最高の騎兵と呼ばれる。
作戦にもよるが、日本騎兵とロシア騎兵が直接対峙して勝利する見込みは高くない。しかし、日本騎兵はロシア騎兵に勝たねばならない。
秋山がたどり着いた結論はこうだった。歩兵部隊に配備が進む機関銃の導入と小型火砲の導入である。日本騎兵の劣る能力を火力で補うのだ。
騎兵第一旅団に配備された機関銃は『保式機関砲』と呼ばれ、歩兵部隊に配備されている機関銃と同じものである。フランスのホチキス社が開発したMle1897重機関銃を陸軍の工廠でライセンス生産して開発を始めたのが明治31(1898)年の事である。
明治36年4月の時点で700門を製造し、さらに海外製も輸入しており計1200門の機関銃を陸軍は導入している。
「火砲の方も近い内に配備されます」
「ロシア騎兵の震え上がる顔が目に浮かぶな」
と、訓練の状況を眺めつつ十三朗と秋山が笑いあった。
*****
その日の夕方である。
東京に戻った十三朗の下に一通の連絡が入り、その後の仕事をそっちのけで陸軍軍医学校へ向かった。目的の病室の前に兒玉源太郎と川上操六がいた。
「どうだ?」
駆け寄った十三朗は二人に尋ねた。
「まだ分からん」
と、川上が応える。
「そうか、いや参った。田村までもがぶっ倒れるとはな」
そう言って十三朗は近くに置いてある椅子に腰を下ろして全身の力を抜いた。
事の内容はこうだ。以前、過労で倒れた川上に代わって対露戦略作成を委ねなれた田村怡与造が倒れたのだ。
「田村もおいと同じになったか」
と、対露戦略考案の末に自身も病に蝕まれた川上が声を漏らす。
日本とロシアの国力と軍事力には雲泥の差がある。それでも日本とロシアは近い将来に戦わざる負えない運命にあるのだ。弱い日本が強いロシアに勝つ。言わば丸腰の人間の子供が自分よりも大きなクマと戦い勝たねばならない状況だ。
国家の運命を一人で背負いながら日頃の対露戦略考案は大きな重圧となり、田村の心身を潰してしまったのである。
「で、これからどうする?」
十三朗が二人に尋ねた。陸軍の秀才の一人である田村が倒れたからと言って対露戦略を打ち切りにする訳にはいかない。
陸軍大学校の校長に就く川上の身体は決して良いわけでない。再び対露戦略を任せれば今度こそ命を落としかねない。兒玉源太郎は現在、桂太郎内閣の陸相兼内務相も勤め多忙である。十三朗にも台湾総督の役職にあった。
平均年齢が五十代前半の三人には心身的にこれ以上の仕事は少々荷が重かった。
「わしがやってもいいか?」
言ったのは十三朗であった。
台湾の治安も安定してきていた。二人に比べ台湾総督を兼任しつつ対露作戦計画を作成できると考えた。この日から、田村に代わり対露作戦計画作成を十三朗が請け負う事になった。
*****
夜遅く、東京の自宅に帰ってきた十三朗はそのまま書斎に入って一人になった。
十三朗は受け取った対露作戦計画を請け負うに当たって、それなりの覚悟を持っていた。何故なら日本陸軍が誇る二人の天才の心身を蝕み病院送りにさせたのだ。
今までなら、川上や田村に助言をする程度で良かったが今度は自分自身が携わらなければならない。
そして、預かってきた対露作戦計画は中国東北部とロシア沿海州の地図と文章の書かれた紙が十枚だった。ここに日本陸軍の命運を分ける事となる作戦が田村によって書かれ、更に十三朗が書き加える事となる。
「田村め、この公算は甘すぎる」
と、作戦計画を読み終えた十三朗は声を漏らした。
この対露作戦計画には、ヨーロッパ方面のロシア軍が満州へ増援されない事を前提にされてあった。
確かにロシアはヨーロッパ方面で注視すべき国は幾つもある。しかし、だからと言ってヨーロッパ方面の軍を割かない事はしないだろう。仮に日本でも九州で一朝有事が起きれば東北の部隊も動員される筈だ。
なるほど、彼らは常日頃から無理難題の対露作戦計画を練っている内に考えが麻痺してどうしても日本側に都合のいいようにしてしまったのだろう。
そして次に、旅順に対する戦略に欠点が多々あった。旅順には天然の港湾があり、湾の周囲は数百の丘となっている。その湾には軍港があり、周囲の丘は砲台と防御陣地が構築されてある。かつて、清国軍の軍事要塞として誇っていたが日清戦争では一個旅団の奮戦によって僅か一日で陥落した。士気の低い清国兵は旅順要塞を活かしきれなかった事にあるのだが。そして日清戦争の後、今ではロシアが旅順を租借して軍を置く。
旅順には、日本海軍の戦力に匹敵する艦隊が配備されており、その周囲の丘の防御陣地も改修されている。清国以上の要塞をロシアは構築していると考えるのが妥当だろう。
日露が開戦となれば最初に動くのは海軍で制海権確保のため何らかの行動をとるだ手筈だ。この時、陸軍と海軍はそれぞれの対露戦略を作成されていたが、その全容はそれぞれが知っていないのだ。
とにかく日本海軍はどの道、旅順のロシア要塞にも行かねばならないと十三朗は読んでいた。そして、おそらく海軍は旅順要塞攻略を陸軍に要請してくると考えていた。
しかし、川上、田村が手掛ける対露作戦計画の主は満州平野でのロシア軍との決戦であって結局旅順は後回しの状態であった。
「わしも身体を駄目にしそうだが、やるしかないか」
十三朗は改めて覚悟を決めた。