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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
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第三十四話:無隣庵

 日本にとってイギリスとの同盟は百万の味方を得たものであった。数百年も欧州諸国と争い経験と技術を培ったイギリスの世界への影響力は凄いものだ。世界各地に植民地を持ち国力は高く、外交的評価も高く、情報収集力に長けている。そのため、当時のイギリスは『太陽の沈まない国』とも呼ばれていた。


 そして、日英同盟が最初に効力を発生させたのは、日英同盟が調印された3カ月後の4月8日に清国とロシア両国が調印した満州条約である。ロシアが義和団事変の混乱に乗じて占領した満州を条約締結から18ヶ月以内に6カ月ごと三期に分けてに撤兵するものである。


 日本の後押しを受けた清国政府、イギリスの影響を考慮したロシア政府は満州撤兵に同意したのだ。


 満州条約締結から6カ月たった明治35(1902)年10月8日にロシア軍の第1回満州撤兵が履行された。第1回の撤兵に安堵する者もいれば、そうでない者もいる。


 ロシアと言う国は常に自国の国益のみを最優先とする。この表現では他の列強国は周辺国の利益も考慮するように思えるがそうではない。帝国主義の時代だろうと古今東西、世界の国々、あるいは勢力は己の国益を最優先するものであるが、ロシアの自国優先の行動は当事国にとって外道に等しい。ロシアの国益となるならば堂々と外国との条約を放棄する。そう言った訳で、ロシアと言う帝国を信用する人間は多く無かった。


 だが、人々の疑心暗鬼とは裏腹に、南満州に駐留するロシア軍部隊が順次に満州の遼陽へと移動して行った。ロシアの第一次満州撤兵は何事もなく進行して終わった。


 明治35年は日本の国内で大きな事件はなく、国外においても日本に直接影響を及ぼす事件も起こる事無く過ぎて行った。


 強いて言うならば、7月18日に西郷従道が死去し、59年の人生に幕を閉じた。


 兄の西郷隆盛と共に倒幕に立ちあがり、戊辰戦争を戦い、西南戦争では憎み合う訳でも無いのに主義主張の違いから兄との敵対し死別する。そして、山本権兵衛と共に世界海軍に名を轟かせる日本海軍連合艦隊誕生に携わった。従道は終生、兄の隆盛の終焉の地にして故郷である鹿児島に帰る事は無かった。尊敬する兄に弓を引き生き残る事になった事への謝罪が込められていたのだろう。


*****


 明治36年4月、ロシア軍の第二次満州撤兵の時期が訪れた。しかし、ロシア陸軍の部隊に大規模な移動の情報が来る事は無かった。むしろ、逆が起きた。


 ロシア政府は清国政府に対して満州地方に対する外国への権益譲歩の禁止と中朝国境に当たる鴨緑江付近への進出である。ロシアの魂胆には、最初から満州からの撤兵は無かっただろう。この時のロシア政府の閣僚の多くが先代から続く南下政策を支持した。国政への決定権を持つロシア皇帝ニコライ2世も南下政策支持者に促され、政策を推進させた。


 結局のところ、ロシア人のいる所にロシア人を守るためにロシア軍が来る。ロシア軍の満州撤兵は事実上の水泡に帰した。そして、鴨緑江の先は朝鮮である。朝鮮も清国と同様に帝国主義の時代の中では弱小国家と呼ばれても過言では無く、列国の餌食となるは拭えない。


 そして、ロシアが朝鮮に対して王手を入れた状況であった。満州の次は朝鮮である事が濃厚となってきた。


4月21日 京都無鄰菴むりんあん

 その付近には琵琶湖疏水が流れ、約3100平方メートルの敷地の中に日本庭園があり、見る者を魅了させる程の美しさがある。山県有朋が別邸にして、三年の月日を費やして造営させた。


 邸宅も大きな二階建ての屋敷で、和と洋を上手く組み合わして立てた建物は庭園の風景を干渉する事無く溶け込んでいる。


 この日、無隣庵の二階で山県有朋、伊藤博文、桂太郎、外務大臣の小村寿太郎の四者が集まり今後の対露対策について話しあった。


 「伊藤閣下、単刀直入に申し上げます。ロシア帝国には期限の迫る二度目の満州撤兵を履行する意志はございません」


 と、小村寿太郎が言った。伊藤博文は去年のロシア外遊での日露協商締結交渉失敗後も日本政府内のロシアに対する強硬的態度に対する反発意識を抱いていた。根本の理由は日露両国の国力の差である。


 両国の国家の歳入の差は、日本が二億五千万円であるのに対してロシアは二十億円である。常備兵力では、日本が三十万人に対し、ロシアは百二十万人である。その他では、人口や国土面積、植民地など、日本はロシアに対し弱小国である事は否めない事実であった。


 「小村君、君が言いたい事は分かるよ。私はもうロシアとの協商の余地は無いと理解している。だがね、ロシアと日本が戦となればどうなるかね?先の清国との戦のようにはいかんよ」


 「伊藤閣下、小村さんは何もロシアと戦争せよとは言っていおりません。ロシアの朝鮮進出を防ぐにはどう手を打つべきかを話し合うんですよ」


 桂太郎が口を挟むが伊藤は納得ができなかった。政府内の対露派や世論はロシアとの戦争やむなしとする意見が主流となっている。最終的には日露戦争は起こる可能性が高いと予測していた。


 「では桂君、政府はどのようにしてロシアの朝鮮進出を食い止めようとするのかね?」


 「閣下が昨年にロシア政府に提言した満韓交換論を再び提言したいと思っております」


 「満韓交換論を?なるほど。今度は日英同盟を後ろ盾にもう一度ロシアと交渉するつもりか」


 伊藤の問いかけに桂は首を縦に振って頷いた。


 「だが、ロシアが交渉に乗ると思うか?」


 「交渉が上手く行くと言う保証はないでしょう。ですが、このまま当ての無いまま国内で小田原評定している訳にも行きません」


 と、伊藤に小村が言った。だが、外交によってロシアの南下と日露戦争を回避するのは難しい事だと小村は重々承知していた。むしろロシアと戦争して負かさない限り南下政策に歯止めをかける事は出来ないだろうと思っていた。


 「では、山県閣下の御意見は?」


 次に、桂は山県に尋ねた。


 「政府の方針に異論はない」


 二つ返事だった。もっとも、陸軍軍人でもある桂は山県の影響下にあり共に対露対決派である。


 「……」


 伊藤は溜息を吐いた。政府も国民の多くも日本の国運を賭けてロシアとの一大戦争を望んでいた。だが、その国民の多くがロシア帝国の国力と軍事力の強大さを知っていない。日清戦争で日本が獲得した領土をロシアの干渉で返還せざる負えない屈辱を晴らさんとする執念が国民を動かしているのだ。


*****


 無隣庵での会議は程なくして終わった。会議と言っても実際は会談と言ってよく、桂太郎が内閣の方針を元老に伝え了承を得るようなものである。


 その後、屋敷を出た伊藤博文は庭園の中に造られた池の前に立ち池の中の魚の泳ぐ姿を眺めながら、ある人物が来るのを待っていた。その人物はすぐにやってきて、伊藤の後ろに足をとめた。


 「君の活躍はずいぶん耳にするが、こうして話をするのは初めてになるな」


 と、伊藤は後の気配に気づきながらも、振り返ろうとせず池を眺めながらその人物に言った。その人物とは兒玉十三朗である。


 「はい、私もいつかは維新の功労者である伊藤閣下とお会いしたいと思っておりました」


 十三朗は言った。無隣庵での元老と閣僚との会議と時を同じくして京都に来ていた。それを知った伊藤は山県に取り入って十三朗との対面を実現させた。


 そして、十三朗は伊藤の心中を推測していた。この時節に単なる挨拶程度の話では無い事は察せられる。


 「君は清国との戦の時から日本とロシアが戦争になると読んでいたのか?」


 日清戦争の時、伊藤は内閣総理大臣であった。戦争の直接の原因ともなった朝鮮での農民反乱の際でも、清国との戦争を恐れて居留民保護のための出兵に反対であった。日清開戦後は終戦工作に努力していたのだが、講和の実現を目前とした時にまた彼の心中が苦しくなる事態が起きた。朝鮮半島を北上していた陸軍第一軍が、なおも中国東北部を北上し進撃を続けて瞬く間に満州全域を占領下に置いた。


 結果的には、清国から多額の賠償金を得るに至ったが、もしも負けていれば日清の講和が日本に不利になっていても不思議でなかった。


 「はい。日本が遼東半島を取ろうが取らずともロシアとの戦争は避けられない宿命です。私はロシアとの戦争は本土決戦に持ち込んでロシア陸軍を壊滅させようと考えておりましたが、事態が清国の領土を取る事となった以上は後々を考えて欲張る事にしたのです」


 「では聞くが、日本がロシアと戦争となれば勝てる見込みはあるのかね?」


 「勝てる負けるも時勢と大将の決断に決まります。それはロシアにも同じことが言えます」


 「詳しく話してくれるか」


 伊藤は冷静であり十三朗の話を聞いた。


 ロシア軍の常備兵力は少なくみても二百万であり、世界最大の規模を誇る軍隊である。


 だが、世界最大の軍隊と言っても、広大なロシア国内に師団、旅団、連隊と個々に分散して配備されている。そして、ロシアは極東方面への勢力の拡大を計るため軍隊を東アジアへの配置を進めているが、帝都サンクトペテルブルグのあるヨーロッパ方面の兵力を手薄にする筈はなく、ヨーロッパ方面の敵対国及び反露感情の高い支配地域にも兵力を配置させてある。


 ロシアとの敵対国とは、1877年の露土戦争以来からロシアを敵視するオスマン帝国である。西アジアのイスラム国家は、五百年以上もヨーロッパの国々を脅かし、バルカン半島、北アフリカ沿岸部、西アジアの広大な領土を有したアジアを代表する帝国であった。ところが、ヨーロッパの産業革命により周辺国との国力に差をつけられ、ロシアを含むヨーロッパ列強との数々の戦争に敗れ、二十世紀の始めにはロシア帝国の脅威に怯える小国に転落していた。オスマン帝国はロシアとの次の戦争に備え警戒していた。


 北欧のフィンランド、中央ヨーロッパのポーランドは共に十九世紀にロシア帝国に支配された。以後、この二つの地域では幾度の反露運動を起こしたが、ロシア軍によって鎮圧されている。欧州列強の一国に数えられる大国ロシアであっても国内の問題は少なく無く、それが国家転覆に繋がりかねない。


 ロシア軍の、敷いてはロシアの弱みは国土が広大であるがため東西二つの地域に軍を配備する都合上、片方のみに集中配備する事が出来ないわけだ。


 「では、君や陸軍はどのようにしてロシア軍を打ち破ろうと考えている?」


 と、伊藤は言った。


 「ロシア帝都まで攻め込むことはやりません。満州のロシア軍が増長する前に此方が満州に乗り込みロシア軍を壊滅させます」


 「出来るのか?世界最強のロシア陸軍を倒す事が」


 「その出来ない事をやらんばなりません。ロシアに負ければ日本は世界の三流国にとっこらがえります」

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