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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
31/83

第三十話:シベリアの狼

明治34年12月中旬 天津


 「秋山、腹ぁ空かんか?」


 と、兒玉十三朗が言った。日本総領事館での用事を済ませ、乗馬して駐屯軍司令部に戻る途中であった。秋山好古も同行していた。


 「腹が空きましたな」


 好古が言った。時刻は昼の12時となっていた。


 「米はよっぱら(飽きる程)食った。たまには、よそのまま(飯)を食いに行くか」


 そう言うと、先頭を進む十三朗は馬の進路を駐屯軍司令部から変えた。後ろの好古たちも十三朗にならい馬の進路を変えた。


 天津には、日本の他にイギリスやフランスなど列強各国の租界がある。


 租界の行政権は清国には無く管轄する外国にあるため、列強の租界は西洋風の建築物が目立つ。十三朗たちは今、外国の天津租界にいた。


 「さぁさ、着いたぞ」


 「閣下、ここで飯を食うのですか?」


 好古が尋ねと十三朗は、そうだ。と、言って頷いた。


 二人はとても落ち着いていたが、ついて来た士官らは驚いた。着いた先が天津のロシア駐屯軍司令部であったからだ。


 正門を警備するロシア兵も驚いた。何の前触れもなく敵対する外国の将校たちがいるのだ。追い返す訳にはいかず、当直のロシア将校が十三朗たちの方に歩いて来た。


 「日本の将校殿ですね?」


 そのロシア将校は英語で話してきた。日本人にはロシア語を話せる人間が少ない事を知っていたので英語で話した。


 「大日本帝国陸軍中将の兒玉十三朗だ。ロシア兵のままを食いに来た」


 と、十三朗はロシア将校に日本語で喋りながら馬から降りた。


 ロシア将校は困惑した。日本語を話せるロシア人も少ないのである。


 「兒玉閣下は、ロシア駐屯軍司令官のリネウィッチ将軍と面会したいために訪れた。取り計らってもらいたい」


 そう英語で言ったのは、十三朗に同行していた英語を話せる士官であった。


 『ロシアの料理が食べたい』と、十三朗の言った事をそのまま英訳する訳にはいかないため『ロシア軍司令官との面会』として最もな口実を述べた。


 「そうですか。それではご案内いたします」


 十三朗らは馬をロシアの番兵に預け、ロシア軍司令部宿舎に入っていった。


 「秋山はここの司令のリネウィッチ将軍と面識があるようだな?」


 と、十三朗が好古に尋ねた。


 天津に駐留するロシア軍の指揮官が中将のニコライ・リネウィッチと言う63歳の老将である。ロシア帝国の支配下にあった東ヨーロッパのウクライナの出身で、17歳にしてロシア皇帝ニコライ1世の近習となる。1877年から1878年まで続いたロシアとオスマン・トルコとの戦争に出征して出世していき1895年に極東の南ウスリーの司令官となる。


 義和団の乱では、ロシア軍の司令官として八カ国連合軍に加わり自らも全ての作戦で前線に立って陣頭指揮を行う猛将ぶりを見せた。そして一方で、占領地にて部下に対し略奪を厳しく取り締まるどころか自身も部下と共に略奪行為を行う蛮行を働いて列国から厳しい非難を受けた。本来なら、本国に送還されて更迭をされるのが適切な処罰であるが、ロシア政府と軍からは何の咎めを受けること無くそのまま天津駐留ロシア軍の司令官となって今に至っている。


 「あしが駐屯軍司令官となってからは何かと世話になっていました」


 「なら好都合だ」


 十三朗たちは大広間に案内された。彼らを案内したロシア士官は軍司令官の許可を得て来ると言って部屋を出た。室内には日本の将校以外にロシアの番兵が数人いるのみだった。


 「暇をもてあそぶなぁ」


 と、十三朗は窓の外を眺めた。雪が降っていて正門に立つロシア兵が見えた。


 「流石は北国のロシアだな。兵卒まで立派な防寒着に身を包めている。羨ましい限りだわ」


 世界最強の陸軍国であるロシアであった。火器や兵士の衣服も高水準である。一方の日本陸軍は創設から日も浅く海外との戦闘経験も少ない。日清戦争後の近代化で戦力を拡大しているが兵卒の衣服までは充実していなかった。忠義を誓う旗は違えど、陸軍軍人として十三朗は他国を震え上がらせる程の強大な陸軍を作り上げたロシアに尊敬する念を持っていた。


*****


 暫くすると、今度は佐官の階級章を付けた将校がやってきた。


 「リネウィッチ中将が兒玉将軍との面会を希望しております」


 その佐官は英語で話し、十三朗の部下が通訳をした。


 「よし、行くか」


 十三朗は腰を上げた。彼の後に好古と通訳が続いた。待遇は格別だった。数人のロシア軍士官も同行しており、通路や曲がり角、階段など何処を次に進むかを丁寧に教えてくれた。


 (こつけ(こんな)待遇は今まで受けた事がなかったすけ、ケツがむず痒くてはいかんわ)


 十三朗は思った。恐らく日本に対するロシアの見栄だろう。ロシア人の態度と礼節を見ると日本など眼中にあらずという風である。


 あれこれ考えている内に司令官室についた。


 「日本陸軍の兒玉将軍をお連れ致しました」


 そう言ってロシア士官はドアにノックした。


 「おう、入ってくれ」


 と、ドアの向こうからロシア語がした。ロシア語を知らない十三朗でも、中に入室を促す返事だとは想像はついた。


 ロシア士官がドアを開けると、十三朗はロシア士官の返事を待たずに中に入って行った。


 「大日本帝国陸軍中将兒玉十三朗です」


 「ロシア帝国陸軍歩兵中将ニコライ・リネゥッチです」


 と、十三朗の目の前に立派な髭を生やしている老将ことニコライ・リネゥッチがいた。


 「本日は突然の訪問でありますが、お会いできと嬉しく思います」


 十三朗は型どおりの挨拶をして深々と頭を下げた。


 「いや、私も閣下に一目お会いしたいと思っていた。暫くしたら私が閣下の方へ伺おうと考えていた」


 悪名の名高き人物とは思わせないほど清々しい顔をしたリネゥッチは手を指しのばした。


 十三朗はリネゥッチの手を握った途端、腹の虫が騒ぎ出して音を立てた。


 「ところで、将軍は日本人の背丈が西洋人より低いかご存知ですか」


 と、十三朗は腹の虫を気にせず笑いながらリネウィッチに尋ねた。


 当時の日本人の成人男性の平均身長は約150㎝であった。義和団鎮圧に集まった八カ国連合軍の代表兵士が横一列に並んだ写真が撮られた際、日本兵と外国軍兵士との身長差を比べると大人と少年とも言うべき程であったのだ。


 「失礼を承知の上で言うが、日本が乏しいからではないか?」


 リネウィッチが遠慮がちで言うと、十三朗は笑みを絶やさず彼の答えを否定して言った。


 「リネウィッチ将軍、我が国は農作物の豊かな国です。我々日本人は腹が減っても有無を言わず働き続け、誰かのため、国家に尽くす事を美徳としているのです」


 と、言いながら十三朗の腹の虫が再び唸りを挙げた。


 「将軍、よろしければ一緒に昼食はいかがですか?」


 見かねたリネウィッチが言った。


 「その言葉を待っていました」


*****


 昼食を取りながら、十三朗とリネウィッチは談笑に花を咲かせていた。話しの内容は勿論、それぞれの戦話である。


 お互いが共に若き日から戦いを経験し、多くの修羅場を乗り越えてきた事もあり意気投合していた。十三朗はリネウィッチが体験したトルコや列強との死闘の話しに興味を抱き、リネウィッチは十三朗の戊辰や西南戦争での無勢が多勢を相手に戦い抜いて勝利を収めてきた武勇伝に胸を踊らせた。


 (リネウィッチ将軍の人柄といい、武勇伝といい、話しを聞けば聞くほど黒木と同じ性格をしている。二人が対決したらきっといい勝負になるぞこりゃあ)


 と、十三朗はリネウィッチが親友の黒木為トモと重なって見えた。


 だが、後にリネウィッチと黒木が日露戦争で互いに軍を従えて満州で幾度となく対決を繰り広げる事になるとは今の十三朗には知る由もなかった。



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