第二十八話:天津へ
十三朗は、天津に向かう準備をするため、自宅に戻り旅支度をしていた。国内外での出張や出征を何度も繰り返しているため、今回の天津出張の支度も造作なく行っていた。と言っても、彼の持ち物は必要最低限の小道具と愛読書だけである。必要な品は現地で揃えればいいのたがら。
「お父様」
と、暫く荷物の整理をしていると戸の向こうの廊下から長女ヤエの呼ぶ声がした。十三朗が返事を返すとヤエが戸を開けて部屋に入ってきた。両手には高価な日本酒の入った一升瓶を持っている。
「あぁ、買って来たか。ありがとう」
そう言って十三朗はヤエから一升瓶を受け取った。
「それも天津まで持って行くんですか?」
ヤエが尋ねた。
「天津の駐屯軍司令官は大の酒好きでな。こうして日本の土産をたがいで行くんだ」
十三朗は酒瓶を丁寧に風呂敷にくるみ、荷物の横に置いた。
「あの、お父様」
「なんだ?」
言葉を返すとヤエは珍しく、少し浮かない顔をしていた。
「お父様とお母様は、どんな風に知り合ったのですか?」
「わしと母さんの出会いか?」
「はい」
いきなりの娘の問いは、決して意外な事ではなかった。年頃の子であれば自身の将来を考える時期であろう。父親からすれば複雑な気持ちである。十三朗も例外ではない。だからといって、娘の質問に答えない訳にはいかなかった。
「母さんとは、山県元帥の紹介で見合いをした」
西南戦争が終結した翌明治11年の事である。熊本から帰京した後、陸軍の改革安を山県有朋に提案しに行った際、突然見合いの話が持ち出されたのだ。
「では、お父様とお母様はお見合いで初めて出会ったのですか?」
「あぁ、見合いの話が来るまでずっと陸軍の事だけが頭一杯で嫁を貰おうとは考えた事がなかった。あの時、31歳だったわしは、20歳のお母さんに一目惚れした」
昔の記憶が蘇ってきて十三朗は、かつての日々を思い起こして笑みをこぼした。
「お父様」
「ん?」
「私も嫁に行く時はお見合いなのですか?」
今度は意外な質問であった。
「………」
十三朗は目を見開き口をへの字にした。
「お父様?」
「…いや別に」
正直過ぎる子だと思った。自分も今まで色々な言動で周囲の度肝を抜かして来たと考えると、自分の子は自分に似た所があるものだ。
まず喋る前に、軽く咳き込んで調子を整えた。
「母さんは武士の家で育ったが、お前は違う。お前が一生を捧げると決めた男がいればそれでいい」
思い付いた言葉を口に出したが問題は無いだろう。娘が一生を捧げる男は何処ぞの馬の骨ではないだろうから。
「ありがとうございます。お父様」
そう言って、ヤエは満面の笑みを浮かべて部屋を出た。
*****
西暦が1900年代に入り、列強各国が清国に進出して半世紀が経った。最終的には中国を植民地とする野望を列強各国は秘めており、前段階の行動として清国領土の租借と都市の租界が挙げられる。
租借とは、他国領土の一部を一定期間実効支配する事で、租界とは、一都市に置ける行政権と司法権、軍事などの権利を担う事である。
義和団の乱の後、清国の天津に日本租界を設置した。
天津を拠点とする清国駐屯軍の司令官に、秋山好古大佐が明治34年10月に就任した。秋山は、軍人である一方で大きな器の持った人物であった。
日本租界を通る大動脈は、整備が行き届いておらず雨が降れば悪路となり人々の不満の一つとなっていた。
日本の居留民が多く滞在する場所を列国の租借地に劣らないよう『見栄』を張るため秋山は、工兵一個小隊を内地から引っ張り出して市街地の道路工事を行わせた。
後日、日本租界に整備された道路が出来上がり租界地の活性化に少なくない貢献をする。
また、秋山は清国に駐留する列強各国の軍の将校とも上手く付き合いをかさねた。清国における秋山好古の評判は高いものであった。
兒玉十三朗が天津の駐屯軍司令部に訪れ秋山と面会したのは10月の末の事である。
*****
駐屯軍司令部の司令官室のソファーに腰を下ろして向かい合った秋山好古と兒玉十三朗は、フランス滞在時代の昔話と騎兵について話しに花を咲かせた。
「ほれ、日本の土産だ」
そう言って十三朗は日本酒の入った一升瓶を秋山に渡した。
「ありがとうございます」
秋山は酒瓶を受け取り、支那酒を十三朗にすすめた。
「支那の酒はひどく(すごく)辛いな」
「そこが支那酒の美味いところです」
と、秋山は支那酒を自分の器に注ぎ一息に飲みこんだ。
「しかし、ここに来るまでに市内を見渡したが天津の治安は良いものだな」
「日本人、清国人と差別しないようにすれば大きなもめごとは起こりません」
「なら今夜は枕を高くして眠れる」
十三朗は秋山と酒を飲み交わして天津に来て一日目を楽しんだ。