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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
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第二十二話:憂鬱

明治28年8月1日

 日清戦争は日本軍が中国の満州全域を占領した事で終結した。


 山口県の下関で結ばれた日清間の講和条約は、


 一、清国は朝鮮の独立を認める。


 二、東北部―満州―全域、台湾、膨湖列島の割譲する。


 三、賠償金10億テールの支払い。


 この三つが条約の主な柱となったが、これは清国の存在を揺るがす悪夢の様な内容であった。


 そもそも清国は漢民族の起こした王朝ではなく、中国の征服地である東北地方の女真じょしん族が起こした征服王朝である。


 その女真族の聖地である満州が日本の領土になる上、千年以上の冊封関係にあった中国の属国の日本に多額の賠償金を支払う事は中華思想に反することであった。


 しかし、清国政府には日本との戦争を継続する力はなかった。政府内部での腐心が進み、開戦以来陸海で連戦連敗を重ね近代艦隊と名を誇った北洋艦隊も日本海軍に海軍史に名を残す敗北をし、満州を取られて国民からの支持も一気に急落した。


 日清戦争によって東アジアの勢力図は大きく変化する事になる。清国アジアの大国から転落し、列国の植民地化していくことになる。清国に換わって、日本がこれからのアジアに君臨していくことになるだろうが、大きな問題があった。ロシア帝国である。


 19世紀の帝国主義の時代、ロシアは国土こそは世界最大であったが殆どが冷帯気候である。そのため主な貿易港は冬季には凍結してしまう。そこで不凍港を求め勢力の拡大を行った。南下政策である。1860年の北京条約によってロシアは清国から沿海州を獲得し、不凍港都市ウラジオストクを築いた。


 ウラジオストク、これは日本語に翻訳すれば『東方を支配せよ』と読む。つまり、ロシアの南下政策の最終目標はアジア世界の支配であるのだ。


*****


明治28年8月2日

 児玉十三朗は新聞で下関講和条約の内容を知った。彼は今、満州の哈爾浜ハルビンにいる。


 (一難去って、また一難…、か)

 十三朗は思った。


 すると、ドアをノックされた。兒玉が入室を許可すると士官が現れた。


 「黒木閣下が御見えになりました」

 この時、黒木為楨は陸軍中将で熊本の第6師団の師団長であった。日清戦争では、第二軍に所属して威海衛の戦いに参加した。そして今、治安維持の名目で満州に派遣された。


 「通してくれ」

 その言葉を聞いて士官は退室し、黒木為楨が入ってきた。


 「中将、よく来てくれました」

 と、兒玉は立ち上がり敬礼をした。この時の階級は黒木より一つ低い少将である。


 「おい兒玉よせ、お前との間に階級は関係ない」

 黒木が言うと、兒玉は笑いだした。


 「まぁなんにせよ、久しいなぁ。黒木」


 「しかしどえらいことをやらかしたなぁ」

 と、満州攻略の話題を持ち出した。


 「うむ、政府や大本営は大局がみえとらんからいかんよ」


 「で、これからどうするんだ。この満州で」


 「どうもしやせん。後二、三日で満州は清国に返還することになる」


 「何ぃ?」


 勢力の拡大を進める北のロシアが清国を狙っている。日本が満州を獲得したとはいえ、軍事力は貧弱なため、外交的な圧力を加えれば満州を手放し、清国に返還する。その後ロシアは清国に圧力をかけ満州を支配下に置き、遼東半島の旅順を租借し、極東の一大海軍拠点を建造して日本の防衛線と定める朝鮮に圧力をかけてくる。児玉は黒木に、推測した今後の推移を説明した。


 「ロシアの干渉で満州を手放すと分かっておきながら、何故満州を取った」


 「清国に返還するとはいえ、無条件という訳にはいかん。清国からだっつり(たくさん)と銭を絞り取りロシアとの戦争に備えるためだ」


 「清国は散々な目に遇うなぁ」

 黒木は清国に同情した。


 「ははっ。黒木、今は食うか食われるかの戦国時代だ。他国にかまっている暇はない」


 「それもそうだ。しかし児玉、ロシアとの戦争に備えると言うが300万の兵力を持つ大国とどう戦うという?」


 当時のロシア帝国は世界最大の陸上戦力を有しており『世界の警察』の異名を持っていた。


 「300万の軍隊とは言うがヨーロッパやシベリアにも兵力を配置するのを考えると約50万程を相手にする」


 そのために陸軍の増強も必要だと述べた。


 「今の常備兵力を4、50万まで増やす必要がある。後は兵器の刷新や戦略や戦術云々とやることは山ほどだわ」

 と、兒玉は息を吐き、肩をおとした。


 「どうした兒玉?」

 黒木は兒玉のため息振りに違和感を抱き尋ねた。


 「うむ、友人のんなにはわしの腹の内を話そうか」


 「おう、なんじゃ」

 と、黒木は聞く耳を持った。


 兒玉の心中は憂鬱であった。根本の原因は、政府の遼東半島の割譲計画にある。遼東半島の港湾都市旅順は、この時代の各国列強が認める天然の良港であり、中国進出する上での拠点ともなる。


 その旅順を国力の貧弱な日本が取る事でロシアとの対立が決定的となる事を前にも述べた。


 そもそも兒玉は、近い将来に日本はロシアとの存亡を賭けた戦争を繰り広げる事を見据え、一つの戦略を構想した。日本の軍事力からでは大陸奥地での戦闘は地利的にロシアに利が有るため、海軍と連携して九州にロシア陸軍主力を上陸させて殲滅させる。その次に朝鮮に進出して防衛線を構築する戦略を立てた。


 だが、この兒玉の立てた戦略は、日本が他国領土への進出にこだわらず、ロシアの一方的な侵略に対しての対抗策であり、遼東半島を割譲した今、戦略は崩れてしった。


 つまり、後に起こるであろう、ロシアの領土干渉の今後の推移を簡単に説明すると、日本はロシアの売られた喧嘩を買い、大陸に乗り出してロシアに殴り込む。という形となる。


 『大国に乗り出してロシアに殴り込む』とは勇ましい表現をしたが、その分の軍資金は多額なものとなる。そのため兒玉は、満州方面の攻略に乗り出してロシア干渉後に多額の資産と引き換えに満州の返還を行い、得た資金で陸軍の改革に乗り出す事にした。


 しかし、満州攻略が数カ月と少数の犠牲で『あっ』と言う間になし得てしまったのだ。


 兒玉としては良い意味で想定外の結果であった。満州侵攻計画や作戦を山県等に告げた時、内心では満州全域を占領出来る自信が無かった。彼も一人の日本人として、日本国土のニ倍以上ある土地を計画通りに占領出来るのか。計画が覆される事態が起こり得るの出はないか。と、様々な不安要素が常に着きまとっていた。


 だが、満州を良好な結果で占領した事で不安要素の多くは無くなった。しかし、新たに『欲』が芽生えた瞬間でもあった。


 満州が上手く奪えたのなら、華北と蒙古なども容易に制圧出来るのではないか?


 華北、蒙古も清国にとって重要な土地、支配地でもあり、多くの利益を得る事が出来るだろう。


 しかし、兒玉は自重した。


 「人は一度欲をかくともっと欲をたがりたくなる」

 と、人の欲深さから引き起こす災いを憂いた。


 「欲かいて我が身や国家が滅んだ例は世界中にある」

 その要因から、これ以上の侵攻を取り止めたのだ。しかし、終戦となった今、自分の判断が最善であったのか疑問を抱いていた。


 ロシアとの戦争は満州の平野が主戦場となるだろう。平地での戦いとなれば、集結した兵力の優劣で勝敗は決する。


 日本陸軍がロシア陸軍に勝つためには、今の日本の陸軍力を倍以上に増強する必要があり、莫大な資金がいる。


 もし、満州以外にも華北や蒙古などを取っていれば、得る軍資金は増え、ロシアとの戦争で兵士の犠牲を抑えられるかもしれなかった。逆に言えば、戦争に勝つために流す兵隊の血の多くを金で換えられると言うことだ。


 「…華北と蒙古分の金が有ればどれだけ多くの兵隊が死なずに済むか分からん。その事を考えるとどうも気が晴れん」


 「成程。主も散々悩んどったか」

 と、黒木は机の上に腰を下ろして兒玉の話を聞いていた。


 「兒玉よ、わしは上手い事は言えんがな。戦争となれば、嫌でも兵隊は死んでいく。しかし、兵隊の犠牲を減らすための知恵を巡らせばええ」


 「…それもそうだな。過ぎた事を気にかけてもしょうがないな」

 兒玉は開き直った。


 「そうだぞ。それに戦争となれば、おいも師団か軍を束ねて暴れ回るさ」


 「ははっ、んなはわし程兵法に詳しくはないが陸軍一の猪突猛進の指揮官だから心強い」


 「それはどういう意味だ」


 二人は声高らかに出して笑いあった。


*****


 下関での日清講和条約が締結されてから6日後の8月8日、ロシアを筆頭にフランスとドイツの三国が極東アジアの勢力の均衡を名目にした、日本の領土となった満州地方の返還を通達してきた。


 日本の軍事力、特に海軍力では三国干渉を退く能力はなく、外交においても、イギリスやイタリア、アメリカも中立に周り、日本政府は成す術無く、三国干渉を受け入れて、満州地方を清国に返還するに至った。しかし、満州を返還した事により日本の国家予算以上の返還金を得た。


 だが、日本人は怒りに湧いた。我が子、兄弟、身内が犠牲となり得た土地を外国の干渉で一方的に返還させられたのだから。


 『臥薪嘗胆』を合言葉に、国力と軍事力の増強に心血を注ぐ事となる。

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