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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
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第十九話:旅順

 日清戦争を通じて、欧米列強の日本への見方が180度変換した。


 列強国は、開戦当初から清国が勝つ事を予想していた。陸軍兵力の規模と海軍艦艇の質のみで比較ば清国が上回っている。


 しかし、実際に蓋を開けて見ると、朝鮮での地上戦は清国軍が日本軍に連敗を重ね、遂には朝鮮半島から駆逐された。


 海上では、世界有数の艦隊と言われた『北洋艦隊』が、黄海の海戦で、巡洋艦から成る日本海軍の連合艦隊に叩きのめされてしまう。


 そして10月の下旬、朝鮮半島の日本軍は、清国と朝鮮の国境を流れる鴨緑江を渡り清国領土に侵入した。古来、日本と中国は、白村江の戦い・元冠の役・朝鮮出兵と、3度の戦争を行い、戦場は朝鮮と九州などであったが、今回の4度目の戦争、日清戦争で日本の軍勢が初めて中国の地に足を踏み入れた瞬間、アジアの勢力図が変わった。


 また、清国も『眠れる獅子』から『豚』へと転落し、列強の仲介により日本との講和を思索し始めだした。


 日本としても清国との講和を望んでいた。そもそも、戦争の目的は朝鮮の主導権を賭けた物で、北洋艦隊を叩き、清国軍陸軍を朝鮮から追い出した以上、戦争目的は達成していたのだ。


 しかし、日本は列強からの仲介を拒絶し、戦闘活動の継続を行った。


 兒玉十三朗は事の真相を確認するために山県有朋のいる軍司令部にやってきた。


 この時山県は、陸軍第5師団と第3師団から成る『第1軍』の軍司令官として出征していた。



 「遼東半島を取るぅ!?」

 十三朗は眉間に皺を寄せた。


 山県は逆鱗に触れてしまったのかと心中で思った。


 「だが兒玉、敵国の領土を取る事は国際法の習わしだぞ」

 と、山県の援護をしたのは第3師団長の桂太郎である。


 しかし、桂の発した言葉が更に火に油を注いだ。


 「政府も軍も目先の領土しか無いのですか!」

 十三朗は一喝した。途端、その場にいた将兵の誰もが固まった。


 「遼東半島がそのまま日本の領土になると考えているのですか?」


 「それはどういう意味だ?」 山県は尋ねる。


 「遼東半島の旅順は天然の良港です。成程、確に奪い取る価値のある領土です。ですが、果たして日本だけが狙っていると考えてるんですか?」


 「あっ!」

 桂は何かを直感して思わず口を開いた。


 ロシア、山県が言うと十三朗は首を縦に振った。


 「日本が遼東半島を国際法に則り領土とすれば、恐らくロシアは同盟国と連携して『アジア平和』を名目に干渉をしてくる魂胆でしょうな。そうなれば、日本の国民は対露感情が高まり、世界最強のロシア軍と戦を挑む事態となる筈です」


 十三朗の迫力ある断言に、その場にいた誰もが息を飲んだ。しかも、彼の予測は後に、その全てが尽く的中していく。


 この時、10月下旬の事。陸軍は大山巌大将を司令官とした陸軍第2軍は着々と旅順に部隊を陸揚げさせていた。


 第2軍編成


  第1師団


  第2師団


  第6師団


*****


 秋山好古はこと時、陸軍少佐で第2軍所属の第1師団、騎第1大隊の大隊長として旅順にいた。


 彼等、騎兵第1大隊の任務は偵察であった。

 10月28日、盛京省(遼寧省)花園口で陸揚げを完了した騎兵大隊は11月3日に行動を開始した。


 最初の難所、金州方面攻略のための偵察任務である。


 金州は旅順方面と内陸を結ぶ要所であり、ここを落とす事で旅順との連絡網の分断を図っていた。


 この時の騎兵大隊の編成は大隊本部と2個騎兵中隊から成っていた。


 第1師団はこの内1個中隊を隷下部隊の連絡手段のため残し、代わりに歩兵第2連隊の第3中隊を騎兵第1大隊の指揮下に加えた。


 秋山騎兵第1大隊は清国軍との少規模戦闘をしながらも順調に偵察を行い、第1師団の金州方面攻略に貢献した。


 この金州攻略の際し、乃木希典少将の指揮する歩兵第1旅団が上級部隊の第1師団の命令が出されない内に、独断で攻撃を開始し、見事に金州攻略に成功させた。


 金州方面を占領し、大連にも進入した陸軍は、続いて海軍と協力して、遼東半島の先端部に位置する旅順攻略に乗り出す。


 旅順には、清国軍の基地があり、西洋技術を盛り込んだ近代要塞となっている。


 『旅順を落とすには大軍をもってしても半年はかかるだろう』とフランス東洋艦隊提督クールベーが評価した。


 当然、日本軍にも噂が入って来る。しかし、旅順攻略は困難では無いと、最初に結論付けたのは秋山好古であった。


 この時、秋山の騎兵第1大隊に、第6師団の騎兵第6大隊の一部が指揮下に加えられたため、『秋山支隊』と名付けられていた。


 彼の支隊は連日旅順の偵察に出て、地理を調べ、敵の配置を探り出して、偵察報告と結果を踏まえた旅順攻略手順をまとめた『上申書』を第2軍司令官の大山巌に送った。


 大山巌は、西郷隆盛の従兄弟で、共に明治維新に活躍した。人物である。彼には指揮官としての素質があった。それは、群を抜く奇抜なアイデアを出していく戦争のカリスマでは無いが、『統率力をもって人材を適材適所に配置して、余計な口出しをせず彼等の好きなように行動させる』このため有能な参謀の作戦をそのまま、本作戦へ移す事が出来る。


 と言う訳で、秋山の提出した『上申書』の中の旅順攻略手順はそのまま、旅順攻略作戦に移されたのだった。


 旅順には天然の港湾があり、そこに市街地が置かれ、港湾都市の後方に黄金山、鏝頭山の砲台があり、この二つの山の周辺に東から鶏冠(けいかん)山、二龍(にりゅう)山、松樹(しょうじゅ)山、椅子山の各堡塁に守られている。


 この旅順要塞に対し、第1師団が最初に椅子山を行い次いで松樹山の攻撃を行う。


 第1師団が松樹山の攻撃開始と同時に、第2師団隷下の第12旅団が二龍山の攻撃を開始する。


 秋山支隊は遊撃隊となって第1師団の西側に配置された。


 旅順攻略作戦は11月21日と定められた。当然だが、秋山支隊は旅順攻略開始されるまで偵察活動を行い続けた。


 そして、11月17日の日も、支隊の先頭に立ち進んだ。一団が山間堡と呼ばれる平野に達した時であった。行路偵察を行っていた斥候騎兵が慌てた調子で戻って来る。


 「敵、およそ一個旅団が此方に向かってまいります!」

 と斥候騎兵の一人が言った。


 「案内せい」

 好古はそう言って、副官の稲垣三郎中尉と従兵を率連れ手綱を弾いた。


 斥候に案内されて丘に上がった好古は首に架けていた双眼鏡を取り示された方角を覗いた。


 目に入って来たのは人の大群である。誰もが小銃を持ち、隊列を組んで進んでいた。少し場所をずらして見ると、馬に引っ張られる大砲も見えた。その数十門程。


 対する秋山支隊は騎兵2個中隊と歩兵1個中隊の計3個中隊しかない。


 「大隊長殿、ここは一先ず後退するべきでは?」

 副官の稲垣が言った。


 確かに正論だ。始めから勝負にならない戦力差である。しかも、ここは平野で小さな丘位しかなく、待ち伏せ攻撃は出来ても、伏撃は出来ない。正面きって戦えば皆殺しにされかねない。しかし好古は、稲垣の意見と真逆の事を言う。


 「いや、ここで迎え撃つ」

 と、さりげなく言った。


 好古の言葉に、その場にいる斥候に従兵、稲垣は自分の耳を疑ぐり、えっ?と誰かがつい声を溢してしまった。


 「し、しかし大隊長殿……!」

 稲垣は意見を言おうとしたが好古が止める。


 「おまい(お前)も騎兵なら分かるじゃろがぁ、ここで逃げれば上からの騎兵の評判が下がる。それにぃ、僅かの兵だけでも戦う日本軍の姿を清国兵に見せ付けてやるのじゃ」

 そう言って、首に下げてある水筒を取りだしグイッとラッパ飲みをした。中には支那酒が入っている。


 つまり、今後の日本騎兵の将来と戦争での日本軍優勢を支えるため自分達が生け贄になる。そう解釈が取れる。だが、今の状況を考えると、この事しか頭に浮かばない。


 「ですが、我々400の大隊(秋山支隊)では、あの一個旅団には勝てません!」

 稲垣はとにかく反論した。この場にいる人間の中で彼だけが好古を止められる唯一の存在だった。


 「何も『勝つ』必要は無い。ようは『負け』なければよい。引き上げるぞ!」

 手綱を引き、好古は馬を走らせた。次いで斥候や従兵が後を追う。


 (大隊長は部隊を全滅させる気か?)

 心中で思いながら、最後に稲垣が馬を走らせた。


*****


 好古は直に騎兵第1中隊に馬から降り歩兵戦を行うよう命じ、敵旅団の前進してくる本道の東側に展開させた。続いて騎兵第2中隊は乗馬のまま本道の西側に展開させた。そして歩兵中隊は本道正面に配置させる。


 一方の清国軍も秋山支隊の存在に気付かない訳が無かった。直に部隊を所定の位置に展開させ歩兵を前進させつつ攻撃を開始した。


 清国軍の弾丸が雨の様に容赦無く秋山支隊に注がれて行く。


 しかし、日本軍一個大隊400に対し、清国軍一個旅団はその戦力全てを日本軍の大隊に注いでいる訳出はなく、戦っているのは、先頭を進んでいた尖兵隊と援護砲兵であった。


 秋山支隊の兵隊は、その事実を知っても知らなくても、『敵の物量』に圧倒され、最初から士気は低かった。その上、頭上からは砲弾が降って来る。


 だが、秋山支隊は良く戦っている。敵の兵士の顔を確認出来る距離まで接近してきた頃だった。


 突然、日本軍から従来の小銃の発砲音と似て異なる『タタタッ』と安定した連発の発射音が鳴り響いた。途端、最前線にいた数十名の清国兵が一辺に薙ぎ倒された。これには清国軍兵士は度肝を抜いた。


 機関銃である。日本軍は保有していたガトリング砲に変わる新兵器として機関銃を導入していた。これを出征部隊の各中隊ごとに4挺ずつ支給されている。


 しかし、機関銃で払った代償は大きく出た。清国軍は大砲をどっと撃ち込んで来た。戦況はますます不利となってきた時だった。後方で指揮を執っていた好古が最前線に現れた。彼は支那酒をグッとラッパ飲みをしながら兵士に告げた。


 「あしは旅順に行けと言われているが後退の命令は受けてい無い。退く者は去ればええ」

 そう言って馬を走らせようとした時だった。


 清国軍に爆発が起きた。大砲を撃ったのでは無く、砲弾が降って来たのだった。突然の砲撃だったため混乱が生じ始め、退却を始めた。


 秋山支隊を救ったのは後方にいた歩兵第3連隊と付属の砲兵部隊だった。第1師団隷下の気球連隊が戦闘中の秋山支隊を発見し、直に応援に向かわせたのだった。


 とにかくも、秋山支隊は窮地を脱せた。戦闘を振り返ってみれば終始秋山支隊は分が悪く不利であったが戦死者は11名と軽微であった。




 21日、日本軍は旅順総攻撃を開始しする。


 『半年はかかる……』と言われた旅順はわずか1日で占領した。これはクールベーが旅順要塞を過大評価した訳ではない。好古の作戦が神算鬼謀だった訳でも無い。日本兵が有能だった訳ではない。清国兵が弱すぎたのであった。


 清国兵のほとんどが漢民族の人間であり、女真族(満州族)によって支配された清国に絶対的な忠誠をしている訳ではなく、19世紀から清国の幾度となく列強と戦争して出来た負け癖が日清戦争で如何無く発揮されたのだった。


 この時、日本の将校、もしくは清国軍の将校も清国の滅亡は近いと感じただろう。

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