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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
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第一話:逆賊転じて


 明治維新


 19世紀の時代、日本は大きな転換期を向かえていた。中央・地方行政、外交政策等の改革を行い西洋的国家体制を有する新国家へと変貌させていくのであった。


 このため、明治元年、戦争が起きた。交戦勢力は、旧徳川江戸幕府と新たに政権を得た薩長土肥から成る新政府である。本格的な戦闘が1月27日、山城国(現京都、南部郊外)鳥羽・伏見で起きた。戦いは五千の新政府軍が一万五千の幕府の大軍に対し優勢に戦いを進め、翌28日、新政府軍に官軍(天皇の軍隊)の証たる錦の御旗が掲げられ幕府軍の敗退が決定的となり30日には幕府軍は総崩れとなった。


 鳥羽・伏見の戦いの勝利により新政府軍は名実ともに官軍となり、旧幕府は朝敵となった。


 官軍は『東征軍』を編成し朝敵討伐のため江戸へ向けて進軍。戦線は東へ移っていった。


 4月5日、官軍、東征総督府参謀、西郷隆盛と旧幕府全権、陸軍総裁、勝海舟との交渉が行われ、5月3日、江戸城は官軍に無血開城されるも戦争は終結の気配をみせなかった。


 戦線は中部・甲信越・東北と戦争は本州全土と拡大された。


*****


 北陸鎮撫総督府、山県狂介と黒田了介は北陸方面の新政府軍を率いて越後国長岡藩に侵攻した。


 10月には長岡藩との攻防の末越後を勢力下に置き、黒田は山県に主力を預け、自分は東北方面の援軍に向かった。山県も本来なら、東北方面に軍を移動済みのはずであった、が彼は越後に止まらざるを得なかった。


 山県は越後に来てから不幸が付きまとっていた。


 明治元年、越後国長岡藩領小千谷にて新政府軍軍監岩村精一郎と長岡藩家老河井継之助との交渉が行われたが、岩村が河井の嘆願を一掃したことにより、新政府軍と長岡藩との戦争が始まった。


 山県は戦争は早急終結すると推測したが、長岡藩の家老河井継之助による軍事改革により、長岡藩の軍は近代装備と編制により、装備と質によって新政府軍と互角に戦うことが可能となった。また、プロイセン(ドイツ)人のスネル兄弟を通じて、当時日本に三挺しかなかったガトリング砲を二挺購入していた。


 この河井の軍事改革により山県の予測はハズレ新政府軍は多大の犠牲を出した。長岡城を奪取するも奪還されの争奪戦が繰り返され、さらに他の戦線でも一進一退の戦闘が六ヶ月間続くこととなった。


 10月に多大な犠牲を払った末、越後国を新政府の勢力下に置くも、長岡藩の残存勢力が新政府軍に遊撃(ゲリラ)戦を展開され、新政府軍は越後で釘付け状態に陥った。


長岡城

 一室に山県狂介がいた。そこに彼の部下の阿達嘉久が入ってきた。


 「山県さん、兒玉が死んだと聞いたが?」 

 阿達は山県に尋ねた。


 「いや、たしかな情報ではないのだ、あくまで噂だ。先日の戦で死んだと、わしも耳にした」


 山県は筆を降ろして阿達に目線を移した。


 「噂か、事実ならどれだけ良いことか」


 そう言って阿達は腰を床に降ろした。


 「まったくだ、奴は手強い。兒玉十三朗には西洋式の軍隊や戦術はまったく通用しない。むしろこっちが劣勢に追い込まれる始末だ」

 

 そう言って山県は机に置いてあったお茶を一口喉に流し込んだ。


 「しかし、奴は惜しいのぉ。幕府との戦はじきこちらが勝つ。そうすれば、兒玉も降参し、いづれは我が軍に置けばどれだけ心強いことだったか」

 

 山県は呟いた。


 数ヶ月、山県は長岡藩残存勢力を率いる兒玉十三朗と戦い、兒玉を恐れる一方で兒玉の持つ実力が、官軍のどの将にもないものを持っていると感ずいていた。


 「奴は死んどるかもしれません。して、どうします?兒玉が死んだとしたら敵は自然消滅するはず、越後にいつまでも居ってはいかん。会津に向かうための支…」

 

 その時だった。ダダダーンと無数の銃声が鳴り響いた。


 敵襲だぁ。と、外で誰かが叫んだ。


 「敵襲?主力は他方面で討伐作戦に向かって今は二個中隊しかいない」


 「兒玉は死んでいないのか?」

 突然の事で、二人は動揺した。


 「敵襲!敵は60前後とおもわれますが、突然の奇襲で我が方は防戦一方です」


 一人の兵が息を切らせて報告に現れた。


 そして、また、今度は複数の足音が聞こえてきた。それに伴い、銃声と悲鳴が連鎖していた。山県達の前に複数の敵兵が現れた。全員が山県達に銃口を向けている。中には新政府軍の軍服も着ている者も二、三人いたが彼等と同様に銃口を向けていた。


 「何者だぁ、お主等は!」


 山県は立ち上がって叫んだ。しかし、兵等は一言も喋らず、銃口を向けていた。その兵の中から一人の男が前に出てきた。男は二十代前後に見えるが、口の周りと顎の下の不精髭のため大体の年がわからい。


 「山県狂介ですか?」


 男は尋ねた。


 お前は何者だ。と、阿達が尋ねた。


 兒玉十三朗と、男は名乗った。山県と阿達は驚きを隠せなかった。兒玉十三朗という男は指揮と統率力から年輩と思っていたが、兒玉と名乗る男は若者であった。


 「兒玉だと?馬鹿な!お主の様な若造がか!?」


 山県が言った。しかし兒玉には彼等との会話に付き合う暇はなかった。外では銃撃戦が続いていたが、二個中隊の兵隊達も城内の事態に気付き始めていた。しかし、敵との交戦のため救助に出られなかった。


 「貴方方に同行を願います」


 兒玉の合図で彼の部下が前に出て山県等を拘束した。彼等は山県等を連れ部屋を出た。廊下には数人の新政府軍兵士が血を流して倒れていた。


 城内のとある一室の戸を開けた。そこには床の板がはがされ、数人が同時に入れる大穴が空いていた。


 彼等は大穴に入り込んで長岡城を脱け出した。その後、城外で銃撃戦を続けていた兒玉の兵等は撤退した。


*****


 山県は兒玉達が根城としている人里離れた部落に連れこまれていた。


 山県の前に一人、兒玉十三朗がいた。


 先に口を開いたのは山県だった。


 「兒玉、あの時長岡城でわしを殺せたはずじゃ、しかし、わし等をここに連れてきてお主だけがわしの前にいる。お主一体何を考えちょるんだ」


 と山県は言った。


 「あなたを殺した所で、全ての戦が終わらなければ、勝つわけでもない。私だけ一人勝ちしていても幕府方の負けは変わりません」


 と兒玉は一息いれて、話しを続けた。


 「本当は幕府方が負けても私等は戦い続ける所存でしたが、しかし、そのことがはたして、この国のためになるとは思いません」


 兒玉は話題を変えた。


 「外にいる私の兵達は皆、百姓に銃を持たせて訓練させませた。もはや、武士や刀の時代は終わりです。銃を持たせ訓練させれば、どんな者でも立派な兵隊になります」


 山県は驚いた、彼は長州の出身で高杉晋作が組織した『奇兵隊』と言う、武士、農民の身分を問わない軍事組織に入隊し頭角を表し今の地位がある。そして、彼は戦後、国民から成る国軍の編成のための『徴兵制』の思案をしていた。

 

 「お主、その考え、一体誰から教わった」


 「?、一人で考えましたが、まぁ話がズレましたが、本題に入りましょか。私は貴方のコネで私を新しい国軍の将にさせて欲しいのです。」


 山県は深く落胆して溜め息をはいた。この事のためだけに多くの味方の兵士が犠牲になり、膨大な時間と物資を費やした末に捕まってしまった。


 「兒玉よ、お主はよくわしを驚かせるのぉ」


 「しかし、貴方は私の実力を良くご存じのはずでしょう」


 山県はこれを兒玉の講和条件と読み、また、山県は兒玉の話す事、考えている事には非の打ち所がなく魅力があった。


 「わかった。だが、しばらくの間はわしの下で働いてもらう」


 この山県の一言と兒玉の承認によって越後の戦いは終わった。


 戦争そのものも翌年の明治二年、5月に五稜郭の戦いによる官軍の勝利により戦争は終わり、新政府は名実ともに日本の統治権を得る。

 日付けは旧暦ではなく太陽暦をとりました。

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