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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
16/83

第十五話:海軍事情

明治24年 東京 某料亭


 「大津での事件、お疲れだったな(あに)さぁ」

 と、十五朗は十三朗の盃に酒を注いだ。


 「なぁに、山県さんや西郷さんに『こうした方が良い』と言っただけさ」

 十三朗はそう言って弟の注いだ酒を舐めた。


 「ですが閣下のおかげであしの(あに)さんは仕事がはかどって大変感謝しています」

 言ったのは秋山真之である。


 十三朗が久しぶりに平川町にある自宅に帰ってきた時、丁度海軍にいた十五朗が帰って来ており、真之を連れて来て共に勉学に励んでいた。


 十三朗は気晴らしと言って、行き着けの高級料亭に二人を連れて行ったのだった。


 「秋山君、君の兄さはこれだと決めたら最後まで貫き通す男だね?」


 「はいっ」


 「だから騎兵を任せたんだ。騎兵はこれから必要になる」


 この言葉に十五朗と真之は即座に反応した。


 「兄さ、ひょっとすると日本は清と戦になるんか?」

 と十五朗は言った。


 「あぁ、朝鮮を巡って戦になる」


 「しかし、閣下」

 真之が口を挟んできた。


 「うん?」


 「閣下は北洋艦隊をご存知ですか?」


 「北洋艦隊……あぁ、北洋水師の事か」

 と、十三朗は手を叩いた。




 清国は列強との戦争や国内での反乱に手痛い敗北をした反省から、西洋技術の導入を計るため『洋務運動』を行った事を以前触れた。


 清は幾度の戦乱によって国力が衰退したとはいえ、近代化の規模と速度は日本を上回っていた。


 海軍も洋務運動の影響を受けた。


 北洋水師


 南洋水師


 広東水師


 福建水師


 と、四つの近代艦隊が整備され、このうち日本海軍から『北洋艦隊』と呼ばれる北洋水師は、山東半島の先端部の港湾都市威海衛を拠点に日本海軍を仮想敵と見なして配置されている。また、他の三水師に比べ最新鋭の艦が優先的に配備されており、この艦隊戦力だけで日本海軍の戦力を上回っていた。


 北洋水師には、大国清としての威信と近代化する海軍を象徴する二隻の艦がある。


 定遠(ていえん)


 鎮遠(ちんえん)


 と命名されたドイツのフルカン造船所で建造された甲鉄砲塔艦と呼ばれる戦艦で性能も当時最高性能を誇っていた。


 排水量は常備7,220t


 全長91.0m


 全幅18.3m


 巨艦で、装甲も厚い所で350mm、薄くても70mmと分厚く、現在の大砲では、この装甲を貫く術は無いと言われていた。更に主砲は30.5cm20口径連装砲と強力でしかも、世界で初めて回転式砲塔を2基4門装備されており、日本海軍の軍艦の中に定遠・鎮遠に勝らずとも劣らない艦は一隻も無くまさに、大人と子どもの差であった。


 この二隻を筆頭とした北海艦隊は明治24年に『親善』を名目とした威圧外交で日本各地の港に寄港し、各界要人を招待しての親睦会と称して定鎮・遠鎮の主砲試射等の性能を披露し、日本人に二艦の強大差を植え付けた。


 兒玉十三朗と十五朗に秋山真之も各々別の場所でこの艦の性能を目にしていた。特に、海軍兵学校を卒業して間もない十五朗と真之は、海軍将校の端くれとして暇を見ては共に対定遠・鎮遠の対決法を思案する日々に明け暮れていた。




 「つまり海軍さんは定遠と鎮遠が目の上のたんこぶで現状のままで戦になったら危うくなる。と言うわけか」

 と、十三朗は真之に尋ねた。


 「はい、あの二艦が喧嘩(海戦)の相手では分が悪いです。それに今の海軍の予算では定遠のような艦は買えません」


 「ふぅむ、成程なぁ」

 十三朗は腕を組少しの間考えた。この間に真之と十五朗は出されてある料理を口に運んでほうばった。


 海戦は野戦とは違う。海上には艦を隠せる障害物等は無く、常に艦の性能で勝敗が決する。


 「海軍に疎いわしが言うのも何だが、やはり新しい軍艦を買うしかないなぁ」

 十三朗は口を開いた。


 「兄さぁ、さっき秋山が言ったろが、海軍には定遠と鎮遠程の戦艦を買うだけの銭が……」


 「いややれ、『戦艦』を買うんじゃない」


 「じゃあ、何買うん?」

 十五朗が尋ねた。


 「足が速くて砲をどっと(沢山)撃てる艦だ。それなら、巡洋艦でもいい。清の様な堅艦巨砲が造れるなら足の速い軍艦だって造れていいこてね」


 「閣下、巡洋艦では戦艦は沈められませんぞな」


 当時の海戦における艦隊決戦では軍艦に搭載された口径の大きい大砲と数の差で勝敗を決める一因を担う。そのため、戦艦は巨艦であり、大砲を沢山搭載できる上に装甲も厚い。


 一方で巡洋艦はその名の通り、遠くの地まで遠戦するために設計されているため、ある程度のサイズはあるが、戦艦に比べれば小さく、攻守ともに劣るため戦艦を沈める事は出来ない。十三朗は陸軍だから海軍の知識が疎いため、軽弾みで言ったのかと真之は思った。


 「いや、何も『沈める』事にこだわらんで速い足を活かして、敵を翻弄させながら大砲を撃ち込んで艦の上の建造物を破壊しまくるんだ。そうなりゃぁ、戦艦もただの海に浮く鉄の塊に過ぎん」


 「…そうか、成程」

 真之は深く首を振って納得した反応に機嫌を良くした十三朗は、一つ戦国時代の話をした。


 『甲斐の虎』と称された武田信玄亡き後、織田信長が戦国の世に台頭し、天正三(1575)年には長篠の合戦にて信玄の子の武田勝頼が率いる騎馬軍団を三千丁の鉄砲を使用した事によって粉砕された。


 鉄砲隊と言う新しい兵種を軍の主力とした信長は一気に天下取りに乗り出し、勢力を拡大させていく中で天正五(1577)年、能登に進行中の四万の織田軍が加賀国の手取川に布陣中に雨の降る夜陰に紛れた上杉謙信の軍勢に夜襲を受け大損害を被り敗走した。この時、鉄砲は暗闇の中だったため的を絞る事が出来ず、更には雨の湿気のために火縄に火がつかず鉄砲が使えず、鉄砲隊は上杉軍に蹂躙された。


 どのような新兵器にも弱点というものは必ず存在し、そこを突くのが大将の素質であり、大将は敵が攻めて来ると予想する所からは決して攻めず、予想外の所から攻め込むものだと十三朗は言った。


*****


 定遠と鎮遠による威圧外交は清国側の予想とは裏腹に、日本海軍の戦力増強に拍車が掛った。帝国議会では、海軍の軍備拡張のための予算が可決され、日本初の戦艦富士と八島の発注が決定した。




 後に日本は、国家の存亡を賭け幾度となく諸外国との大戦争を繰り広げていく。その都度、日本海軍は『連合艦隊』という主力艦隊を繰り出していき列強諸国に強い存在感を示していく事となる。


 明治24年に、二人のコンビが日本海軍を世界に通用する強大な海軍へと改革し、『連合艦隊』を作っていく事となる。


 一人は山本権兵衛(ごんのひょうえ)といい、周りからは『ごんべえ』と呼ばれるので、その名で通す薩摩国加治屋町出身の男で、戊辰戦争の時は年を誤魔化して薩摩の藩兵として従軍して各地を転戦した。戦後は特に何かにしていこうとは考えず、相撲取になろうと思っていた所、同郷の西郷隆盛の説得を受けて旧幕臣の勝海舟の下へ師事した。その後、海軍兵学校の前身の兵学寮第二期生に入り、創設されたばかりの海軍に入った。


 この時代、権兵衛のみならず当時の薩摩隼人の大人から子どもまでが、何らかの考え等が相手と食い違い、埒が明かなくなったら最後の手段として拳で語り合う習慣があり、年や階級を問わない。


 兵学寮時代、同期にして同郷の東郷平八郎と意見が対立してもめた。結局、白黒つけるために喧嘩となったが、軍人である以上拳で語り合う事が出来ず、マスト登りで勝負を着けたり、講義の祭これはこうではないのですかと、日本人の新米講師に意見した。講師も意地を張り反論すると、『お前は実戦を経験した事があるか!?』と、自身の戊辰戦争での実戦経験を下に、何時いかなる時に兵を動かすかを艦に応用させた考えを述べて講師を言い負かせた。


 また、行動も大胆である。彼が若い海軍士官であった頃は、薩摩の人間だけしか海軍に入れず、権兵衛はいわばエリートであった。そのため、海軍士官達は薩摩士族の令嬢を妻に迎える者が多かったが、権兵衛はある日、同期と品川青楼にいった際、そこの若い遊女の一人に新潟からきた登喜子という娘がいた。彼女は貧しい漁村の家の三女であるため遊女となった。


 登喜子の身の上と華麗さに心を奪われた彼女を権兵衛は自分の女にする事を決心し、直ぐ様同志を募り、ある晩に仲間と共謀して品川青楼から登喜子を連れ出してしまい、そのまま権兵衛の妻とした。この事態は当時、薩長の時代であり、海軍は薩摩の人間に権兵衛の知人が多きいたために不問とされ事なきをえたのだった。


 その後、権兵衛は巡洋艦高雄に高千穂の艦長を歴任し、明治24年に陸に上がり海軍大臣官房主事となった。この時の階級は大佐で異例の職務であった。この人事を行ったのは海軍大臣兼内務大臣にして、陸海軍中将の西郷従道である。


 権兵衛と従道には直接の接点はなかったが、兄の西郷隆盛は、かつて相撲取になろうとした権兵衛を説得させ海軍に入れた過去があった。


 兄が見込んだ男であり、また、権兵衛の噂は陸軍にいた頃から耳にしており、かなりの切者と従道は思ったからであった。


 権兵衛にとって従道の海軍大臣就任には難色を示した。従道は長い間陸軍に居たため何かと面倒が生じるのは目に見えていた。


 そのため、権兵衛は従道のために今後の海軍の政策を示した大量のレポートを提出した。後日、権兵衛は従道にレポートを読んだ感想を尋ねたが、従道は読んでいない、と言った。権兵衛は最初ばかりは海軍に慣れるため忙しくて読む暇がないと思ったが、その後もレポートを読んだかと聞く度に、読んでいないと返して来るのでついに堪忍袋の緒が切れた。


 「閣下!何故おいの報告書を読まんのですか!」

 権兵衛は眉間に皺をよせて従道に怒鳴った。しかし、当の本人はニコニコしていた。


 「おはん(お前)は上官のおいによくそげんな態度がとれるな?」

 と従道は言うと、おはんの様な人の階級をいちいち気にしていたら、何時までたっても海軍は三流のままです!と怒鳴った。


 ((あにょさ)の言う通り、この男は使える)

 と従道は思い、高らかに笑いだした。



 「山本はん、おいは長い間陸軍にいもうした。じゃっけん、いまさら海軍の事など頭に入りもはん。そいで山本はん、ここは一つ海軍の政策はおはん一人に任せよ思いました。おはんの仕事に何か問題が起きればおいがそれを掃除します」


 従道の心中を知った権兵衛は、先程までの怒りが何処かへと吹き飛んで行った。こうして、一大佐の身分の権兵衛が一人で海軍を改革していく大義名分を得た。


 この時期で権兵衛が行った政策の事の中で特に力を注いだのは人事の刷新であった。


 2年かけて『予備役編入者名簿』を作成し、明治26年に従道に提出した。予備役に編入されるのは将官を8名、尉佐官89名の計97名に上った。この中には海軍軍令部長や権兵衛と親しく付き合って来た薩摩出身者が殆んどであった。


 流石に従道も眉をひそめたが、全てを権兵衛に任せたため、人事刷新を承認するしかなかった。


 後日、名簿に載った97名の将校を海軍省の一室に集め、予備役編入の件を伝えた。この事を伝えるのは従道の仕事であったがあえて権兵衛がこれをした。


 当然、97名の将校は不満をあらわにした。


 「この人事を決めたのは誰だ!」

 一人の将官が権兵衛に大声で問掛けた。おいです。と、権兵衛はあっさりと答えたら、途端に97名の矛先が一瞬にして権兵衛に集まり、罵声が飛んだ。


 「おはんは大佐の分際で何を考えている!」


 「こんな事では海軍は弱くなるばかりだ!」


 「これで軍の秩序があったものではないわ!」


 など云々と似たりよったりの罵声を権兵衛は微動さにせず黙って暫く聞いていると、誰もが言う事を言って何も言わなくなった。


 「おはん等に聞くが…」

 と、権兵衛は口を開いき、装甲艦の仕組みを言える者は居るか?と尋ねた。すると、彼等は互いの顔を見渡すだけで誰かが装甲艦の説明をして来る気配をみせなかった。


 また、少ししてから、今の世界海軍の情勢を詳しく話して、日本海軍がどのようにしていけばよいか話せる者は居るか?と尋ねたが誰一人話せる者は居なかった。この時、権兵衛の目付きは獲物を狙う虎の様に鋭くなっており、いよいよ周りをこの視線で圧倒してきた。


 「おはん等は、御一新(明治威信)の時にただ薩摩出身者だった者や、幕府海軍の船乗りなだけが偉くなっただけで緑に今の海軍情勢に疎い者ばかりだ」


 最早、誰も言い返す者は無く、先程までの威勢は消え失せ権兵衛の独壇場と化していた。


 「海軍は、艦隊や艦を操るには優秀な人材がいる。おはん等がいなくても西洋の海軍教育を受けた若っかもんが立派に海軍を引っ張って行く……海軍のため、日本のためと思うのならどうか私情を捨ててくれ」


 こうして将校等は一人、また一人と力無く次々と部屋から出ていき、最後に残ったのは数名の権兵衛の友人達であった。


 「…許してくれとは言わん、申し訳ない」

 と、権兵衛は席を立ち、頭を下げた。


 「山本はん、おはんの言う通りこの人事が海軍のためならおい達は何も言わず海軍を去り申す」

 と、一人が言うと、後の数人も頷いた。


 「すまん」

 権兵衛は目に涙を浮かべた。



 人事刷新が行われていく中で海軍の新型艦が続々と配備されていった。


 松島


 厳島


 橋立


 と、日本三景から名をとった最新の防護巡洋艦を筆頭とし、国産初の巡洋艦も一隻就役させた。


 秋津洲


が、それである。


 更に、定遠・鎮遠に対抗するため、当時としては最速23ノットを誇った巡洋艦


 吉野


を就役させた。これは、15ノットしか出せない定遠・鎮遠に対し23ノットの最速で翻弄させ、小口径の砲で打撃を与え、最終的にはスクラップに追い込むという作戦であり、偶然にも兒玉十三朗が秋山真之に話した戦略がそのまま海軍戦略と同じであった。

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