第十三話:好古 後篇
明治18年12月に好古達、陸軍大学校の第1期生が卒業した。だが、当初は19名いた学生のうち卒業できたのは半数の10名が卒業した。
その10名の卒業者達のために陸軍大学校に各界の著名人が集まっていた。
「騎兵中尉秋山好古君」
「ハイッ!」
好古は叫ぶように返事をして、中央に設置された階段を上がり陸軍大学校初代校長の兒玉源太郎の前に立った。
「参謀職務認証書を授与する……しっかり頑張れよ」
と、兒玉は好古に参謀資格書を手渡した。
こうして好古は陸軍大学校を卒業し、明治19年の4月まで参謀本部勤務をしていた。その後、東京鎮台参謀となり6月には大尉に昇進した。
そして、同じ騎兵で一階級上森岡正元大尉と共に在京の騎兵将校を集め『騎兵会』を結成し、階級をと問わず酒を飲み交わしながら日本騎兵の将来を憂い、愚痴をこぼしながら今後の騎兵の展望を話し合った。
こうして好古が騎兵将校として充実していた頃に大事が舞い込んできた。
フランス留学中の旧松山藩主久松定謨が同国のサンシール士官学校への入学が決まった。そこで、その補導役に好古が選ばれたのだ。
選ばれた好古にとっては困っ話だった。
(今は誰もがドイツに留学する時世で、フランスに行くとは、困ったことになったぞな)
近い将来にドイツ留学を考えていた好古であったが、先祖代々からの主従関係は明治の時代となっても易々とは絶つことは出来ず、松山にいる父の面目を考えれば断ることもできなかった。
返事を留保しているうちに松山から久松家の家令藤野漸が好古の借家に訪れた。
「是非とも信(好古の幼名、信三郎)さんには定謨様の補導を承ってほしい」
「………」
「信さんは将来陸軍の担うためドイツに留学したい事は重々承知している。しかしそこを何とか曲げてはくれまいか?」
「………」
「……やはり、駄目か…無理もないのかのう。信さんが無理なのなら仙波に頼むしかないかのう」
(仙波に!?)
藤野の言葉に好古は異様な反応をした。
仙波太郎―旧松山藩出身で好古より四つ年上であり陸軍士官学校第二期学生の歩兵科であり陸軍大学校同期で卒業時の成績は第三位であり、好古とは良い酒仲間であるが彼は武士ではなく庄屋の子である。
旧藩主-華族-の補導役が武士以外の人間が選ばれたのであれば好古の立場は無くなる。
「この秋山、渡仏いたします」
「そうか、かたじけない!」
藤野は好古に近寄り、彼の手を強く握り取った。
(藤野様には一杯食わされたぞな)
秋山は思った。
こうして好古は軍服に飾られた黄金色の参謀肩章を外すこととなり、出世への道が遠ざかってしまった。
*****
「フランスにいくのか?」
と、好古の上司で東京鎮台司令官の三好重臣中将は言った。
「はい」
「騎兵会はどうするのだ?」
「盛岡大尉に頼んであり、問題はありません」
「私費留学になるぞ」
「久松家より手当がきます」
「そうか……」
好古に将来の参謀として高い期待を抱いていた三好は彼の渡仏は反対でありどうにか思いとどまらせようとあれこれと言ったが遂に兜を脱いだ。
「では、私はこれで失礼いたします」
そう言って好古は三好に敬礼をして指令室を出ようとした時、後ろから三好が呼び止めた。
「何かあったら手紙をよこせ、力になってやる」
「はっ、ありがとうございます」
好古は再度敬礼をして指令室を後にした。
明治20年7月25日、横浜港を出港しフランスのパリへ向かった。
*****
渡仏は好古にとって最良の結果となった。大陸の列強国・文明国としてその培ってきた騎兵の伝統に触れていき好古にとって宝庫のようであった。
「フランス騎兵の馬術はドイツ騎兵のそれとでは比べ物にならん位に立派なもんぞなもし」
好古もまたサンシール士官学校でフランス騎兵を学んだ。そのために馬1頭を購入し馬の世話をする人間も雇い、このため久松家の手当てがあっても常の食事がパンとチーズだけの質素なものとなる日が続いたが、常に質素を主んじていた好古にはこれと言ってさし支えがあるものではなかった。
こうして好古がフランス騎兵に浸っているうちに一つの結論にたどり着いた。
「日本騎兵はフランス流のままが良い」
と好古は考えたが、ドイツ式に転換されつつある日本陸軍の中で騎兵だけがフランス流で通すのは無理があった。
そんな時に転機が訪れた。明治22年、山県有朋陸軍中将兼内務大臣がヨーロッパの地方制度の視察のためにパリを訪れた。これは内務大臣としての面でありもう一つの面は日本の指導者の一人としてドイツ式に転換したことで冷えきった日仏関係の改善のためにパリを訪れた。
挨拶を兼ねて山県の宿泊するホテルへと向かった。ホテルには軍人や外交官等様々な役職のため渡仏した在仏日本人でごったがえしていた。
好古は順番を待ってから山県のいる部屋に入った。そこには山県についてきた武官や文官などがおりその中央の椅子に山県だけが腰を下ろしている。
山県は好古の事を知っていた。かつて戊辰戦争で共に戦ったい、好古の上司であった三好重臣から彼の話を聞いていた。
「秋山大尉であります」
「君が秋山か三好から話は窺っている」
「そうでありますか」
これが好古と山県の初交渉であった。その後も山県は好古をちょくちょく呼び2,3会話をして終わるが繰り返されたが次第に会話の量も内容も増えっていった。
そしてある日の事、
「これを南仏のリヨンで静養中の高官に届けてほしいのだが」
1年間フランスに滞在している好古はフランス語にも堪能しており些細のない仕事ですぐに引き受けパリ駅から汽車に乗りリオンへ向かった。ここで好古は油断をした。長い道のりのため、旅の共に携えていたブランデーを飲んでいたらつい居眠りをしてしまった。
*****
好古が目を覚ますと、前の席に見知らぬ日本人の少年が本を読んでいた。
(こりゃぁ、夢か?)
好古があくびをした丁度に少年は彼に気付いた。
「目が覚めたか、秋山大尉」
と、少年は言った。
「君は誰ぞなもし?」
「兒玉十三朗」
「!あなたは兒玉閣下でありましたか!?」
好古は一気に酔いと睡魔から覚め、敬礼をしようとしたが、十三朗は手を前に出して制止させた。
「いいんていいんて、んげなこったぁ(そんなこと)こつけとこ(こんなところで)でしのうて(しなくて)」
「はぁ、ところで閣下もリヨンに用があるのですか?」
「いや、んなに用があって山県さんから居場所を聞いてすっ飛んできたんだが…しっかし秋山、気をつけろや」
「?」
「んなが酔っぱらって寝込んでた時に物盗りがんなのそればぁかっぱらおうとしとったぞ」
と、十三朗は好古の荷物に指をさした。
「そうでしたか、危うく失態を犯すところでした」
「何ね、気にするこたぁない。まぁ、そんげこたぁいいとして早速本題に入ろうか」
ニコニコしていた十三朗の顔が一変して真剣になった。
「はい」
「騎兵についてんなの考えを全て聞きたい」
好古は今まで培ってきた騎兵概念・展望などまた、いままでのうっぷんをはらすかのように騎兵を軽視してきた陸軍の体制も指摘した。
十三朗は黙って好古の話を聞いていたが途中で、汽車は途中駅に着いた。
「わかった、もういい!」
と言って話を中断させた。
「大体の話はわかったわ。秋山大尉、んなに日本騎兵の全てを任せるすけ、面倒な事があったらわしに言えや力になるすけに」
十三朗は席を立ちあがった。
「閣下はここで降りるのですか?」
「ああ、まだわしにはやることが山ほどあってなぁ、また他所に行かにゃいけんて」
そう言って十三朗は汽車から降りた。
好古は汽車の窓を開けて十三朗を見た。
「閣下、恩に着ます」
「気にすんなや、これも日本のためだかんな、秋山こんだぁ日本で会おう!」
「はい、閣下もお元気で!」
好古を乗せた汽車は汽笛と鳴らして走り去って行った。
(秋山好古、想像通りの使える男だ)
と、十三朗は思った。