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if 明治興亡記  作者: 高田 昇
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第十一話:馬

明治21年 

 陸軍は前年から埼玉県所沢の一帯を買収し、兒玉十三朗中佐を責任者とした『陸軍気球審査団』は5月25日の晴天の日に初の気球有人飛行試験を行った。


 気球は、1783年にフランス人のモンゴルフィエ兄弟が初の気球有人飛行に成功させ、フランス革命戦争(1792~1802)では、フランドル戦線でフランス軍が敵情視察と着弾地点観測のためにガス気球を使用した例を除いて戦闘に投入した例がない。


 日本では、明治10(1877)年に教育用理化学機器を製造する島津製作所の所長島津源蔵が同製作所で開発されたガス気球に乗り、日本人初の有人飛行を行い36mまで上昇した。


 兒玉十三朗はこれに目を付け、『陸軍大改革論』の作成の後に軍が島津製作所に高性能の気球開発を要求して今に至った。


 飛行場には、山県有朋を初めとする陸軍の主要人物に各師旅団長とその参謀達がいた。彼等が見守るなかで気球はゆっくりと高度を上昇させていった。


 気球には兒玉十三朗と研修を受けた大尉と中尉の三人が乗り込んでいる。


 「やぁや、こりゃぁばかひどい(すごい)ったらありゃしねえて。下にいる人間が粒にしか見えねぇわ」

 と、兒玉十三朗は上機嫌で二人の尉官に方言の入った新潟言葉で喋りかけながら、周りの景色を子どもの様に身を乗り出しながら見渡していた。現にその様にしか見えていない。今年で四十一の中年になるというのにその外見は少年そのものであった。


 すると、閣下。と望遠鏡で下を覗いていた大尉が十三朗を呼び、

 「目標を発見しました」

 と言った。


 「どこだば?」

 十三朗は大尉の方に体を向け手にしていた望遠鏡で指示された場所を見た。


 所沢の西にある貯水池に陸軍部隊が布陣をしていた。これは、予め飛行試験と同時に気球による偵察任務の能力も検証するために敵役の陸軍部隊の所在は気球の乗員には秘密にされていた。


 「いたぞいた!中尉、『所沢の西の貯水池より連隊規模の敵部隊を発見』と紙に書いて下に落とせ」


 命令を受けた中尉は書いた紙を金属製の筒の中に入れて地上に投下した。


 地上の陸軍首脳達は落ちてきた筒を拾い、中に入っていた紙を見て一同の意見が一致した。


 後に、所沢の陸軍気球審査団は『気球第1連隊』と改編され、各師団には連隊規模を、独立旅団には大隊規模の気球部隊の編成される事となった。


*****


同日25日の晩 東京 山県邸


 「ご苦労だったな兒玉」

 と、山県は十三朗の盃に酒を注いだ。


 「なぁに、対した事ではありませんよ」

 と十三朗は酒をなめた。しかし、彼がしっくりしていない事に山県は気付いた。


 「どうした兒玉。浮かない顔をしおって?」


 「わかりましたか山県さん」

 十三朗は言った。


 山県は、主とは明治始まって以来の付き合いではないか。と言って笑った。


 十三朗は舌を出し、軽く後頭をポンッと叩き『一本取られた』という表情をした。


 「まぁ、山県さんのおかげで気球に大砲、機関銃と私の頭に画いた部隊に近付きましたがね、山県さん。騎兵についてどう考えとります?」


 十三朗の問掛けに山県は腕を組んで考えた。


 「騎兵かぁ、昔の騎馬武者とは違い将兵問わず乗馬する兵種の事であろう。それが主の悩みの種か?」


 十三朗は苦々しく思った。


 山県をトップとする陸軍には騎兵について関心を持つ者は殆んどいなかった。


 原因は騎兵という兵種が日本の国防事情、地理、経済に合致しなかった事にある。


 騎兵は、その高い機動力を活かした偵察、伝令、奇襲、追撃、側面攻撃、背面攻撃、後方攪乱等と多目的任務をこなす当時の列強国陸軍の花形兵種であった。


 18世紀、プロイセン国王ヒリードリヒ大王が騎兵を決戦用の胸甲騎兵、偵察・奇襲・追撃専門の軽騎兵、胸甲騎兵と軽騎兵の中間に当たる竜騎兵の三つに分けられ、以後の列強国陸軍騎兵部隊の主流となった。


 そして近代、隣国のロシア帝国の有するコサック騎兵が質と規模ともに世界最強の座についていた。


 列強国陸軍を模範とする日本が騎兵を重要視しなかった理由の一つは、以前も記述をしたが、創設当初の陸軍は『鎮台』を設置して、その主任務は国土防衛であり、険しい山岳が国土の八割を占める日本では平地を駆ける騎兵は適さなかった。


 その後、鎮台から外征能力を得た師団になっても騎兵は大隊規模にしか増強されなかった。


 理由は、騎兵は『作る』のではなく育成するからであった。仔馬の頃から育成するためにかかる資金や時間は他の兵種より膨大であったためであった。また、馬について他にも問題があった。


 かつて、日本の在来馬による日本騎兵を見たある外国人将校が、馬のような馬。と、皮肉った。


 日本の将校は言い返す事ができなかった。日本の在来馬は馬格が小柄で短足で持久走が駄目であった。


 そこで陸軍は外国から雌馬を数頭を輸入し、日本馬との間で品種改良した馬を繁殖させるているが、数が揃わないのが現状であった。


 馬だけでなく、日本人の歴史観にも原因があるだろう。


 戦国時代、日本最強と言われた武田騎馬軍団が長篠の合戦で織田・徳川連合軍の三千の鉄砲隊によって一方的な敗退をした。その後の歴史上で大規模な騎馬軍団が編成された例がない。


 近代、銃火器の発達と普及が目覚ましくなり、騎兵も大きな的となり被害が多きくなる傾向にあるが騎兵の機動力はまだ重宝視されていた。


 (騎兵も大事な兵種の一つだ。騎兵を増やさんといけんがはてさて、どうしたもんか……)

 と、十三朗は考えながら酒をなめた。だが、彼の脳裏には騎兵が駆け回っており、酒を味わう事が出来なかった。


 十三朗の悩みを解決出来る人物が今、フランスに留学している事実を知るのは後少し先の事であった。

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