プロローグ
1906(明治38)年アメリカのポーツマスにて、500余日に渡り満州を舞台に繰り広げられた日露間の戦争は終結した。
ポーツマスで行われた講和会議の大間かな内容として、大日本帝国がロシア帝国に対して以下の要求した。
1、ロシアは、韓国に対する日本の主導権を認める事。
2、ロシアは、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道と付属利権を日本に譲渡する事。
3、ロシアは、日本に樺太島を割譲する事。
4、ロシアは、日本に賠償金15億円相当の金を支払う事。
この四つを主な講話条約の内容としては日本が完全優勢の条件であったが、ロシア帝国にとって屈辱的な講和条件をロシア全権ウィッテにロシア帝国皇帝ニコライ二世は受諾せざるをえなかった。
何故なら、海上では大日本帝国海軍の連合艦隊が、数で上回る旅順・ウラジオ艦隊と欧州バルト海から大迂回してきた本国艦隊ことバルチック艦隊を撃滅させた事によりロシア海軍を壊滅させた。
満州の戦線では、遼陽、奉天の両会戦でロシア陸軍に決定的大打撃を与えつつ、大日本帝国陸軍は損害を微少に抑え、膨大な物資、戦力、予備戦力を保持していた。また、帝国陸軍の別動軍はロシア帝国領、極東の大拠点ウラジオストクと樺太島を占領した。
奉天会戦で捕虜となった極東軍総司令官クロパトキンは奉天で降伏調印にサインした事により、満州に展開しているロシア陸軍は事実上壊滅した。
世界最強にして『世界の警察』と呼ばれたロシア陸海軍が極東の弱小国の日本に完膚なきまでに叩きのめされたため、ロシア国内では厭戦気分が高まり皇帝と政府に対しての国民からの支持は底落し、各地で反政府デモが発生した。ロシア帝国は日本以上に戦争継続が困難となり講和に応じ、結果外交面においても屈辱的な敗北をして、かくしてロシア帝国は列強から三等国に転落してしまった。侵略によって発展した帝国が侵略によって衰退していったのだった。
この戦争で大日本帝国陸軍の完璧な勝利をもたらした大きな要因人物は、陸軍第三軍司令官の兒玉十三朗大将であり、この物語の主人公となる。
奉天 第三軍司令部
兒玉十三朗は新聞を読みポーツマス条約の締結と条約内容を読んでいた。その斜め横の机に座っているのは第三軍副司令官の乃木希典中将で、兒玉十三朗と同じく新聞のポーツマス条約の欄に目を通していた。
兒玉十三朗と乃木は無言で新聞を読むのとは対象的に司令部にいた将校等は喜び騒いでいた。
「いやぁ、たいしたことのない戦争だったな」
「我が、大日本帝国は神の国じゃげ、どこの国にも負けるわけなか」
兒玉、乃木のうち沈黙を破ったのは兒玉だった。兒玉は椅子から立ち上がり、笑顔で将校達を見渡して言った。
「諸君、知って通りに戦争は我が大日本帝国の大勝利に終わった。諸君の働きがこの勝利に導いた。この兒玉十三朗、改めて礼を言う。本当にありがとう」
兒玉はそう言って参謀達に頭を下げた。
将校等は話しを辞め椅子から立ち上がり、兒玉に向かって頭を下げ返した。
「しかし、戦争に勝ったと言って喜んでばかりではいかん。この勝利に酔っていてはいずれ日本は平家のようになる。また、ロシアとの戦争に勝てたのは決して日本が神国で神仏様の加護があったわけではない。開戦前からロシアに勝つための戦略、戦術を練り、士卒達の命を賭けて戦った賜物だ。決して忘れないで欲しい」
そう言うと兒玉は全員の顔を見渡して椅子に座った。
将校達は静まりかえり、各々の職務に就いた。
その後、兒玉十三朗は司令部を後にして各地に配置された第三軍隷下部隊の視察に行った。
各々の部隊を視察した兒玉が最後に訪れた部隊が奉天会戦中に第三軍指揮下に配属された秋山好古少将が指揮する騎兵第一旅団である。
第一騎兵旅団は、帝国陸軍が保有する二個騎兵旅団の一つで、騎兵部隊としては最大の単位である。
司令部が先に打診しておいたため、第一騎兵旅団の副官中屋新吉大尉が出迎えに現れた。兒玉は馬上で中屋大尉に軽く敬礼をしてから尋ねた。
「秋山少将は?」
「司令室に居ります」
「そうか、じゃあ案内してもらおうか」
兒玉は馬から降りながら言った。
「はっ、こちらでございます」
中屋大尉は兒玉と、従兵を司令室に案内した。
旅団司令室と言っても大層立派な所ではなく、戦場にほど近い村落の一軒の一室を好古が陣取っているだけだった。
薄暗い司令室に好古は一人でいた。薄暗い部屋の中でろうそく一本を灯しながら小さな机に覆っている現地の地図と睨んでいた。
好古には参謀が一人も率ない。彼が陸軍士官学校に入った頃、騎兵は影の薄い兵科であり、能力も規模も世界水準を大いに下回っていた。
その世界一最弱な日本騎兵を好古は一人で改革を行い、約二十数年で日本騎兵を世界水準に引き伸ばした。その経緯があり好古は、あしが騎兵を作ったから騎兵のこと一番知っているから、参謀は要らないよ。と自分以上に騎兵を知る軍人がいないと言って参謀は置かなかった。
「秋山閣下」
と、戸の反対側から中屋の声が聞こえた。
「おう、来たか。お通ししてくれ」
好古は兒玉が来たと察して戸の向こうの中屋に言った。戸が開き、中屋、兒玉、その後から従兵の三人が入って来た。
「兒玉閣下、視察に来ると知っていながら私自ら出迎えできなく申し訳ありません」
「いや、そんな事はいい。所で秋山少将、今朝の新聞で戦争は今日終わったが、それでいてなぜ地図を見て作戦を練っている?」
兒玉は尋ねた。
「戦争が終わったことは存じて下ります。斤候の報告では、ロシアの残存部隊が不穏な行動を立てております。その為の万が一に備えた作戦と報告書を作成しておりました」
と秋山は答えた。
奉天会戦後、ロシア陸軍の残存部隊が各地で日本陸軍と小規模な戦闘を続けたが、優勢な日本陸軍の前に日増しにロシア兵の死者が増える一方だった。
「そうかぁ、で、彼らが作戦行動を起こすのは、いつ頃になるかね」
兒玉は眉を秘そた。
ロシア軍は決して終戦を知らないわけではなく、世界最強としての誇りがそれを認めず、そのため勇敢な日露両軍の若者達が犬死にしていくことを兒玉は憤った。
「早くても一週間先に成るでしょう」
二、三日後の作戦行動を好古は否定した。
「わかった。その件はこちらも対策を練ろう、秋山少将、久しぶりに酒を飲もうか」
兒玉は話題を変えて、好古の好きな酒の話しに切り換えた。
兒玉は従兵に合図して、携えてきた日本酒を取り出させた。
秋山も喜んで話に乗り、数本のグラスを出して持ってきた日本酒をつぎ始めた。
「おい従兵、んな(お前)もそんなとこに突っ立ってないで一緒に酒を飲め」
兒玉は立っていた自分従兵に手招きをして呼んだ。従兵は喜んで来た。
兒玉は従兵のグラスに酒をつぎこんだ後、音頭をとっリ、我が帝国の勝利に乾杯!と叫んだ。
兒玉が酒をなめた。他の三人は酒を喉に流しこんだ。
「兒玉閣下、一つ御尋ねしたいのですが」中屋が酒の勢いを借りて尋ねた。
「あぁ、何かな」
「ロシアはこれからどうなるのでしょうか」
「そうだのぅ、ロシア帝国は国家としては末期的状況じゃった。その所に今回の敗戦と15億円の賠償金を支払わねばならん。15億円たぁ、ロシア帝国の国家歳入の四分の一じゃ」
そう言って酒をなめて一息つけて、話を続けた。
「わしゃぁ、ロシアから日本を守るため陸軍を改革した。少なくともロシア陸軍に勝らずとも劣らない実力、勝つとしても六分勝ちの出来る陸軍を作ったつもりだったが、ここまでロシア陸軍を完膚なきまでに叩き潰せたとは思ってもみなかったわ」 酒の肴のたくあんを一口かじった。
「わしら、軍人は国家の敵を倒すのが仕事で、それだけが仕事じゃ。ロシアとの講和は政治家の仕事じゃ。しかし、賠償金まで取れるては思いもよらなんだわ。これからのロシアの国民は貧困に陥ると考えているよ。それからなぁ中屋、これからが戦争以上に大変になるかもしれんぞ」
「それは、どういうことですか?」
中屋は尋ねた。従兵もこれから兒玉が語る話しに耳を傾ける。
「さっきも言ったが、多額の賠償金を支払った、そのせいで多くのロシア国民は貧困に苦しむ『こうなったの日本のせいだ』と言ってな。今度はロシア国民が一丸となって日本憎むことになる。ロシアが再統一されたあかつきには隙あらば日本に対決するかもしれん」
「秋山少将、貴方はどう考えとるかね」
兒玉は視線を秋山に移した。
「閣下と同意見です。もし、日本が賠償金を得なければロシアは恐らく社会主義国家に生まれ変わった筈でしょう。しかし、賠償金を支払うという現実では、これからロシアの社会秩序が大きく乱れるでしょう」
酒を飲んでいる秋山だが、話は冷静だ。最も彼はいついかなる時も水筒に詰めた酒を飲ことことで有名だ。
「閣下、最後にもう一つ御尋ねします」
「ああ、いいよ」
「これからの日本の敵はどの国になるのでしょうか」
「アメリカだろうなぁ。あの国はロシアとの戦争の仲介を買ってでたのは国際的発言力を得るためだけではなく、ロシアの満州進出を阻止したいからじゃ。ロシアの満州進出が失敗した今、満州は空き家も同然だ。当然日本は黙って見て見過ごすはずはない。ロシアに変わって進出するはずじゃ。アメリカもロシアという大国がいなくなった今満州に進出してくるだろう。そうなれば、いずれ日本と衝突するはずじゃ」
「仮にアメリカと対決するならば、日本は勝てるでしょうか?」
兒玉がグラスを置いて、たくあんをまた一かじりして、一息ついてから言った。
「今の現状のままでは色々な面で完全に劣る。勝つには日本のあり方を変える必要がある」
「あり方を変える?」
中屋と従兵は顔を見合わせて頭を傾げた。
「口で言えばきりがないがな、しかし、そうしなければ日本はいずれ平家になる。『平家を滅ぼすものは平家』、『日本を滅ぼすものは日本』と言うことになる」
兒玉は酒をなめた。他の三人はグラスの酒を飲み干していた。
「御一新(明治維新)の頃からの癖での。飯や酒はちびちびと味わって食っていかんと落ち着かんでいかんわ」
そう言って兒玉は立ち上がり窓を見た。外は日が沈み暗くなっていた。月日は10月、満州の大地はとても寒い。酒が効いてきて兒玉の脳裏に若き日々の出来事が走馬灯のように駆けめぐってきていた。