人によっては暗黒史と書くかもしれない
夕方になって目を覚ましたマノンが、布を重ねたベッドの上にぺたんと座り込んで長い髪を垂らし、相変わらずの恐ろしい速読を披露した。
「さっきまで吐きそうだったのに、凄えな」
「東半島って、文字も少し違うはずなのに……」
俺とリルは感嘆の声に僅かな疑問を織り交ぜながら、ただただ邪魔をしないことが精一杯のできることだと悟った。
大人しく待って、しばらくするとマノンがげんなりした声で言ってくる。
「これ、情報提供ではなくてただのラブレターでした」
「その一通で二十枚ぐらい無かったか?」
「以降は『吐き気の塊』と書いて『ラブレター』と呼ぶことにでもしましょうか」
「マジでやめろ。出した人に悪すぎる」
「相手は十四歳のロリですよ……? いい大人がなにを綴っているのですか」
「その調子で俺のことも諦めてくれないか?」
信者の多くは三十代から五十代と言ったところだろう。
血気盛んで戦力として見込みやすい若い人間が、それほど多くないのは……。まだ戦争が終わったばかりだからだ。
やはり血気盛んな人間のほうが死に急ぐ傾向というのはある。
「そういやパティも、統一直後には大量のラブレターをもらっていたな」
「あの奴隷賢者が?」
「十九歳で身長小さめの眼鏡巨乳だからな。顔だってお前らと並んでも違和感ないんだ。これで抜群に頭も良いとなれば、そりゃモテる」
「へえ。女の人はちょっとバカなぐらいがモテるのだとばかり思っていたのです」
マノンは意外そうに言葉を口にしたが、まあ、パティの場合は運動神経がゼロというところもポイントになる。
戦場で小石に躓いてずっこけるタイプであり、それがバカっぽく見えることもある。人によっては魅力的なギャップとして受け取ったのだろう。
第一師団の中での人気も上々だった。
最年少の天才賢者で、自分より地位が低い人間を全力で見下すから結構ツンケンしているのだが、時折見せるドジッぷりとそれを取り繕う拙い自己弁護が身近に感じられると評判だった。
中にはパティのことを妹や娘のように感じている人もいたぐらいだ。
「ま、あいつは一年近くかけて顔と名を売ったわけだが、マノンはたった一日だ」
「別に、競ってはいないのです」
「そうか? ちょっと不満そうだったけどな」
「違います!」
感情的に否定されて、俺は手を前に翳しながら苦笑いを浮かべた。
するとリルが少し疲れているのか、珍しく何も言わず、静かに地面へ腰を落とす。
こいつは凜とした所作で居続けられるタイプだから、誰か一人でも立って会話をしていれば勝手に座らない妙な律儀さがあるのだが。
「大丈夫か? 睡眠薬なんて突然効果が消えるものじゃないだろうし、無理するなよ」
「ん……。ちょっとまだ、目眩がする……かな」
「言いたくないが、熱くなって言い争うからだぞ」
「だって――っ! ……その…………、ごめんなさい」
「なにを謝ってるんだよ」
「寝取られのこと……ただ、黙ってただけだったから……」
シュンとする姿は、本当に悪いことをしたと思っていると伝わるに十分すぎた。
でもやっぱり、謝られる理由はわからないな。
「そりゃ、リルのそれが治っているというか、変わっているなら嬉しいよ。でも俺は無理をしているリルと一緒にならなくてよかったと思ってる。――――前にも言っただろ。お前は自分のことを押し殺しすぎだ」
「……うん。そう、かも。――――嫌われたくなかったから、つい」
「ヒロインの話はともかく、今さら嫌うわけないだろ」
だが、困ってしまうこともあった。
アランさんに『妊婦を寝取られるという選択肢も!』なんてとんでもないことを口走って熱く語っていたリルの姿は、ここ最近の棘が無くなって丸っこい性格の彼女に比べて、比較にもならないほどの刺激と魅力を放っていていた。
それを微笑ましく思いつつ、まるで久しぶりの再会を果たしたかのようにして俺の胸は僅かに高鳴ってしまったのだ。
…………これ、俺も結構な重症かもしれないな。
本当に困った話である。
「終わりましたよ。全て読了です」
俺とリルの会話が終わってからすぐ、マノンはそう言って顔を上げた。




