マノン② 憧れの世界と模倣犯
マノンが目を輝かせて、日本の引きこもり環境を問うてくる。
「ライフライン、止められたりしない!?」
「あはは。電気と上下水道、あとガスとかネットは、まあ親がいる間は止められたりしないと思うよ」
正確には一度部屋のブレーカーを落とされたことがあるが。
あの時は「うあぁぁぁぁぁあああクソババアアァァァァァァァッ!!」って発狂しかけたっけ。
…………あまり無闇に思い出すと精神的な自傷行為になるから、やめておこう。
「電気とネットって、なぁに?」
この世界には電力設備がない。
国王が太陽光発電機と大容量バッテリーを導入しただけでは一般的な周知もされないだろう。
「電気っていうのは、夜でもガスを使わずに部屋を明るくしたり、温かくしたりできるんだよ」
「ふぇぇぇぇっ」
やばい。この子、最初の印象より可愛いな。人懐っこい小動物って感じだ。
「じゃあじゃあ、ネットは!?」
「んー、離れている誰かと会話したり、文字をやり取りしたり――。あとは調べ物やゲームもできるよ。部屋に閉じこもっていても、ネットがあれば少し外と繋がっていられるっていうか……。ん? でもよく考えたら、ネットはライフラインではないか?」
重要性を鑑みれば同等扱いしても構わないような気もするけれど。
でも彼女の言うライフラインと厳密には異なるだろう。この世界は寒い。ガスがなければ死んでしまうぐらいに寒い。
上下水道だって一応整備は進んでいるけれど、ちょくちょく凍結してしまって国費で修理する。
多分、この世界で引きこもることは、日本で引きこもるよりもずっと難度が高い。
「すごい! 日本ってすごい!!」
今になって考えてみると、引きこもり環境としては確かに日本は優れすぎているかもなあ……。などと思いながら、苦笑いを浮かべた。
好感度は十分に上がった。
とは言っても、いくら可愛くてもやっぱりガチなロリコン扱いをされちゃ困る。親になんと紹介すればいいのかもわからない。
ヒロインになることのない少女にあまり日本の話ばかりしても――と、話題を変える。
「ひょっとしてマノンちゃんは、魔法が使えるの?」
「……うん」
少しだけ間を置いてから、こく、と小さく頷く。
その仕草は邪気がなく、久しぶりに普通の女の子を見ているようで、こっちが癒やされた。
ネトラレを至高の愛と仕込まれた女性三百人ぐらいと一気に面会して、ひょっとして俺の感覚がおかしいのか……? なんて病み始めていたから、彼女の存在は救いである。
「じゃあ窓が黒かったのは――。こんな小さいのに魔法が使えるなんて、凄いなあ」
褒めたつもりだったのだけど、ライカブルで見える好感度グラフがクイッと下がった。
……あれ? 『小さい』は禁句なのか?
大人を嫌いだと言いつつ子供扱いもされたくない。そういう年頃なのかも。
まあでも、そういうのは可愛さの範疇だ。
俺がそんなことを思っていると、後ろから付いてきていたパティが急にグイグイッと前に出てきた。
「――あり得ません。日光は制御するだけでも困難な『最強の光』です。黒く鎖せるなら最強の光に打ち勝つ闇をも生み出せるということになってしまいます。賢者として高みを目指し大賢者と呼ばれるようになっても、そこまで到達できるかどうか――」
「いきなり出てきて捲し立てるんじゃねえよ」
しかし……なるほど。確かに太陽より強い光は、少なくともこの世界には存在しないだろう。
直視することも適わない光なんてもはや兵器である。
「特別な訓練を受けているようにも見えません。学校にも出てこないようですし、一体魔法を誰から習うというのですか。私には彼女が嘘を言っているようにしか思えないですね。そういう魔法は王族だけの特権です」
おいおい。ちょっと言い過ぎだし、言い方も厳しすぎやしないか?
そりゃ大賢者を目指す賢者としては、事実であれば受け入れがたいことなんだろうけどさ。
子供相手にムキになるのは、賢者らしくないぞ。
「パティ、現にマノンは使ってみせているんだ。そう頑なに否定しなくても――」
「何かトリックがあるはずです!」
「魔法使える奴にトリックとか言われてもなあ」
パティからマノンに視線を戻すと、好感度がだだ下がりしていた。
こりゃ、俺も巻き添えを食らったな……。
全否定されたんだから、そりゃまあ、そうなるよ。
「――他には、どんな魔法が使えるのかな?」
俺だけは疑っていないことを示すように、優しく問う。
「…………多分、どんな魔法でも使えると思う……」
ちょっと想定外の答えだったが、聞いたパティは、
「そんなわけ無いじゃないですか! 王族ですら一人が得意とする魔法は一つしか授けられないのに、そんなの、どう考えたって子供の妄想です! ――第一、太陽の光を鎖すほどの魔法使いなら、例えばリル様が仕掛けた魔法ぐらいは軽く扱えるはずですよ。他にも火や風――どんな魔法でも使えるなら、いくらでも実演してみせてくれればいいんです!」
鼻を高くして、それ見たことか、と言わんばかりに偉そうな態度で語った。
俺としては賢者様にその魔法を解いてくれないと困るんだが。
権力には屈するくせに子供にだけ勝ち誇りやがって、何が賢者だ。長いものに巻かれることを徹底してるだけじゃねえか。
「リル様――って、あの、王族の?」
「知ってるのか」
学校で会ったりしたのだろうか。
よく考えてみれば王族のリルと小屋で暮らしているような庶民のマノンが同じ学校に通うって、この世界じゃかなり珍しい状況なのでは。
印象的にも、リルは黙っていても優美さを放っていたが、マノンはむしろ喋っていても幸薄そうなイメージを抱いてしまう。
身分を表しているというか、好対照な二人だ。
「リル様は一体、どんな魔法を――?」
マノンは真剣な眼差しで問いかけてきた。
これは『王族のリル様と同じ魔法を使ってみせれば信用されるだろう』と意気込んでる感じだな。
でもこの世界の魔法がどれだけ難しくて貴重かは知っているし、申し訳ないけれど、どんな魔法でも使えるってのは流石にちょっと信用できないかな。ごめんよ。
「俺への好感度が下がったまま朝を迎えたら死ぬ――っていう、非道い魔法だよ」
「……なんで、そんな。死ぬ――なんて」
やばい。この子――まともだ。
普通、今日初めて会った相手に死の魔法なんて、使わないよね?
長い旅路を共にした仲間なら、ちょっと王族に逆らってでも魔法を解こうと、頑張るよね?
もう泣きそう。まともな子と会話して、お兄ちゃん泣いちゃいそう。
「――――――――なぁるほどぉ」
…………ん?
なにか今、とんでもなく悪そうな声が聞こえたような気が。
「ハヤトさん、そろそろ帰っても良い頃合いでしょう。光制御魔法は疲れるんです。陛下を立たせ続けるわけにもいかないですし、帰りましょう」
パティはまだ僅かに苛立ちながら、しかし賢者らしく表向きは淡々として述べた。
まあ、それもそうか。
マノンのことは気に掛かるけれど、家の場所はわかったから個人的に会いに出向けば良いだけだ。
可愛い妹のようなものだと思えば、他のヒロイン候補と会うよりもずっと良い。
ひょっとしたら、すぐに嫁にはなれなくても、将来のお嫁さん候補を――なんて。
どうしようもなくなれば、そういう選択肢もまあ、あるのかもしれないな。
本当に最後の手段のような気がするけれど。
ただ、そのためにはもうちょっとだけここにいて、少しは成長してくれないと。
俺は日本で、身元不明の幼女を連れた誘拐犯になってしまう。
「わかったよ。これで全員と会ったことだし、一度城へ帰って、今後のことはそこで話し合おう」
俺がパティと国王、そして侍従や近衛兵に視線を配った直後だった。
「――――っ、リミデス!!」
小声で呪文が詠唱されていることに気付かなかった俺は、放たれた魔法名と同時に背中にトンと軽い衝撃を受けてしまう。
「よしっ、成功しました!」
後ろを振り向くと、マノンが拳を握り込んで力強くガッツポーズをしている。
そこにさっきまでの、幸薄い少女の印象はなかった。