マノン① 光を鎖して引きこもる
国王と英雄が歩くのだから、衆目を集めないはずがない。
いやまあ、俺は城下町じゃあまり有名ではないと思う。なにせ五年間のほとんどを東西南北に遠征して過ごしていたし、新聞記事でも後ろ姿だけで顔は隠されていた。身の危険が増すだけだからだ。
とは言っても、先日の凱旋パレードでは、とんでもない人数の民衆が集まってくれたわけで。近くで見て顔を覚えた人だっているかもしれない。
城下町は軽いパニック――なんてことになっては困ると、パティが光操作系の魔法で俺たちの存在を隠し、衆目に晒されないよう配慮してくれた。
その配慮をなぜ人命に使えないのかと問いたい。
「ここじゃ」
国王に連れられて行き着いたのは、民家に隣接する単なる小屋。
あまりに普通で何の変哲もない小屋に、何故わざわざ国王自身が連れてきたのか――と俺は首を傾げて少し悩んだ。
「よく見てください」
パティが小屋の窓を指差す。
中に明かりが灯っていないのだろう。窓も真っ黒だ。
だがちょっとした違和を感じる程度で、特別おかしいことはないようにも見える。俺は首を傾げ続けた。
すると更に解説を加えてくる。
「強い日光が差し込む昼間の室内が、カーテンもなく真っ暗闇になるなどありえません。この小屋、少し妙です」
「……確かに、黒いシートか何かを窓ガラスに貼っているようにも見えるな」
窓の内側にカーテンを引いてあるならば、カーテンとの隙間に光が当たり裏地が浮かぶはずだ。
それすらもないということは、窓ガラスと黒の間に隙間がない。もしくは本当に内部が|闇黒《あんこく》になっていると想像できる。
日本ならともかく、この世界に窓へピッタリ貼れる黒いシートなどあっただろうか。
というかこの世界の窓ガラスってとんでもなく高価で、普通の小屋に付けられるものじゃないと思うのだけど。
城でさえ、一度通路へ出てしまえば、ガラスのない窓が沢山ある。
光を通さない黒いガラスなんて、この五年の大陸制覇の過程で一度も見たことがない。
そんな珍しいものを一般家庭が使っているとは思えないわけで。
ま、なんにせよ『訳あり』っぽいな。
コン、コン――と国王が直々に扉をノックして、呼びかける。
「国王じゃ。扉を開けてくれ」
中世的なこの世界の王権制度において、国王の命令は絶対だ。
……なのに、返事はない。
更に数拍待って、国王は一切の物音がしないことを確認した上で、声音を低くした。
「――――ライフラインを止めるぞ」
脅迫するような言葉に突然扉が開き、中から髪の長い女の子が現れる。
「人でなし!」
おお。ジジイ呼ばわりより非道いことを言いよった。
小屋の中から出てきた少女は、更に言い放つ。
「私は汚い大人が嫌いなの! 早く帰って!」
顔立ちは良いが服の上からでも一見してわかるぺったんこな胸に、恐らくまだ成長の余地を残している低い身長。
幼い声で大人を嫌いだと主張する姿は、まあ可愛いと言えば可愛いではあるのだが。
さすがに子供すぎてヒロインとしてはちょっと……。
十代前半か、よくて中盤…………日本なら中学生か、精々、高校一年生ぐらいといったところかな。さすがに小学生ではないと信じたい。
残念だけど、彼女は個人的な条件を満たしていない。
わざわざ好みでもない女の子を、いくら可愛いとは言え連れ帰る必要はなかろう。
ここは早いところ話を終えて帰るのが吉、だな。
「陛下、彼女ではさすがに幼すぎて、ヒロインにすることは――」
日本に連れ帰ったらヒロインは嫁になるという前提なわけで。
こんな子を嫁にしようとしたって、日本じゃ婚姻可能年齢に届かないし……。
俺もう二十一だから、世間様にも冷たい目を向けられるだろう。それは勘弁願いたい。
「ふむ……。まあ、常識的にそうじゃろうな。彼女の年齢を鑑みれば幼すぎるということは、ワシも重々承知しておる。いくら約束と言えど犯罪紛いの紹介は気が引けるのう」
ネトラレ属性を国中の美少女、あまつさえ人妻にまで叩き込んでる変態ジジイのくせに、何を急に常識人ぶっているんだか。
つうか……。
「そんな子供にネトラレを叩き込むのは、常識的に考えてどうなんですかねー」
よく考えたら、こんな子供までもがヒロイン養成学校の生徒ならば、ジジイは国家権力を翳して鬼畜極まりないことをしている。
だがライカブルで確認した限り、この子は俺に対する好感度が低くない。嫌いな大人、という枠組みの中に、俺は入っていないのか……?
試しに軽く屈んで視線を落とし、長く白っぽい銀髪のツルペタ少女に、声をかけてみる。
髪の色は成長と共に変わることがあるからか、下のほうがより白く、上のほうは僅かに茶褐色が混ざっている。これも幼さの証明だ。
「名前だけ、教えてもらえるかな?」
「……マノン」
「そっかぁ。マノンちゃんは、どうして大人が嫌いなのかな?」
するとマノンはジッと黙って、顔を俯かせた。
僅かに頬が赤くなっているような気もする。
同時に、じわりと好感度が上がった。
ひょっとしたら俺のことを、相談できるお兄さん――ぐらいの感覚で捉えているのかもしれない。それならちょっと嬉しいかも。
少女は徐に腕を上げると、国王を指差して言った。
「ネトラレを理解しないと立派な大人にはなれない――って、このお爺ちゃんが! 私、そんなこと知りたくなかった!!」
俺は思わずジト目になってジジイを見る。
白い髭を手で撫でて視線を空に投げ、『ワシは関係ないぞよ』というような態度を取っているが……。
このド変態め! 幼気な女の子に何を叩き込んでやがる!
「……それで私、学校に行くのが嫌で……家に、引きこもって……」
なるほど。そりゃそうだ。当たり前の感覚が残っていてよかった。
そして話の前段は悲惨極まりないが、『学校に行くのが嫌で』というところだけを切り取れば、日本でもよく聞く台詞である。
事情を打ち明けることができたからか、またじわりと好感度が上がった。
「その気持ち、俺もわかるよ」
彼女をヒロインには選べない。
だが変態国王に追い詰められて引きこもった少女に救いの手を差し伸べてやるのは、人として間違った行為ではないだろう。
中学時代に中二病を拗らせて友達と居場所を失い、部屋に閉じこもった時期が俺にはある。カーテンを閉めて、光を鎖して――。
だから共感できる。
「俺も学校を休んで引きこもったことがあるんだ。あのお爺ちゃんの言ってることも全然理解できない。ただの変態だと思ってる」
まだ言葉の続きがあったのだが、急に嗄れた老人男性の声で「はぅぅッ」とか気持ち悪い音が漏れ聞こえてきたから、俺は国王に視線をやった。
「変態だと思って――」
「はぅっ」
「へんた」
「も、もっと――」
「ド変態ジジイ」
「ぅくぅ――――っ」
なるほど。本格的に目覚めたようだな。気持ち悪っ。
ほら見ろよ。侍従と近衛兵が顔を引き攣らせて、マノンに至っては明らかに汚物を扱う目だぞ。パティだけは平然としているけれど……、なんで?
「…………こほん。――ごめんな、マノンちゃん。この通り、あの爺さんはもう駄目なんだ。あんな人の作る学校になんて行かなくていいし、行かなくてよかった。俺だって学校に行かないで引きこもったことがあるけれど……。でもほら、こうして大人になれているだろ?」
異世界召喚という極めてイレギュラーな展開を経て、だけど。
「……あの、もしかしてお兄ちゃんが、『英雄様』?」
お兄ちゃん――――。なんだろうね、この古典的かつ破壊力抜群の胸キュンワード。
マノンみたいな子に言われると余計に胸を打つ。
でもなんで俺のことを英雄だとわかったんだろう?
パレードでは盛大に祝ってもらえたけど、安全がどうとかで街道の人とは結構距離が遠かったからなぁ。
引きこもっているなら見に来てもいなさそうだし。
……ああそうか。ヒロイン養成学校に所属しているなら、俺が召喚された経緯や十字大陸が統一国家となった後にヒロインが日本へ渡ることぐらいは、聞かされているのだろう。
広く喧伝する新聞でもないし、顔写真の一つぐらい見せられていると想像できる。
「――そうだよ」
俺はできるだけ優しく微笑んで、答えた。
「すごい! 日本ってどんなところ? 引きこもってる間、どうやって生活していたの!?」
興味津々といった様子だ。
好感度も大きく上昇してきた。