リル① ネトラレヒロイン
長い沈黙の後、国王に向けて問う。
「聞き間違い……ですよね?」
「なんの話じゃ」
とぼける素振りはない。
「その、今、寝取られてくださいね……と聞こえたのですが」
「その通りじゃが。なにか問題があるのかの?」
マズい。なんだこの展開は。
理想のヒロインだと確信を抱いていた女の子に、突然『寝取られてくださいね』などと言われて、どう受け取ればいい。
そもそも受け取るべきなのかこれは。
「あの、陛下は日本のヒロイン像をどうやって研究したのでしょうか」
素朴な疑問でもある。
召喚魔法の類いで書物を取り寄せたとか、そういうところだとは思うけれど。
「ふむ。まず日本という国はワシらから見れば異国情緒……、いや、異世界情緒に溢れすぎて理解がのう……」
なんだか異世界のカルチャーショックに当てられて理解が追いつかなかった風だが、俺のことは強制召喚しておいて何を言ってるんだこの人は。
「書物の類いは翻訳が追いつかん」
まあ、それに関しちゃ俺も未だにこの世界の文字を読むことに苦労しているから、わからなくもない。
「しかしテレビゲームという遊具の中には、ワシらの世界に近いものを舞台とした物語があるようじゃった」
なるほど。確かにゲーム世界はこういう中世ヨーロッパ風の世界が多い。翻訳するにしても文字数は書物より圧倒的に少ない。
「テレビゲームを動かすためには電力というものが必要じゃったが、光から合成する装置があれば我が国でも電力を作り出せることが解った」
この世界にも太陽があって日本と同程度に光が降り注いでいるし、なるほど、合点のいく選択だ。
「更に蓄電池を導入したことで電力が安定し始めて、の。……まあ、高かったのじゃが。ちょびっと税率を上げる必要に迫られて焦ったわい」
……………………要するにこの爺さん、俺が命懸けで大陸制覇に励んでいる間に、ソーラーパネルと大容量バッテリーを国費で導入してゲームに勤しんでいたのか。
「……それで、テレビゲームはどのようなものを?」
俺は冷静に要点を問う。
何故この気品溢れる美少女が、寝取られなどと言いだしたのか。
「バ○ムートラグーンじゃ」
「……は?」
「ヨヨ可愛いのう。こういうのが日本人の理想なのじゃろう? タイトル自体もそこそこ売れたようじゃし、ヨヨはヒロインとして有名だと聞いておる」
――――――――――なんてこった。
「えっと……まさかヒロイン養成学校では、バ○ムートラグーンのヨヨを理想像に掲げているのでしょうか」
「校訓は『サラマンダーより、ずっとはやい!!』じゃ」
スコップでトラウマを抉るような校訓だ。
「ちなみに陛下、学校にはどのような方々が入学しているのでしょうか」
「無論、其方の好みに合致する『美しい見た目と知性を備えた女性全て』じゃよ」
それを聞いて、俺はいつの間にか拳を強く握り、許しもなく立ち上がっていた。
「おいっ、ジジイ」
当然、国王を守るための近衛兵が警戒して武器を向けてくる。
だがジジイは状況をよく理解しているのだろう。慌てることなく彼らを制した。
「やめておけ。大陸制覇の英雄に刃向かったところで、止められる者はおらん。無駄死にをする必要はない」
だから俺は堂々と王座に歩き寄って、国王の眼前に立ちはだかる。
「ワシを殺せば、契約不履行で其方も死ぬぞ」
「よくわかってるじゃねえか。――そう。お互いが納得するヒロインを日本へ持ち帰る契約は、俺とジジイの命を賭けた契約だ。どんな理由があれ反故にすることはできねえ」
「そうじゃな。……して、其方は何をそんなに怒っておる?」
「人が五年もかけて異世界攻略してる間に国中の美少女にネトラレ属性仕込んだとか、あんたバカだろ!?」
「――なっ、ネトラレの何が悪いというのじゃ!」
「悪いことだらけだ! ジジイには常識ってもんがないのか!? 大体ヨヨってネットで検索したら三大悪女とか出てくる奴じゃねえか!!」
ジジイも立ち上がって理解不能な反論をしてきたが、口を挟む隙を与えずに立て続けで叫んだからか、少し気圧された様子でよろよろと再び王座に腰を落とした。
そして重々しく口を開く。
「おお、ネトラレの良さを理解できぬとは情けない」
「てめえ違うゲームもやってるだろ」
なんで、そっちのヒロインを参考にしなかったし。
怒りを通り越して呆れ果て、溜息しか出てこない。
国中の美少女をネトラレ属性に仕立て上げるとか、マジでどんな悪政布いてんだよ。
「とにかく、俺はネトラレとか御免だから。こいつをヒロインになんて認められない」
現実を見て最優先すべきは、彼女を認めないことだ。
ネトラレ属性を叩き込む学校で首席なんていうド変態、いくら見た目と所作が理想で王族でも、日本に連れ帰る意味はない。連れ帰ったところで寝取られるんだから。
「いや、ジジイの性癖で育てられた奴らは全て、受け入れられないな」
これは冗談や遊びじゃない。五年も費やし命を賭した、契約の話だ。
言うべき事は言わなければならない。
もっと早く気付いていれば…………くそっ。
「――――――――ざ、けんな」
……ん?
何か、傍から聞こえたような。
「ふ……っざけんな!!」
おやおや、もう最初の印象なんて全て吹き飛ぶぐらいに血相を変えた美少女様がいらっしゃる。
なるほど。こっちが素か。
そんな上手い話があるわけないというような気は、どこかでしていたけれど。
「なんだ、養殖ヒロイン」
「よっ……養殖!?」
「よく考えたら、ヒロイン養成学校なんてところで育てられたプロヒロイン、純粋なヒロインとは呼べないんだよ」
「じゃあプロヒロインって呼べばいいじゃない!」
「……いいのか? それ、蔑称の意味で言ったんだぞ」
「私は、お爺さまの功績を誇りに思っているし、もちろん尊敬だってしてる。だからお爺さまの作った学校を悪く言われるのは我慢ならないわ! ――ハヤト様の英雄譚も聞いて、見ず知らずだけどこの人凄いな……って。だから異世界に嫁ぐことだって、お爺さまの認めた人となら――って覚悟してた!」
正気かこいつ。いくらなんでもネトラレ属性を仕込みにかかってきたら、爺さんだろうが国王だろうが疑えよ。
「……そりゃ悪かったな。英雄譚の期待にそぐわない人間で。――だけどな、ガッカリしてるのはこっちのほうだ。命懸けで大陸制覇をやり遂げた見返りにこんなのが用意されてたなんて、ほとんど詐欺じゃねえか」
「さ……詐欺……?」
――まあ、こいつが悪いわけじゃないってことは、わかっている。
こいつはこいつなりに頑張って、異世界に嫁ぐとか報酬扱いされることも受け入れてこの場に立ったんだろう。王族の座を捨ててまで。
いや、王族だからこそ、というプライドがあるのかもしれない。
それでも俺からすれば、こんなのは認められないんだ。
「わ、わかったわ。そこまで言われて、私だってもう、はいそうですかってお嫁に行く気なんて、ないし」
「……縁がなかったと思ってくれ」
わかってくれればいいんだ。
諸悪の根源はジジイだし、俺だって美少女といつまでも啀み合ってなんていたくない。
思って、俺は王座へ向き直した。
この変態老人に、ネトラレ属性なんてのは極一部の人間に通用する限られた性癖であり、決して日本の理想像でも一般的でもなく、俺だってそんなもん持ち合わせてないってことを理解させなければ。
その瞬間、視線を外した彼女――リルの声で、短い呪文詠唱が行われた。
「――リミデスッ!」
「………………へ?」
とん、と押された空気が背中に軽く触れる、妙な感触がした。