凱旋と報酬
十六歳の誕生日に『強制召喚』されて早五年。
もたもたしている間に歳月は流れてしまった。
普通に日本で生活していれば大学二年生になっていたはず。順調に高校を卒業し大学受験に躓いていなければ――だが。
しかしどうだろう。仮に日本で生活を続けて大学生になっていたとして、そこに幸せはあっただろうか。
例えば甘酸っぱい高校二年生の夏休み、とか。
卒業を間近に控えて『高校生の間に一度ぐらい彼氏彼女がいてもいいよね』ぐらいの軽いノリで、それこそ恋に恋をするように慌てて女の子と付き合い始めたり。
大学に入り、ここからが勝負と気合いを入れて……。
いいや、もう。
虚しくなってくる。
ようやく、待ちに待ったこの日がやってきたというのに。いや、この日だからこそ、こんな下らない事を考えてしまうのか。
「顔を上げよ」
離れたところから言葉を投げられた。
俺は顔を上げて、発言主の顔を確りと見据える。
階段を何段も積んだ高さに置かれた玉座に腰を下ろす、白い髭を携えた爺さん。
五年前、強制的に召喚した俺に向かっていきなり、東西南北全ての国と戦い、制圧し、十字大陸を統一国家とするよう命じてきた人だ。
その時は『このジジイ頭沸いてんじゃねえか』と思ってしまったが、今では感謝している。
立派な白い髭がサンタクロースのそれに見えるぐらいに、慕っている。
「先日の凱旋報告と、それに続くパレード。統一国家設立における英雄としての振る舞い、見事であった」
「過分なお褒めに預かり、光栄にございます」
異世界ものの小説を読んでいた頃、『こいつどうやって帰ってくる気だ? それとも不便極まりない中世ヨーロッパ的な世界で生き続ける気か』――なんて思っていた。
だってまともな病院もない。
病気になったらどうするの。
中世並の衛生意識の医療とか怖くて受けられないだろう普通。
日本の医療技術と設備と、あと皆保険制度の充実ぶりを侮ることはできない。下手したら死にたくても死なせてくれないかもしれないんだぞ。
あと法制度が、ぞんざいを極めている。
特にこの国のような絶対王政だと『王の機嫌を損ねたら死刑』とか平然と語られていたりもする。
そんなもん日本の左上のほうにある小ぶりな国ぐらいしか身近には思いつかないっての。
いやその上や左も似たような……、まあ、それはもういいや。余計なことを考えても仕方がない。
「――して、件の『ヒロイン報酬』じゃがの」
来た。
まず俺の異世界強制送還……じゃなかった強制召喚において、とても幸運な点が二つある。
一つは攻略できるほどの力を与えられ、攻略後の日本帰還が保証されていたこと。
大前提だよね。
帰れないから追い詰められて、着の身着のまま背水の陣で頑張る――っていう物語も好きだけどさ。
自分の身に降りかかるのは御免だ。
いきなり国を代表して戦えって、そんなもん断る以外の選択肢がどこにある?
戦って勝てる力があるなら、その力で逃げ果せるわ。普通に考えて。
本気の殺し合いなんてやったらスパッと首刎ねられて死ぬかもしれないんだぞ。
――――だからそれだけでは、命を賭して戦う理由には全く足りない。
そこで二つ目だ。
日本へ帰還する際には、一人、国王と俺の両者が認めた
『ヒロイン』を
『婚約者』として
持ち帰ることができる。
そしてその契約を、互いの命を賭けて履行する。
これが青春を捨てて命を賭す理由に足るかは個人の価値観によるだろうけれど、他に日本へ帰る手段が用意されていないこともあって俺は、この所謂『ヒロイン報酬』を戦う理由に定めた。
日本でそこそこ頑張って勉強をして、そこそこの学歴で、そこそこの仕事をして……。
それでそこそこの嫁を貰うことができれば良いのだけれど、現実は最後の嫁のところだけ異常に難易度が高いからな。
急に難易度をベリーハードに変えたらプレイヤーが混乱することを神様や社会は、理解していないのだ。
皆まだ一周目なんだよ。多分。
「……どうした、悩んでおるのか?」
爺さんは心配してくれている。
強制召喚とか強制スキル授与とか無茶苦茶なイベントを起こすけれど、根はいい人なんだよなあ。
国民からも慕われているし。
実際にこうして大陸制覇まで成し遂げたのだから、これはもう、後世まで語り継がれる名君ってやつだ。
「いえ。五年の旅路に思いを馳せていました」
無意識にこういう切り返しができる程度にはコミュニケーション能力が成長したが、こんなものは上っ面である。
俺は人付き合いなんて面倒くさいと思ってしまうタイプの人間だ。
この世界でスマートフォンやら何やらから解放されて、ちょっと精神的に安らいでしまった程に。
なにあの機械。
なんでプライベートの時間に他人から送られてくるどうでもいい文言を読まないといけないの。
返事をしなかったら距離を置かれるし、頑張って返事を書いたら『言葉が冷たい』とか言われるし、面倒くさくなって画像に頼ったら影で『ちょっとキモい』とか言われるし、どうすればいいんだよ。
大体、半世紀前までそんな文化は欠片もなかったのに、なんで当然のように根付いたのか理解に苦しむ。
ずっとあれに縛られていないと社会的生活を送れないって、どんな罰ゲーム?
そんな俺に、彼女なんてできるわけがない。
もしも『性格変えないと彼女できないよ』なんて言われようものなら、『じゃあできなくていい』って強がって答えて、家に帰ってから一人で枕を濡らすタイプなんだ俺は。
「本当に長い旅じゃったの。疲れも癒えていないじゃろう。少しぐらい、この国でゆっくりしてからでも構わんのじゃよ」
「……日本に、家族がいますから」
神妙な風に言ってみたが、もう五年も経っている。
日本に戻ったら死んだような扱いになっていて、ひょっとしたら家に仏壇が用意されているかもしれない。
部屋に残したあれとかパソコンの中身とか、そういうのを心配するのは一年で飽きたし、突然いなくなって両親に申し訳ないという気持ちは今でもある。
だからなおのこと、良い嫁を連れて帰って色んな意味で安心させてやりたい。
こっちの世界でも勉強はできたし、すぐに高卒認定試験を受けて大学受験をすれば二浪か三浪。かなりの後れを取るけれど、まだ絶望的展開とまでは言えないはずだ。
というか失踪した息子が五体満足で帰ってくるだけで十分だろう。きっと、生きているだけで喜んでくれる。
……いつの間にか、随分ハードルが下がったな。
この子はこんなんでまともな社会人になれるのかしら!? とか、きっともう言われない。
それは、ちょっと寂しいかもしれない。
「そうじゃな。早く両親を安心させてやりなさい」
「はい」
俺が希望に満ちた声で答えると、爺さん――いや国王は、隣に立つ侍従を呼び寄せて、何かを指示した。
――――ついに、契約が果たされる。
「既知のことじゃが、報酬のヒロインは王国が総力を上げて、日本に置ける理想のヒロイン像を研究し、確実に其方が気に入るよう育て上げた。其方の英雄譚を聞き、強い好意も抱いておる」
ちょっとした源氏物語だ。
だが悪くない。
というか有り難い。ものすっごく有り難い。
大陸を制覇している最中でも遠慮なく御用聞きを遣わせて、好みにお変わりはございませんか、とか訊きにきてくれて、五年前の好みのままということもなく、今の俺が好む女性、理想のヒロイン像の把握に努めてくれた。
そして俺は思うのだ。
ああ、この国王、本気だな――と。
本気で大陸制覇のために俺を召喚して、本気の餌で釣りにかかっているな――と。
「では。……リル、こちらへ」
横にある扉が開かれて、控えめな足音が、こと――、こと――、と柔らかく響く。
こんな俺の婚約者になってくれる女性と、初めてのご対面だ。緊張に手が震える。
しかし彼女は、そんな俺の強張った心を一瞬で変えてしまった。
王座の横へ歩き向かうまでの間に見えた横顔。
整った目鼻立ちであることに特段の驚きはない。一国の王が本気を出せば、そういう女性を見つけることぐらい造作もないだろう。
しかし淑やかな表情と落ち着き払った所作が、まるでウェディングドレスを着た花嫁のようで、彼女という存在が心にグッと押し入った。
「紹介しよう。其方のために立ち上げた『ヒロイン養成学校』で首席の成績を収めた、リル・ティシエールじゃ」
彼女は振り向いて、こちらを見詰めた。
正に理想のヒロイン像。
脳内の妄想を形にすればこうなる――と断言できる。
想像通り。
いや想像以上。
一目見ただけで惚れてしまうような、正に俺好みの女性。
ただ美しいだけでなく、可憐で、落ち着きがあり、知性的で、おっぱいはちょっと大きいぐらいで、身長は高すぎず低すぎず、横幅は少し細めで。
約束。――いや、正確には契約。それも魔法を使った、反故にすれば死ぬような呪い付きの、重い契約。
国王と俺の『双方』が認めるヒロインを日本へ持ち帰ることができる。
双方となっている以上は、気に入らなければ突き返しても構わないということになるのだが、彼女を見て突き返す必要などどこにあるだろうか。
見たところ二十歳前で俺より少し年下だろう。なのに子供感はなく、奥ゆかしく、雅やかですらある。
よくぞ――、よくぞここまで精確に日本の心を理解してくれたものだ。
国王、心の中で爺さんとかジジイとか呼んでごめん。あんた……最高だ!
「英雄、ハヤト様――」
上品で透き通る声は、王座の間に心地好く反響した。
「お初にお目にかかります。今日の日を待ち侘びておりました」
両手でスカートの裾を軽く持ち上げて、腰を曲げて深々と頭を下げる。丁寧で清楚、そして優美だ。
こんな女の子、本当に俺なんかに――。
思わず唾を飲んでしまう。
それを見てか、国王は安心させるかのように、少しフランクな、気取らない調子で語る。
「彼女はワシの孫でもある。赤子の頃から知っておるが、性格も器量も良い」
なるほど。国王の孫――、つまり王族の令嬢。
古典的ではあるが、それもヒロインを構成する大きな要素となり得るものだ。
位と気品に溢れる彼女から一度国王に視線を移して、俺は思ったままの言葉を口にした。
「彼女こそ、理想のヒロインそのものです」
「うむ。ワシも孫を手放すことに抵抗がないわけではない。しかし其方が相手であればきっとリルは幸せになれる――。そう、信じておる」
俺、日本に帰ったら頑張ろう。
この子を幸せにするためなら、何でもできる気がする。
頑張って勉強して、働いて、王族並とまではいかなくても、せめて不自由のない生活を送ってもらえるように、俺、頑張ろう。
決意して、リルという名の少女に視線を向け直す。
すると彼女はにこりと笑い、やはり些かとも濁りを感じさせないピュアな声で、ゆっくり言葉を紡いだ。
「――では、ハヤト様。早く私を寝取られてくださいね」
俺は血が出るまで耳を穿った。
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