8.俎上(そじょう)の魚
・前回のあらすじです。
『主人公が弟子へのお遣いを済ませる』
・今回の大枠です。
『主人公と弟子が、実験をする話です』
学院長の屋敷への道すがら、永城は、和泉に言った。
「実はここだけの話し、オレはすごーい魔法を発明した」
「そりゃすごい。前は千里眼だったな。そのまえは透視だったか」
永城は、和泉の弟子である。
彼の実験を手伝うことが、師匠の和泉は、ままあった。
いま言ったのはその一例である。
「せや。ほんで、学長センセんち覗き見しようって思ったけど、失敗はするわ、ことごとくバレるわで怒られてんな」
「主にオレだけがな」
和泉は方眉をぴくつかせてつけたした。
永城の研究には何度もつきあってきた。
そしてその回数だけ、尻拭いをやってきた。
許可のない場所での実験は、処罰の対象になる。
その責は、永城の監督役であり、現場での魔法の実施を許可した教員である、和泉が負う。
人情のある叱咤なら、和泉も一瞬しょんぼりするだけで済んだ。
しかし、学院長の叱責は事務的だ。
彼女は始末書や反省文を介してのみ、人の謝罪を推し量る。
学院長の咎めを受けるのは怖い。
だが、永城の手伝いをやめるわけにはいかない。
永城のような発想力や、行動力を和泉は持たないが、自分の弟子が、学生に留めておくにはもったいない逸材であることは、ほかの誰よりも知っている自負はあった。
もしかしたら、長年閉ざされていた、【迷宮】への通路をあける術も見つかるかもしれないと、期待を寄せるくらいに。
成績不振から退学に追いこまれていた永城を、和泉が自分の監督下に置いて、学院に引き留めた理由はそれだった。
迷宮のなかに閉じ込められた、【賢者】の魂を探し出し、学院につれもどす。
それが、和泉の目下の目的である。
迷宮の入り口は、現在閉ざされていた。
原因は不明で、教授から講師、研究所の所員が、定期的な会合をひらいているにもかかわらず、解決の糸口は見つかっていない。
永城に事情を話せば、協力をしてくれるのかもしれない。
しかし、賢者の状態については、秘匿すべき理由があり、秘密を語るには、この男はくちが軽すぎる。
和泉は長い目で弟子を見る。
いつか光明を得るために、彼の研究には、無条件で協力をする。
そう心に決めていた。
「まあまあ、そう怖い顔しなさんなや、せんせー」
永城は両手をパタパタさせて、三つ年下の師に言った。
「尻拭いのための、センセーやん。今回もそのへん頼むで。失敗した時はもちろん、成功した時もな」
かるく永城は師匠の肩をたたく。和泉は盛大にため息をする。
「で……今日の趣向は、なんなんだよ」
「へへ。ずばり、透明人間になってみようっていう趣や」
「透明人間?」
歩きながら、和泉は問う。
「透明人間って、光の反射で見えなくする術か? 中等部で習ったやつ」
光の屈折を操作して、任意の対象を不可視にする魔法はすでにあった。
学院の中等部で修める実技科目であり、理工系に疎い生徒は、試験日に大抵、泣きを見る。
それでも、まじめに授業を聞いていれば、及第点の完成を見込める、魔術としては十分、学生の時分に習得可能なレベルの技だった。
永城は、ちちちと指を振る。
「じゃなくて、自分の存在軸をずらして、見えへんくなるだけやなくて、世界に干渉できなくしましょうって術や。座標のZ軸をいじる感じ。壁とかも、通りぬけできんねんで」
「けっこう危険だな」
和泉は足を止めた。
ふたりの前には、学院長の屋敷がある。
賢者の家よりも、ひとまわり大きな屋敷は、まっ黒なシルエットを夜空の下に置いていた。
「被験者のほとんどが、酷いすがたになったって聞いたけど……身体の中身と外がひっくりかえるとか」
「ま、成功例のない魔法ではあるわな。でも、できたとしたらステキやと思わへん? 学長先生の寝顔とか着替えとか、のぞき放題や。しかも、すぐそばで」
架空のお花を全身から飛ばして、悦にはいる永城に、和泉は愕然とした。
この男――永城 壮馬は、学院の長をつとめる魔女の、熱狂的なファンである。
魔女と永城は、どちらも【表】の世界の出身で、住んでいた家も隣同士の幼馴染だった。
学院に入る以前から知り合いという関係は、【表】の出身者ではめずらしい。
彼女とは結婚の約束までした仲というのは、永城の弁。
そしてそのすべては、ふたりが幼稚園児だったころの話しである。
和泉は話題をもどす。
「で。おまえはまた、のぞき見なんてしょーもない目的のために、次元移動の魔法を試してみたいってわけだ。静物での実験は……」
「だいぶんやったよ。動物は、許可が出てへんからムリやったけど。かなり綿密に調整かけたつもりではある。死んだりグロいことになったりはせぇへんよ。たぶん」
永城は、ズボンのうしろポケットから手帳を取り出した。
研究室や、実験用の動物の利用には、施設の管理人の許可がいる。
学生の申請が通ることは、まずなかった。
学校側が認めた、担当顧問つきの研究チームに所属していれば、学生であっても、施設の利用は比較的容易になるのだが。
永城はどこのチームにも属していない。
集団でひとつの目的を設定し、ひとつの分野を追求する『チーム』は、でたらめに気の向くままにあらゆる分野に手をつける永城には、窮屈なのだ。
和泉は宵闇のなかに明かりを投じる。
「暁を告げる、にわとりの笛」
ふたりの周囲を、白い光が包む。和泉は弟子に声をかけた。
「おおかた、研究室のほうも使わせてもらえないんだろ。言ってくれりゃあ、交渉くらいしてやるのに」
永城は目的のページを見つけ、持参したチョークで、土の路面に模様を写す。
「ええねん。どーせ、どこでやったって同じやし。成功しても、短時間の持続しか見込めへん。せやったら、好きなようにやるのが得策ってもんやろ。あと、センセーは、ほかの先生きらいやん」
「……おまえは人をよく見てるな」
和泉は屋敷を見あげた。
魔力のライトを受けて、うっすらと全容を現した屋敷は、ずらりと並ぶ窓のすべてを、鎧戸で閉めている。
バルコニーのガラス戸が、唯一、なかを望める場所だった。
二重にカーテンを下ろした部屋は、暗い。
(つーか、学長って、家にいるのかな。まぁ、仮にいても、無防備ってことは……ないな。絶対)
和泉は頭をかかえた。
永城は観察眼があるのに、考えがあまい。
ぱん、ぱん、と手をたたく音がする。
「ほな先生、魔法陣のなかに入って」
「俺が実験台か」
地面には、複雑な図ができあがっていた。
幾重もの円のなかに、三角形や四角形を刻んだ、幾何学的な模様である。
魔法陣と呼ばれるこの図形は、魔術師が編んだ理論を展開したものだった。
呪文によって魔法の発動をうながすこの補助用のサークルは、魔術理論が一連の『音階』へとまとめあげられた段階で、不要となる。
暗号化された論理体系を、魔術師は【譜面】と呼ぶ。
スコアは暗記と、くりかえしの訓練で魔力に直に刻み込まれる。
そうすることで、魔法陣を省略した、呪文という引き金のみによる魔術の発動が可能だった。
和泉は、永城から黒い石をひとつ受け取った。魔法陣のまんなかに落とす。
それから円の中心に立った。
「先生、妙なところでノリがええなぁ。まあ、安全には配慮してるけど。もしあぶなくなったら中断するから、手ぇあげるか声出してな」
永城は硬く笑う。
永城の実験は失敗は多いが、大事に至ったことはなかった。
魔法は失敗すると、爆発を起こすが、対処が早ければ、魔力を大気に拡散し、エネルギーの暴発を防ぐことができる。
永城はこの対処がうまかった。
人体に作用させる魔術は、今までにも実験があり、和泉は恐々テスターをつとめたが、いずれも中途半端な結果を得るか、小規模な成功を得るていどで終わっていた。
実験台に深刻なダメージを与える『過失』は、多くの魔術研究者が踏んできた過ちである。
永城は被験者を優先し、成果の追及を一定の段階でよしとすることで、現在に至るまで、相手に損傷を負わせるの愚を避けつづけてきていた。
その実績は、和泉が彼に対して、俎板の上の鯉を演じるのに十分な理由足りえた。
だが不安はある。
「なんだったら、役目を変わったっていいんだぞ。オレが学長をながめたところで、おまえの目の保養にはならないだろ」
「バレたら怖いやん。バレへんっていう保証がほしいから、断腸の思いでせんせーに行ってきてもらうねんで」
「よく言うぜ」
「ま。ヤバイことにならんようにはするから、そこは信用して」
永城はぎこちなく笑ったまま返す。
彼はチョークをポケットにしまって立ちあがり、最後に一度だけ、メモ帳を確認した。
魔法陣に手をかざし、呪文を唱える。
「影を映す、メビウスの鐘」
永城の掌に光が生まれる。
白い輝きが、路面に作った円形を縁取り、刻んだ線を塗っていく。
中心に置いた黒い物体が、白く変色する。
魔法陣のなかで、和泉の身体は、二重三重にぶれていった。
感覚は良好で、陣の外側の景色が、いつもより鮮やかにさえ見える。
反して、和泉の身体は、徐々に透明度を増していった。
実験は順調に進んでいた。
※のちの展開に、矛盾を生じる文章を、修正しました。
(修正により、新たな問題が生じた場合、調整をかける可能性があります。)
・修正箇所(一部)
誤→『和泉は触媒の瓶を取り出した。』
訂→『和泉は永城から黒い石をひとつ受け取った。』
読んでいただき、ありがとうございました。