6.人間万事、塞翁が馬
・前回のあらすじです。
『主人公が、敵役の過去のおこないについて、追及する』
・今回の大枠です。
『主人公が、封印の魔法を解きます』
「そんなことより、少し聞いてほしいんだけど、和泉くん」
比奈子は、和泉がケースから銀を取り出すのに、緑の眼を光らせた。
「触媒は、持っていかれると本当に困るの。ずいぶんまえに、採取地が無くなったっていう話しは、知ってるよね?」
比奈子の注意に、和泉は毒気を抜かれた。
銀を持つ手を止める。
「ああ……採取地って、迷宮のことか? 知ってるよ。【ポーター】が閉じたんだ」
これも、五年前の一件によって、起こったできごとだった。
和泉と、比奈子の憑いた茜は、もうひとり、迷宮に同行していた魔術師によって、学院への帰還を果たした。
しかし、魔法によって敷地への転移が完了した途端、迷宮と学院をつなぐ門――【ポーター】が閉じた。
研究員たちの調査により、「迷宮のなかで、力場の大きな変質があり、異なる世界間に存在した、圧力差のようなものがくずれ、それまで入り口としての役割を果たしていた空間の穴が、閉じてしまったのではないか」という仮説が立てられた。
それは、まだ子供だった和泉に、茜がまだ生きていると思わせるのに、十分な情報だった。
力場の変質は、なかで彼女が魔法を使ったからではないかと、和泉は期待した。
その希望も、あまりに時間の経ちすぎた今となっては、希薄になってしまったが。
比奈子は説明をつづける。
「うん、それで、採取地にはいれなくなってから、薬とか道具を作る材料は、減っていく一方だったの。あっちこっちの町から買い集めて、しのいでたみたいだけど、それも限界が近いから、持ってる人から寄付を募る、っていう話しになったんだって」
む、と和泉はうなった。
比奈子の話しには、思いあたる節がある。
一週間ほどまえに、研究員をやっている恩師が来て、和泉の部屋をひっくりかえし、素材を回収していった。
「寄付っていうか、強盗って感じだったけど」
ふと和泉は気がついて、横の整理棚を叩いた。
「まさか、ここにあるもの、全部引き渡す気なのか? 貴重なサンプルが、どれだけあると思ってるんだ」
「うん。だから『助かる』とか、『さすが賢者さまだ』って、交渉に来た人たちが、感激してた」
和泉は唖然とした。
比奈子はその時のうれしさを思い出して、微笑んでいる。
「整理棚のものだけか?」
念を入れて、和泉は比奈子に詰問した。
比奈子は肩をすくめる。
「まさか。一階の薬棚とか、納戸のガラクタとか、あとは……地下にもうひとつあった、実験室かな。標本がいっぱいあったの」
(マジか)
和泉はうなだれた。
年貢のおさめ時。という言葉が、和泉のなかに浮かんだ。
全ては、茜が時間と小遣いをかけて、収集したコレクションだ。
時に採取地にもぐり、時に町の骨董屋や、雑貨店、あやしい露店などから買いたたいた代物だ。
彼女が保管した【素材】の全部が、学院の研究所への、供物となる。
比奈子は和泉に言った。
「いま言った場所以外のものなら、べつに持って行ってもいいから」
壁のスイッチを押して、比奈子は、暗くなった部屋に電気を入れた。
赤い法衣をひるがえし、退室する。
和泉は大きく、ため息をついた。
譲渡が予定されているものを持っていくほどの度胸は、彼には無い。
学院付属の研究所には、魔法の目玉を和泉に与えてくれた恩人もいた。
手にした触媒をケースにもどし、ふたを閉めて、和泉は棚になおした。
「けど、実験は滞らせたくないんだよなぁ」
窓の外を和泉は見た。
日は落ちて、空は青く、暗い色に満ちていた。
外では、和泉に触媒の調達を依頼した弟子が、首を長くして待っていることだろう。
和泉は部屋を見回す。
研究室の中央は、魔法陣を描くために、床だけがガラン、と広がっていた。
壁は書架になっていて、ぶあつい本が、ところどころ歯抜けになって整列している。
窓辺には、書き物用の机が、ほこりをかぶって鎮座している。
和泉は机に目をつけた。
銀の代用品を期待する。
「って、……あるわけないか」
ひとつ、引き出しをあけると、なかはカラだった。
引き出しは、中央を仕切って、右と左にひとつずつある。
和泉が開けたのは、左側だった。
右側の把手に、手をかける。
「うん?」
引き出しは、びくともしなかった。
腕にちからを込め、和泉は机を足で押し、うんうん引っぱったが、
「ひらく気配なし、か……」
ぐったりと、和泉は机に突っ伏した。
(鍵が掛かってるのか? いや、むしろ、ものが詰まってる感じ、かな)
和泉は黙考した。
しかし、引き出しは接着剤でも使ったように、机と一体化していて、浮かんできた可能性の、どちらも否定していた。
(ひょっとして)
強く、和泉の心臓が脈打つ。
もしかすると、彼のひらめきは、この屋敷の真の主たる少女が、確実に生きていることを証明するものだった。
祈りを込めて、和泉は机のどこにも、護符の類がないことを確認した。
ない。
和泉は、廊下に比奈子のいないのを認めると、ドアを閉ざして、机にもどる。
そろえた二本の指先を把手にそえて、呪文を唱える。
「ねずみを招く、魔犬のいびき」
ぼうっ、と指先に反応があった。
机に、光の魔法陣が浮かびあがる。
円の上に重なる、三角形と四角形が、きりきり、回転をはじめる。
やがて、かちりと音が鳴って、魔法陣は砕け散った。
封印の魔術と呼ばれるものを、誰かが掛けていたのである。
解呪した引き出しを、和泉はあけた。
なかには、緑の包み紙と赤いリボンでラッピングした、小さな立方体がある。
リボンには金色の字で、『Merry Christmas』と印刷されたカードが差さっていた。
カードには、子供の文字で、『チャコへ』とプレゼントを贈る相手の名前も書いてあった。
和泉はチャコというのが誰かを知っていた。
チャコは茜の使い魔だ。
犬をもとのすがたとする少女で、日中は図書館で働いている。
茜がいなくなってから、チャコは元気をなくしていた。
この、例えようもなくヘタクソなくせ字も、チャコという使い魔へのプレゼントを用意するのも、茜しかいなかった。
そして、封印の魔法は術者の精神がなければ、機能しない。
机に魔法をかけたのが、比奈子である可能性はゼロだった。
茜のすがたをとって以降、比奈子は魔法が使えない。
――生きている。
プレゼントを隠すために、机に封印の魔術なんて、少し高度な技術を用いるのも、秘密主義な彼女の性分を考えれば、和泉には至極納得がいった。
むしろ、それはほかの何にも増して、魔法をかけたのが彼女だと証明するのにふさわしい、そのひと『らしさ』だとさえ思えた。
和泉の全身からちからが抜けた。
膝から、床にくずれ落ちる。
茜は、和泉にとって大切な人だった。
だから彼女を助けたいと願い、どこかでまだ生きていると確信して、彼は安堵した。
※のちの展開に矛盾を来たす、設定・文章を削除しました。
・削除箇所(一部のみ紹介)
『 門がある間は【裏】のどこからでも迷宮内の魔法陣へ飛ぶことが可能だったが、それが閉じて以降は、どれほどの転移魔術の使い手がワープを試みても、魔法は不発に終わり、どのフロアにも至ることはできなかった。』
・削除箇所については、消したことによって、のちの展開に支障が出た場合、調整しなおす可能性があります。
読んでいただき、ありがとうございました。