45.人はパンのみにて生くるものにあらず
※今回は、主人公は出てきませんが、サイド・ストーリーではなく、本編の話となります。
※分量が、少し多めです。
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・前回のあらすじです。
『主人公の和泉が、敵役の比奈子と共に、迷宮へ向かう』
・今回の大枠です。
『大学時代の魔女、史貴 葵と、その友人、リョーコ・A・ブロッケンの話です』
【迷宮】の五層目には、魔法薬に使う植物や虫が生息していた。
湿っぽい洞窟である。ごつごつとした岩肌がトンネルのような通路を成し、動物の死骸をのんで肥えた土が、神秘と呪いの草を育成する。
「やってるやってる」
柱のような岩からリョーコ・A・ブロッケンは顔を出した。赤銅色の髪をセミロングにした、十四才の少女である。黒いパーカーとショートパンツ、両耳にピアスのいでたちで、生徒の略装である丈の短い白マントをつけている。生粋の【裏】側生まれの魔術師で、大学部に籍を置く優秀な学生である。
少女の赤い目の先には、魔術師の青年がいた。青年は耳をふさいで岩の背面にしゃがんでいる。彼より優に五メートルはなれた地点に、使い魔と思しき少年がいる。
少年は、「えいや」と地面に埋まっていた草をひっこぬいた。植物の悲鳴が洞内にひびきわたり、少年は絶命した。ハトのすがたにもどって、地面に小さな骸となって落ちる。
マンドラゴラの採取である。
地中から引き出される際にあげる、人型の根っこの絶叫は致死の呪文である。効果は周辺、三メートル以内。状態のよい呪いの草を手にいれる人身御供に、使い魔の真価はある。
「あれは薬学部の人ね。葵もちょっと、見てみなさいよ」
「いや」
ブロッケンのうしろで、葵は芋虫をつまみあげた。捨てるみたいにして、片手に用意していたぬのぶくろにいれる。
史貴 葵である。金色の髪を背中のなかほどまでで切りそろえた、青い瞳の十五才の女の子。ブロッケンより、やや高さのある痩身には、白いブラウスと短いスカートをつけている。上からは、学生に支給される白い法衣をまとっていた。
彼女もまた、年少の身で大学部に所属する腕利きだった。リョーコ・A・ブロッケンとは、幼少期からのクラスメイトであり、今も同じ教室に席をならべる仲である。
葵はしゃがんでいた姿勢から、立ちあがった。
「のぞき見なんて、悪趣味だわ」
ひざ立ちを、ブロッケンもまたやめた。脚についた土をはらう。
「参考になるのに。ひょっとしてあんたって、使い魔をあーゆー使いかたするのが、信じられないってタイプのひと?」
葵はため息をついた。
「……同じことをする自信があるから、つれてきてないんでしょ」
「ま、あんたんとこのウサギは、喜んでやりそうだしね」
ブロッケンは、パーカーのポケットから袂時計を出す。
「それよっか、そろそろ帰る? だいぶん材料もあつまったし、化けもの連中も減らしたし? 先生も、オッケー出してくれると思うんだけど」
時刻は昼の三時を過ぎていた。ふたりがもぐってから、二時間が経過している。葵の持つふくろのなかで、金蚕蟲の子供たちがうごめいていた。
金蚕蟲は、成虫になると強力な毒を持つ、虫のばけものである。幼虫のあいだは毒も薄く、薬の材料に使われる。
ふたりは、後期授業の大半を欠席で過ごしたため、単位取得に必要な日数と課題の提出が足りなかった。そのため担当教諭に救済措置を願い出たところ、もろもろの不足を免除する交換条件として、魔法薬の素材あつめと、魔物の駆除を言いわたされ、迷宮に来ていたのだった。
葵は訊いた。
「そうね……リョーコは、どうしたい?」
「私は、帰るかなぁ。図書館いきたいし」
葵は、「じゃあ」と言って、虫のふくろをブロッケンに向けた。
「これ持って、先にもどっててちょうだい。私は……」
ちら、と少女は青い瞳であたりを見る。うしろから来ていた学生のグループが、少女の視線とかちあうなり、目をそらして足早に通りすぎていく。
「……もうすこしだけ、駆除をつづけるわ」
集団の足音が岩壁の奥に消えたあたりで、葵はつけ足した。
「箔のお気に入りだから昇級できてるって、思われたくないもの」
箔は、ふたりの所属するクラスを担当する教授だった。学院長という身分でもあり、彼から期待を寄せられるというのは、それだけで憧憬と妬みを買う、社会的地位だった。今回の恩赦も、その男から受けたものである。
ブロッケンは、あさっての方角をながめた。
「しっかし、こんなゆっるい罰ゲームであらゆる不祥事を看過してもらってるってのも、また事実。いやー、今期は遊びすぎたわね」
「あ、な、た、が、」
葵は少女の頬を、つねりあげた。
「『こんな天気のいい日に、教室で年寄りの説法きいてるだけなんて、罪だわー』って言って、あっちこっち、つれまわすのがいけないんでしょう。……私は、出席しようって言ったのに」
「社会勉強よ、社会勉強。町でワッフルを買い食いするのも、海でアベックをひやかすのも、あっちこっちを魔法で飛んで、ゼロ泊三日の耐久旅行するのも、今後生きていくのに、必要な刺激だわ」
「どこからそんな、減らずぐちが出てくるのよ」
葵はブロッケンから手をはなした。赤毛の魔女は、虫のふくろをひったくる。
「ま、とにかく、あんまり【指環持ち】ってことで、気負いすぎんじゃないわよ。ぐちゃぐちゃ言ってくる連中なんてほっといて、ヤバイって思ったら、さっさと逃げ帰ってきなさいよね」
「……うん。ありがとう、リョーコ」
無意識に、葵はスカートのポケットに手をやっていた。そこには中等部時代に、件の学院長――箔 時臣からもらった、【ソロモンの指環】がある。
赤毛の魔女は、ひらりと片手を振って、呪文を唱えた。洞窟から離脱する。
葵はひとりになった。
岩の通路は、薄暗くて、つめたかった。
読んでいただき、ありがとうございました。
※いくつかの表現を、修正しました。