42.服を着る生きもの
※今回の話は、視点が茜と比奈子の側にうつります。
主人公は出てきませんが、サイド・ストーリーではなく、本編の扱いとなります。
・前回のあらすじです。
『屋敷に来た比奈子を、茜が出迎えに行く』
・今回の大枠です。
『比奈子が、茜とお別れします』
櫻 比奈子は、玄関屋根の下で待っていた。栗色の髪をした、十二才の少女である。長い髪は一本の三つ編みにして、肩から胸に垂らしている。目は黒く、キョドキョドと、よく動いた。
彼女は紺のダッフル・コートと、膝丈まであるスカートをつけていた。防寒用のレギンスをはいて、足には、ショートブーツを嵌めている。深い緑のマフラーを、巻いて、そのなかに、彼女は半分だけくちを埋めていた。吐く息は白い。
玄関のドアが開く。
「ひさしぶり、比奈子」
茜は灰色のコートを引っかけていた。下には、姉のおさがりのジャケットを着込んでいる。スカートは短かったが、細い脚はむき出しで、ふくらはぎまであるブーツを履いていた。
比奈子は、マフラーからくちを出した。
「うん。ごめんね、急に」
茜は、屋内に顔を向けた。
「いいから入りなよ。身体、冷えちゃうよ」
「ちょっと、話しに来ただけだから」
「……遊んでいけばいいのに」
比奈子は目を伏せた。彼女は言った。
「私は、茜とはちがうから」
茜は肩をすくめた。比奈子は目を合わせずにつづける。ふたりは、去年の年度末から会わなくなっていた。
比奈子が森林の庭園に、来なくなったのだ。
「……落第したの、私。来年度は、なんとか昇級できる予定だけど、それでも、同じ歳の子とは、一年も遅れてる」
「この学校は、あんまり年齢とか関係ないよ」
「茜が言うと、嫌味に聞こえるね」
茜は黙った。比奈子は、マフラーでくちを隠した。
「ごめん。私、どうかしてる。今日来たのはね、『勉強に集中したいから、もう遊べなくなるよ』っていうこと。それと、ずっと会いに来なかったのも、茜がキライになったわけじゃないから、気にしないで。って、それだけ……」
ひと息に、比奈子は告げた。靴の先をうしろに向ける。
「無理してるの?」
茜は比奈子に声をかけた。比奈子は屋敷の出口へと、段差を下りる。
「息ぬきは必要だよ」
門のほうへ向かう背中に、茜は言った。
「いつでも、遊びに来て」
蝶番の軋む音が、冷めた空気に響く。
「比奈子」
かしゃん。
鉄格子の門は閉じた。
茜の金色の髪には、氷の粒がついていた。いつのまにか、彼女は、玄関屋根から出ていた。
うしろから、チャコが傘を差す。大き目の傘だった。
「僭越ですが、ご主人さま」
チャコは敷地の外を見た。曇天と、溶けた霜で水浸しになった路面があるだけだった。
「ご友人は、よく選ばれたほうがいいかと」
「……おねえちゃんみたいなこと言うんだね」
使い魔は、少女の髪から氷の粒子を払った。
「心配をしているんです、あの方も。茜さまのこともそうですが……」
雪は、少女の髪の上で、水滴に変わっていた。チャコは小さな主人に告げる。
「焦るんです。あなたの隣りに立つ人は。自分でも知らない内に、優劣を決めてしまって、……一緒にいるのが、辛くなる」
「人に上下はない、っていうよ」
「あの年頃の子供にそれを理解しろというのは、酷です」
茜の肩は震えていた。
屋敷の左手を、チャコは見た。ほかの魔術研究者や、学生たちの居住区のある方角。木々の合間にのぞく坂の上に、茜の姉と、その使い魔の住む宿舎はあった。
「明日は、シロを呼びましょう。どうせヒマなやつです。好きなだけ、オニゴッコの相手だってしてくれます」
前掛けのポケットからハンカチを取り出して、チャコは、主人の濡れた頬に当てた。
「雪合戦がいい」
「この量では、ムリでしょう」
小さな背中に手を添えて、チャコは主人を温かい部屋に案内する。外は冷えきっていた。
雪は積もらなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。
※いくつかの表現を修正しました。