s-5.けむりのたどりつくところ
・サイド・ストーリーです。
内容は、『前学長の男、箔と、魔女の葵の話』です。
※サイド・ストーリーは、読まなくても、『本編の内容が判らなくなる』などの支障は、ありません。
(なんでわたしは、『天才』じゃないんだろう)
史貴 葵は、学院の庭を歩いていた。今年、七つになる女の子である。
セミロングの髪は金色をしている。目は青く、澄んでいる。服は長そでのシャツと、プリーツ・スカートだった。上からは、白い法衣をつけている。
季節は春だった。
今日は月曜日。いまは、昼休みである。
葵は、妹を誘って昼食を食べる予定だった。だが彼女の妹は、年上の生徒たちがつれていってしまった。葵はひとりでお昼を摂った。
それからなんとなく外に出て、気がついたら、学舎から離れた庭にいた。
ここは、魔法の学校である。
葵の妹はその生徒のなかでも、特別にすごい魔術師だった。生徒たちに人気なのも、それが理由だった。
葵は、道端にベンチを見つけた。
座席は少し、高かった。座ると、足が地面にとどかない。ヒザをかかえる。
ぎぃ。と、隣りがきしんだ。
男がひとり、座っていた。
「おじさん、あっち行って」
葵は男を睨んだ。男は、タバコを吸っていた。
黒っぽい髪は、全てうしろに撫でつけられていた。眼が小さく、ライオンのような顔をしている。年は四十歳くらいだった。彼はベージュのジャケットを羽織っていた。
「タバコは、まわりの人にも毒になるのよ」
葵は男に注意をした。
「なら、キミがどこかへ行きたまえ」
葵はムッとした。ヒザをかかえて、彼女は、もう返事はしなかった。
鐘の音が鳴る。男は煙を吐き出した。
「授業に出ないのか」
鐘は、昼やすみの終わりを告げるものだった。これから初等部の教室では、五時間目の授業がはじまる。
「べんきょうしたって、意味ないもの」
葵はヒザに顔をかくした。
「妹がいるの、わたし。でも、あの子まだ三つなのに、もう使い魔がいるの。わたしもやってみたけど……ダメだった」
動物との契約魔法は、中等部で習う、難しい技だった。
「それがどうした。勉強を否定する理由にはならん」
「イヤになるの」
葵は言った。
「がんばってる自分が、バカみたい。べんきょうしたって、天才には勝てないんだもん」
「なるほど。確かにバカだな、その考え方は」
男は、くわえた紙巻を揺らした。灰色の眼は、立ちのぼる煙だけをながめていた。
「勝つだの、負けるだの。しょうもないことに拘って、勉学の意義を考えようともしない。キミは救いようのない、愚か者だ」
葵は、そろえたヒザの上に、左の頬をくっつけた。
「じゃあ、べんきょうって、何でするの?」
「しなければ、大きな損失になるからだ」
葵は、質問の角度を変えた。
「……べんきょうしないと、どうなるの」
「毒を呑むようになる」
タバコの先っぽが、フィルターのぎりぎりまで、灰に変わっていた。葵はギュッと、ヒザを抱いた。
「どうして、毒をのむの」
「生きているフリをするためさ」
タバコはすっかり短くなっていた。煙のにおいが、漂っていた。
「べんきょうキライ……」
葵はくちを尖らせた。
「がんばってるつもりだけど。テストだって、よくないし」
「そんなものはどうでもいい」
タバコを捨てて、男は、革靴の底で火を消した。
「本を読め。疲れたら休め。こんなつまらん大人に、なりたくなければな」
男は立ちあがった。葵は、大きな上着の背中を見あげた。
「おじさん、タバコはもうやめてね」
男は顔だけを振り向けた。
「毒って、のんだら死んじゃうのよ」
そうか、と男は言った。通路を歩いていく。
それから、彼が森林の庭園に来ることは無かった。
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史貴 葵は、丘の上の慰霊碑をながめていた。二十歳の魔女である。
六歳の時には短かった金髪は腰までのび、蒼天めいていた両目には、氷の色味を帯びていた。
着ているのは、絹の洋服だった。ボレロを羽織って、足にはブーツをはめている。細い腕には、教員用の黒衣が引っかけてあった。
大切なことを成すとき、葵はいつも、黒い碑のまえに来ていた。今日は迷宮にもぐって、妹をつれて帰ってくる予定である。
隣りには、前学長の、箔 時臣が立っていた。
五十代後半ほどの男である。アッシュ・グレーの頭髪には、白髪がかなり混じっている。大柄なからだには、ジャケットと、スラックスをつけていた。彼は大学時代に世話になった、魔術師だった。
葵はふと、師に言った。
「先生は、タバコを吸ったりはしないんですか?」
箔は広い肩をすくめた。
「だいぶん前に、えらそうな生徒に言われてな。やめたさ」
「えらそう……先生よりもですか」
くちもとに手をやって、葵は問いかえした。
半眼になって、箔は隣りを見る。若い魔女の顔は愛嬌がぬけて、目つきに鋭利な光が滑るようになっていた。
「そうだな。私より、ずっとえらそうだ。そして高慢で、とにかく、性格が悪い」
「先生より、人格の破綻した人がいるんですか」
「……無礼者。も、付け加えておくべきかな。覚えていないのか」
箔は問いかけた。不思議そうに、葵は金色の眉をまげる。
「なら、『ばかもの』も追加だな」
箔は手を振って、くるりと舗装路に向かった。学院にもどる道を歩いていく。
葵は、「さよなら、先生」と挨拶をした。
箔は、木々を避けて通う道を、おりていく。
(子供のころの出来事は、大抵忘れてしまうというが……、)
しわの多くなった手で、彼は自分のうなじを掻いた。
(結構、淋しいものだ)
・次回の投稿は、本編の方に戻ります。
読んでいただき、ありがとうございました。