s-3.ゆめのなかで言う
・魔女と使い魔の話です。
太陽がのぼろうとしていた。山のなかの学院は、静かだった。
都市ほどもある敷地の、小高いところに、一軒の洋館がある。屋敷の主人たる葵は、薄暗いエントランス・ホールに立っていた。
長い金髪に、青い瞳の、若い魔女である。細い身体には、色の薄いドレスと、黒衣をつけていた。
彼女はつい先ほど、採取地から帰ってきた。
手のひらに浮かぶ、魔法障壁の檻を、扉のわきに置く。なかには、異界への通用口を閉じこめていた。
正面階段から、声が飛ぶ。
「ご主人!」
頭にうさぎの耳をはやした、白いボブ・ショートの少女である。彼女は、今日は、濃緑のブレザーと、キュロットの衣装だった。脚には、黒いストッキングをはいている。
使い魔のシロである。人に化けた際に、動物の時の身体的特徴が残るのは、術者が契約の魔術を、へたとする所以だった。
シロは両腕を広げて、主人のもとに駆けつける。
「うわあー、心配しましたー!」
「眠れないくらいに?」
葵は、使い魔の頭を押しとどめた。シロは抱擁をあきらめる。
「いや、がっつり寝ましたけど」
「じゃ、よかったじゃない」
葵は法衣をぬいだ。うさぎの少女は黒衣を受け取り、自分の腕にひっかける。
「よくないです。本気で帰ってこれなくなってたら、どうするつもりだったんですか」
「地獄へいく予定だったわね」
きのうの夜、葵は、偶発的に出現した別の世界との門をくぐり、魔術研究者の宝物殿たる、【迷宮】に飛んだ。
門は、【運ぶ者】と呼ばれる。秩序の異なる領域への入り口たるそれが閉じた場合、転移の魔術を使っても、学院にもどってくることはできなかった。
葵が探索に行ってすぐ、異界への通路は閉じた。
学院側にいる魔術師によって、入り口はふたたびひらかれ、迷宮で見つけた後輩の少年と共に、魔女はもどってくることができたが、生還はただの僥倖に等しい。
階上へ向かう主に、使い魔の少女は従った。二階に出る。
廊下には、朝日が差していた。空気は、昨日より冷える。
「それで、いたんですか? 茜」
「ええ」
葵は左手に折れ、つきあたりの部屋を目指す。シロは小走りで、魔女につづく。
「チャコ」
葵は、入り口の戸をあけた。なかはシロと、もうひとりの使い魔の寝室になっていた。
ふたり分の寝台と、箪笥がポツネンとある。だれもいない。
「あ、チャコは図書館だと思いますよ。すっごい早くから行くんです。ご主人は寝坊助だから、知らないでしょうけど」
葵はキレイなほうのベッドを見た。もう片方の寝床は、シーツがめくれ、まくらが床に落ちていた。
シロはひょこ、と主人をのぞきこむ。
「私が報せてきますよ。ご主人は、休んでてください」
「ありがとう。すこし寝るわ」
葵は、ドレスの帯紐をはずした。シロは薄紅色の布を受け取る。
ぶらさがるポーチを、少女は開けた。丸い宝石のなかに、単斜晶系の結晶がひとつ、まじっている。
それを取って、うさぎの少女は、シーリング・ライトに透かして見た。透明なグリーンの輝きの奥に、『8』の字が泳いでいる。
「これ、【精霊石】ですよね。確か、迷宮内で使ったら、中に見える数字のフロアに飛べるっていう」
「そうね。使いそこなったけど」
使い魔たちの寝室を葵は出た。
「もったいなかったんですか?」
「若年性の痴呆ね。手に入れたそばから、忘れたの」
「しっかりしてくださいよ」
肩を落として、シロは戸を閉めた。廊下を歩く。
葵は中央の部屋で止まった。扉の取っ手に、指をかける。
「ねえシロ。リョーコに言われたのだけれど、」
シロは耳をゆらした。スズメの声が、窓から挿した。
「……やっぱり、なんでもないわ」
「なんでそこで、『心配かけてごめんね』って言ってくれないんですか。どーせ謝っとけとかって、言われたんでしょう?」
葵は寝室に入った。内側からカギをかける。彼女は使い魔に命じた。
「私が起きたら、ごはんをお願い。着替えは、動きやすいのを出しておいて。そのあとは……そうね。和泉くんのようすを見てきてちょうだい」
「はいはい。やっておきますよ」
射光は気温に、朝の匂いを運びつつあった。
「なんだかうれしそうね、シロ」衣擦れの音と共に、声はした。
「そりゃそうですよ。ご主人が、帰ってきてくれたんですから」
扉越しに、シロは笑いかける。返事は無い。魔女は床についたのだ。
法衣をかたづけに、シロは書斎へと跳ねていく。遠くから、時を告げる鐘の音がする。
今日も一日が、はじまる。