21.九十九の努力をして、一のインスピレーションを得る
・前回のあらすじです。
『主人公と魔女が、いったん、帰還を優先する』
・今回の大枠です。
『学院に帰ってきた主人公たちが、主人公の師匠と、会話をする話です』
【学院】は、夜明けをむかえていた。
空は白々と起きはじめる。朝霧は日の出を照りかえして、山林に、金色の帯をながす。
すずめが、木の上でぴちくり鳴く。
ふたりのうしろには、球形になった、赤いひずみがある。
「やっと帰ってきたわね」
和泉は、声のしたほうに顔を向けた。屋敷の塀の足もとに、魔術師がひとり座っている。彼女はあくびをうって、立ちあがった。
「ちゃお。和泉くん」
「あっ、ブロッケン女史」
和泉は、魔術師に駆け寄った。相手はニコ、と笑う。
若い女魔術師だった。セミロングの髪は赤い。目の色も、髪と同じ、赤色である。
顔は品性よく、整っていた。耳もとには、銀のピアスが光っている。
体格は、和泉よりすこし小さくて、ハイカラーのシャツとジャケット、短いスカートをつけていた。その上から、研究員用の黒衣をひっかけている。
彼女の名は、リョーコ・A・ブロッケンといった。学院付属の研究所につとめる、十九歳の魔女である。
そっくりかえって、ブロッケンは言った。
「私のことは、『お師匠さま』と呼びなさい。和泉くん、アンタまさか、この私から魔法を教わった恩を、忘れたわけじゃないわよね」
「覚えてますよ」
和泉は言いかえした。赤毛の魔女は、学舎時代の和泉に義眼を与え、魔法の手ほどきをしてくれた人だった。
当時、彼女は学生の身分だったが、和泉が『師』とあおぐのは、彼女のほかになかった。
ずい、とブロッケンは魔法陣をのぞきこむ。
「ていうか、学長センセとふたりで朝帰りなんて。永城くんにバレたら、殺されるわね」
金髪の魔女は、そっぽを向いた。
「あ、そうだ。オレ、永城と新しい魔法を試して……」
和泉は、あたりを見まわした。弟子は、近くにはいなかった。
「えーと。それで、なんでブロッケ……師匠がここに?」
ブロッケンは、和泉の胸を、拳で押した。
「その、くだんの弟子に、あんたが消えたって聞いたの。で、『こりゃ【迷宮】いきかなぁ』ってピンときた私は、ポーターをこさえて、あんたらに帰路をひらいてあげたってわけ。ほら、感謝して」
「……ありがとうございます」
和泉は苦笑いをかえす。彼の胸中は、フクザツだった。感謝と驚きと、不可解が綯い交ぜになっていた。
迷宮の入り口をあけるのは、長いあいだ有識者の頭をなやませてきた難題だった。ブロッケン女史は腕利きの魔術師だが、それでも彼女が一晩で門を仕上げるのは、現実的ではない成果である。
ブロッケンは、赤い目を、金髪の魔女に向けた。
「あと、葵。アンタんとこの使い魔にも、泣きつかれたわ。あんたが探索に行ってすぐ、入り口が閉じたって。もうちょっと冷静になって行動しなさいよ。らしくない」
「私は情熱的なのよ」
魔法陣から、葵は出た。彼女は右手を、女史に伸ばす。
静かな目は、ポーターを一瞥した。
「あなたが『門』を完成させたということは、設計図を持っているのでしょう。貸しなさい」
にこ、と、ブロッケンは笑う。
「私は命令されるのがキライなの。もうすこし、丁寧に言いなおしてよ」
「黙って貸せ、と言っているの」
……ふたつの手帖をブロッケンは魔女に渡した。ひとつは、和泉の弟子、永城のもの。もうひとつは、ブロッケン自身の研究帖である。
「ていうか、葵。あんた、シロさんに謝っておきなさいよ。すごく心配していたわ」
「いずれね」
葵はメモと、屋敷のまえの魔法陣を、見比べた。
魔法陣は、昨晩の図形とは異なっていた。書き換えがおこなわれている。
そなえつけの鉛筆を取り、片方のメモに書きこみをする。葵はそうして、魔法を組み立てた。
二冊の手帖を、赤毛の魔女に返す。
「こっちは、預かっておくわね」
赤い球体に、葵は手をかざした。魔力の障壁をつむぐ。
透明な壁は、八面体を構成し、なかに球形のひずみを閉じこめた。
金髪の魔女は、人の頭ほどのサイズに封じた『門』を、手に浮かせる。
彼女は踵をかえし、屋敷の前庭へと向かっていった。扉をくぐり、玄関のなかへと消える。
「お礼のひとつも言わない図々しさに、びっくりだわ」
鉄格子の門越しに、ブロッケンはボヤいた。和泉は赤毛の師と、無人になった前庭を、交互に見る。
「師匠って、学長と仲がよかったんですね」
「まさか。クラスメートだった、ってだけよ」
ふん、と師は鼻を鳴らした。それから彼女は、ジャケットのポッケに、両手を突っ込んだ。
※主人公の師匠の服装を、修正しました。
・修正前→『ハイカラーのシャツと、短いスカート』
・修正後→『ハイカラーのシャツとジャケット、短いスカート』