2.指環(ゆびわ)
・前回のあらすじです。
『庭で休んでいた主人公・和泉が、使い魔に呼ばれて、弟子のもとへ向かう』
・今回の大枠です。
『ほぼ説明です』
森に敷かれた通路を、蛇行にそって、のろのろと和泉は歩いていた。
道がひらけて、やがて一軒の洋館が、唐突とあらわれる。
ふと来た道を振り向くと、道はゆるやかな坂なりになっていて、歩行者をすこし、高いところへと導いていた。
茫漠たる丘と、山を開拓してこしらえた学院の敷地に、斜陽が煌々と反射する。
群生する樹木の向こうに、ほんのり見える城めいた建築物は、初等部から大学部までの生徒を養成する、学舎である。
かつては学び舎として世話になっていた場所だったが、和泉はもう、仕事以外で、そこに近づく気にはなれなかった。
和泉には、学生時代に友人と呼べるものが、ほとんどいない。
ただ同窓生とでも呼ぶべきものがいるばかりだったが、学舎で彼らと出会えば、小言のひとつやふたつ、浴びせられるのが常だった。
だから用のない時は、自室の研究室や、学舎から離れた森林庭園にこもっていることが多い。
【学院】の全容は、ロールプレイング・ゲームに出てくる空想的な学園のごとく、瀟洒で、ある種牧歌的だった。
時に桃源郷のような感慨に見舞われることも多い景色だが、ここは現実と隔絶された区画であっても、無関係な場所では決してない。
電子と科学が文明の柱を担う、【現実】の世界を、魔術師は【表】と呼ぶ。
ここはその、裏側にあたる領域。
冥府や天国とも性質を異にする、【異次元】とでも、呼ぶべき場所。
【裏】であるこの世界にも、都市や町などは存在する。
だがそのいずれもが、果たして、中世ヨーロッパ風というべきか。石とレンガと木で構成された、古雅な街並みを呈していた。
和泉は、行く先へと視線をもどす。
洋館のまえに、ひとりの男が立っていた。
「よー、センセー、どこ行ってたん」
男は、大きな口をにかりと笑わせて、手を上げた。
永城 壮馬。
短く刈り込んだ黒髪を茶色に染めて、やんちゃな風情にした、背の高い男である。
彼がまとう黒シャツとカーゴパンツは、生徒に支給される白い法衣に、あまり似合っていなかった。
今年で二十歳と、順当にいけば学院の大学部に籍を置いているはずだが、素行の悪さと、出席日数の著しい不足のため、高等部にて、万年留年の憂き目にあっている問題児だ。
彼は現在、和泉の個別指導下にある。
成績低迷のため、いよいよ退学となろうとしていたところを、和泉が引き取ったのだ。
「手伝ってほしいことがあるって聞いたけど」
門前の弟子に、和泉は歩み寄った。
くるりと永城は屋敷を振りかえり、鉄格子をつかんで、窓を見あげる。
猛禽類めいた茶色い双眸が、物欲し気に、二階のあたりをただよっていた。
「新しい魔法を使ってみたくて、触媒とってきてほしいなぁ~って、思うて。ほら、茜ちゃんとこは、そーゆーの豊富やんか」
永城は、悪びれた風なく笑う。
二人のまえにそびえるのは、茜が住んでいた屋敷だった。
学院のなかでも、相当な地位にある者にのみ与えられる、個別の住居だ。
正確には、住んでいたという過去形ではなく、住んでいる。
ただ、和泉にとって、受け入れがたい形になってしまっただけで。
弟子の指さす方角を、和泉は見あげた。
「また俺に、なんか盗ってこいってか」
「せや」
隣に立つ和泉に、永城は指を鳴らした。
「今でこそ有名無実になってるけど、いちおう茜ちゃんは、【賢者】の地位を持ってるからな。俺みたいなペーペーが盗みに入ったなんてバレたら、すぐ退学になるやろ?」
永城の人差し指は、和泉の右手の中指を示した。
そこには、真鍮と鉄で作られたリングが、嵌まっている。
「けど、センセーは教授やし、それ以前に、【指環持ち】やんか。バレてもちょっと、怒られるだけやろ」
けらけらと永城は笑う。
指環持ちとは、学院のなかで功を挙げ、【ソロモンの指環】を獲得した者のことだった。
彼らは指環とともに、学院内での特権的な優位性も手に入れる。
飛び級。出世。特赦。
……あるいは、人望。
学院内の魔術師たちにとって、ソロモンの指環は最大の目標であり、そのために四苦八苦、奔走する者もいた。
それこそ、死に物狂いになるほどに。
和泉は永城にぼやく。
「結構しんどいんだけどな……。ここに忍び込むのは」
「またまた。ほんまはそれとなーく茜ちゃんの顔が見れんのが、うれしいくせに」
「殴るぞ、おまえ」
永城の茶々に、和泉は睥睨を返した。
「まあ、そうカッカせんといてって。あの子がいきなり元気なくなったのは、俺も心配してることやねんからさ」
(そういうことじゃ、ねえんだよな……)
和泉は永城に説明しようと思ったが、やめにした。
「まあ、いいか。えーと、銀でも持ってくりゃいいのか?」
「おお、それでじゅーぶんや。感謝やで」
永城の返事を受けて、和泉は、呪文を唱えた。
「上昇を呼ぶ、シルフの唄」
風が、和泉の全身をつつむ。
草の地面に、波紋ができて、彼の身体は浮きあがった。
永城が、和泉を見上げてうめく。
「せんせー……はやく詠唱なしで、魔法使えるようになれたらええな」
「うるせえ……」
和泉はうなりかえして、逃げるように、二階の窓に飛んで行った。




