1.学院の庭
初投稿です。
もといた世界の裏面に属する、魔法の世界。
その雄大な敷地のなかでも、辺境と呼ばれる一画に築かれた、魔術師の楽園――【学院】に和泉は居る。
山岳部に位置するという地理的な条件ゆえか、ここは一年を通してすずしく、暑いと思える気候は、ついぞやって来たことがない。
庭園のベンチに、和泉は横たわっていた。
ひらいた文献を、腹にのせたまま幾度か呼吸。
池の表面を風がわたり、地面をおおう枯れ葉が、かさかさと鳴った。
庭園は、学院の一部だった。
土をかためて舗装した通路以外には、木がぼうぼうと生い茂って、森の様相を呈している。
ベンチは、大きな樹のしたに、まるで放置されるようにしてぽつねんと存在していた。
そこで、和泉は眠ることもなく、ただ瞼を閉ざしている。
木漏れ日は、うっすらと目をなでるようで、すこしばかり心地がいい。
だが、調子に乗ってサングラスをはずせば、視神経を射る刺激に、和泉はとても目を開けてはいられないだろう。
彼の両目は義眼だった。
魔法の目玉であるがゆえに、ものはきちんと見える。
だが光の調整は完全ではなく、黄色味を入れたレンズを介してでなければ、外界を見つめることはできなかった。
足音がする。
「みつけたー。和泉、こんなところにいた!」
女の声に、和泉は目をあけた。
ひらけた視界に、西日を受けた人影が映りこむ。
としは十七歳ほどの、快活そうな少女だった。
ぴょこぴょこと頭に生えた、ながい耳がゆれている。
ボブショートの髪は、雪の色。小柄なからだには、緑を基調としたベストとミニスカートをつけていて、胸から金時計の鎖をたらしている。
彼女のそんな恰好を見るたびに、和泉は、どこぞの国で時間に追われるうさぎを想起した。
少女の名前はシロと言う。
学院を統べる魔女の使い魔で、ほんとうのすがたは、小さなうさぎである。
だが彼女は、人のすがたでいることのほうが多かった。
ふたたび和泉は目を閉じて、シロに言う。
「シロか。さぼってると、学院長殿に怒られるぞ」
「寝るなってば、こちとらあんたに用があって来たのよ。あとさぼってないから」
「……用って?」
和泉は身を起こして、針金のようにかたくなった白髪を掻いた。
彼の色のぬけた頭髪と無くなった両目は、【妖暦 五〇二年】に起こった事故の後遺症だった。
シロは和泉の腹からずり落ちかけた本を受け止めて、わきに抱える。
「あんたの教え子に、呼んで来いってたのまれたのよ。偉大なる和泉教授に、なんか、手伝ってほしいことがあるって」
無言で和泉はシロから目をそらした。
『教え子』。『教授』。
和泉はまだ十七歳の青年で、魔術師としては年若い身分だったが、すでにそう呼ばれるだけの地位とちからを手に入れていた。
だが、シロ……正確には、『学院長』の従僕である彼女にそのように呼ばれるのは、皮肉めいたものを感じて好きではなかった。
和泉は嘆息する。教え子が手伝ってほしいことというのは、ひとつしか心当たりがない。
「また実験か。今度こそ、有用だといいんだけど……」
「……それって、茜のこと?」
自分が持っている資料の表紙を、シロはながめた。それは空間系の魔術を論じた書物だった。
和泉はシロの問いに、「かもな」と言って立ちあがる。
そうだ。と、自信を持って言えなかったのは、心のどこかで、茜という少女のことをあきらめていたからなのかもしれない。
もう五年が経つ。
「で? オレはどこに手伝いに行けばいいって?」
「いつものとこって言えばわかるって言われたけど」
嘆息して、和泉は庭園の通路を歩きはじめた。
すれちがいざまに、シロがにやっと資料をかかげる。
「本は図書館に返しておいてあげるね」
「恩に着るよ」
図書館には、会いたくないやつがいた。
片手を振って、感謝の意をシロに示して、和泉は目的の場所に向かっていく。
セピア色に朽ちた葉が、つめたい空気のなかに雪のようにひるがえる。
舗装された道につもる落ち葉を踏んで、和泉は静謐な庭に、うつろな足音を感じていた。
――もうすぐ冬だ。
つづきます。
読んでくれた方、ありがとうございます。
※いくつかの表現を修正しました。
・暦の設定を加えました。
・改行の数を変えました。
・冒頭の構成を変えました。
・ルビを増やしました。