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白亜の屋敷は、義倉以外の人間は誰も不動に触れなかった。恐らくはずっと義倉の行為について皆が黙認していたのだろう。そういう権力や人の行為を見ると空恐ろしい気持ちも湧くが、不動は今だけはそういうところに感謝している。
ベッドはいわゆるダブルベッド、同じベッドで寝ることになるくらいは不動も覚悟していた。
ただそれ以上は避けられるならきっと避けた方が良い、とも思っていた。だから義倉からそっぽを向いて、布団をかぶって寝る。
「……じゃあおやすみなさい」
「もう寝るの? もう寝るの? えー……抱き着いてていい? 抱き枕みたいに」
「……どうしてもって言うなら……嫌だけど」
「嫌ならいいけど本当は抱き着いてもらいたいみたいな気持ちはない? 私これでも抱き着かれの評判いいよ」
「抱き着かれの評判ってなに?」
「私に抱き着かれると安心するーとか嬉しいーとか、そういう感じ」
「……本気にするかもしれない、襲う……かもしれないよ?」
しばらく返事はなかった。義倉が怖がってしまったのかと思うと不動も少し胸が痛んだが、結局は自分の生き方や我侭のせいで義倉に迷惑をかけているのだから、追い出されても文句は言えないとまで思った。
家に帰りたくはない、男の体に戻るのも嫌だ。でもやっぱり、実際にこうして自分が女でいることで、こんなに迷惑をかけてしまうのなら、戻ってしまった方が良いのかもしれない、と思ってしまう。
ただもう今日は遅いし、考えるなら明日から……と不動が甘えた考えで目を閉じた瞬間だった。
「童貞だったでしょ」
背中から囁かれた言葉は心臓を貫くみたいな衝撃があった。性経験を誹るような物言い、あるいは看破されたことではなく、その声音が先ほどまでの義倉とは桁違いに冷たく嘲笑うような印象があったから驚いたのだ。
ころんと振り返って不動は義倉の方を向いた。彼女は確かに歯を見せずに馬鹿にするような笑顔を浮かべていた。その表情は先ほどまでのあどけなさは微塵もなく、ともすれば姉の無明よりも上の、異形めいたまでの妖美さがあった。
「……何を、言って……」
「いやいや、こっちはもう色んな女の子と寝てるし、することは君なんかよりずっとしてるからね? んふっ! でも不動ちゃんどの子よりも真面目でお堅いよ。芹耶ちゃんよりお堅いかも」
言いながら、もそもそと義倉が近づく。先ほどとは違って今度は裸体のまま、それに思わず不動が身を引いていると……。
ベッドから落ちた。
「うわっいたっ!」
「んっふ! あははははっ! もしかして女の子が苦手だから女の子になったの!? ん、いやそれはおかしいような……って逃げなくてもいいじゃん!」
笑ったり怒ったり尋ねたり、と慌ただしい義倉であるが、それより慌ただしいのは落ちた不動の方である。
いやそれだけ言われるとどう答えればいいのか、というのもわからないだろうに不動は律儀に全部応えようとするから。
「いや、俺は女の子の方が好きで……いや、私は、うん、逃げたのは……でも元々男だったから……えっと……」
「イイヨイイヨ。……芹耶ちゃんが肩持つ理由はわかったよ。私はあんまり好きじゃないけど」
「うっ、そうなんですか」
「そうですよ。君みたいに真面目に受け取ってくれる人いなくもなかったけど、うち来る人はちょっとこうやって体触り合うくらいは全然平気だし、抱き着かれるくらい何も気にしないもん。気にしすぎだよ、君。そういうところが童貞っぽい」
義倉が童貞とか男子とかの何を知っているんだ、と言い返したい気持ちは勿論ある。あるが、不動に言い返すことができなかった。だって……事実……いやいや、童貞だろうとそういうの気にしないし平気な人間もいるはずだ。不動はそんな風に言い返さないが。
「ま、いいよ普通に寝たら。私もそんな気じゃなくなったし。久しぶりに大笑いしちゃったな……」
んふふ、とまた小さく笑って、義倉はベッドにスペースを作って目を閉じた。不動はいそいそとそのスペースに身を置いて、恥ずかしい気持ちとか悶々した気持ちを抱えたまま、ほどなく眠りに落ちた。