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 一面に並ぶほどの鉄柵の中には仄かに発光している噴水のある庭園が広がっていた。

 豪邸、としか形容できなさそうな建物の入り口で不動と深泥は突っ立っていた。

 誰かが住んでいるというよりかは、舞踏会やパーティが開かれる時だけ使われるようなイメージの場所だが、そもそも遠くに見えるそこに人の気配を感じ取ることさえ難しい。灯りが点いているのは確かだが。

 そこでしばらく待っていると、ようやく足音と鼻歌が聞こえた。気分の良さそうな高い音色は聞き心地のいいリズムで、草を踏みしめる足音もそれに伴っている。

 まるで二人にとって異世界だった。ここに匿われれば警察からも逃げられるなんて与太話を信じられそうなほどに。

 現れたのは、紛うかたなく美少女だった。夜闇に溶けるような黒髪は、星明りを反射して時折光るところも含めて夜空そのものだった。

 つり目ながら丸みを帯びた目は人懐こそうな印象があり、二人を見つけた義倉は犬歯が見えるようにニカッと笑った。


「どうもどうも、白亜義倉でーす。君が不動ちゃんね、入って入って。あ、そっちのはもう帰ってイーヨ!」


 義倉は手を軽く振って別れのサインを示す。それに不動は、自分を助けてくれた深泥を蔑ろにするような振舞いが許せずに振り向いたが、既に深泥は後ろを向き歩き始めていた。

 颯爽と帰ろうとしたわけでなく、煽情的な義倉の恰好から目を反らして、そのままである。

 大人が着るようなネグリジェは彼女の白磁の肌まで丸見えで、かつ表情のあどけなさとは裏腹の胸や体のラインを露わにする黒の下着もすっかり見えていたからである。


「あっ、ありがとう、修!」


 その言葉に深泥は、歩を止めず、ただ手を挙げて応える。


「ささ入って入って」

「はい」


 ともかく、こうして不動は白亜義倉の家に泊まることになったのである。



 門から歩くこと十数分でようやく白亜の屋敷にたどり着く。入口から大きなロビーのような場所に出るが、そこから使用人やら警備やらとが恭しく義倉に頭を下げたり、かと思えば無視していたり。


「あの辺の人は私が変なやつ連れ込んでいるのを見ないフリしてくれているの。優しいよね」

「……あの、いいんですか? 連れ込んで」

「イイヨイイヨ! いつものことだしね」


 そんな風にあっけらかんと言い放つ義倉が振り返るたび、流れるような黒髪から仄かな甘い香りが届く。過激な格好とは別な、淑やかささえ感じられる慎ましい匂いにまた不動はトクンと胸をときめかせた。

 男であるか女であるか、というのは一晩どころではなく、自分が女になる前から考えたことがある。それほどまでに不動は自分の性別について悩んでいたし、その結果自分が女の体になるためにこうしてみんなに迷惑をかけて、義倉に厄介になると決めた。

 だが、いざ義倉のような美しい女性を見ると、どうも自分の中の男性性というものを刺激されるような気がした。

 義倉は、女性が好きな女性なのに、である。

 それは、たぶん良くない、と不動は考える。


「ところで不動ちゃんお風呂入ってきた? まだだよね。一緒に入ろっか!」

「えっ! でも、それは……」

「そんなに緊張しなくても大丈夫、使い勝手とかわからないところ教えてあげるだけだから。それともなに、五日間ずっとお風呂入らないつもりだった~?」


 ふへへ、と下から義倉は不動を見上げる。小柄になった不動よりなお背の低い少女は、どこか演技っぽい、それもこなれた仕草を見せて小走りしていく。

 それを不動は慌てて追いかけた。



 浴場はそれほど広くはない、むしろ不動にも慣れた普通の大きさだった。

 ただバスチェアや体を洗うタオルや石鹸などのアメニティは、一目で不動の気が引けるようなものだった。

 またジャグジーは一つ、二人で入るにはどう見ても手狭なものだった。

 何よりも。


「ささ、まず座って。体洗ってあげるよ」


 一糸まとわぬ裸体が二つ。

 もちろん不動とて、元はそれなりに男の子としての人生を送っていた。深泥はそういう下世話なやつではないが、クラスの男子はそういう、エッチなものというのを回していたり、自分も興味で、と色々調べたりもした。自慰だってしたことくらいはある。それに姉だっていて、まあ綺麗な人だなとは思うけどそんなのにいちいち欲情するようなわけではない。

 それなのに、異常なほどに緊張していた。

 他人だからなのか、体を洗ってもらうなんて状況だからなのか、それとも女性の体になったからなのか、何も分かってないが。


「自分で洗えるよそれくらい!」

「でも女の子の体慣れてないでしょ? 実感実感!」

「ちょっと……うぅ……」

 

 反抗しようと思ったが、既に泡立ったタオルで体をゴシゴシとやられてしまった。それを奪い取って自分で洗う、なんて横暴は前の不動でもしなかっただろう。相手が深泥くらいなら、それをしていたかもしれないが。


「……胸大きいね」

「……まぁ」

「前っておちんちん大きかったの?」

「んなっ!」


 赤面した不動が背中から体を洗う義倉を思わず睨みつけたが、義倉はただニコッと歯を見せて笑う。


「変なこと聞くなよ!」

「気になったから。だって初めてだもん、男の子だったのに女の子の体になった人」


 世界中で症例が見られているとは言え、確かに身近にTS病になった人というのは少ないかもしれない。だがそれをぬけぬけと尋ねるというのも、図太いというべきか。この義倉が変わり者と言われている理由を不動は理解した。


「……別に、特別大きいってわけはなかった、と思うけど」

「答えてくれるんじゃん! じゃあ大胸筋が発達してたとか……」

「普通だよ! 普通の、男子高校生」

「ふーん。まあホルモンバランスとかそういうのかもね。女々しかったって芹耶ちゃんも言ってたし」


 それには何か言い返したくなったが、義倉がそのまま首から脇から、背中もお腹も足も真面目な顔をして洗うので押し黙る。


「いい体してますね」

「……えっなに! なに突然!?」

「ただの感想。じゃあお風呂入ろうか」


 浴場にも関わらず、それを言った義倉は軽やかに跳ねてジャグジーに飛び込む。お湯と一緒に花びらが舞った。真っ赤な薔薇の花びらと泡が舞う中で、ジャグジーから足を出す義倉は、絵になっていた。


「……シャワーだけでいい」

「遠慮しないでって。ね、ほら?」


 ジャグジーから身を乗り出す義倉の胸が、見えそうで見えない。

 そんなことを考えるとまた疚しい気持ちが沸き上がる。

 六月二十八日、夜中でも熱はまだ抜けない。

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