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帰って、黙って歩いていれば、不動になんの問題も起きなかった。
ただ深泥と一緒に歩いていることに関してほんの少し、カップルだろうか、みたいな言葉が出るくらいの。
不動にとってそれは肩透かしですらあった。以前の不動を知る人物はそのほとんど全員が排斥するような、その変化を受け入れ難く、あるいは全く適当に扱っていた。
だが不動を知らない人間は、ただ一人の女性が歩いている、と見ていた。
そもそも道ですれ違う人間をいちいち認識するようなことはしない。
曖昧であると、不動は思った。
けれど何が曖昧なのかは不動にも答えが見つからなかった。自分の存在が不安定なものなのか、人間の認識、例えば気持ち悪いと思ったり正しいと思ったり、そんなことが曖昧なのか。
不動を知る人間が正しさを糾弾しようと、不動を知らない人間はそんなものを糾弾しようもないし、害を受けないクラスの男子などは糾弾もせず面白半分で見るだけだ。
世界でニュースになるTS病にだって自分や家族が当事者になるまでずっとそういう気持ちだろうし、不動のように頑なにワクチン接種を拒否でもしない限りすぐに戻って元通りの生活を送るだろう。
そう考えるとますます不動の在り方というのは、周りとは違っているのだが、不動にとって己が変わった存在であるというのも嬉しいことではない。
最初から全部女だったら良かったのに、なんていうのが正直な気持ちだ。そうはならないのが現実であるが。
「……修は、変わるのが、凄く大変って言うけど、……そういう経験あるの?」
「……んー、これから」
「……えっ?」
「お前のこと」
深泥修は、別に最初からそういう覚悟があって言ったわけではなかった。
入学や卒業、部活への入部とか、習い事を始めるとかの一般論であっても変化というのは苦労する。何度経験しても、社会人や一人暮らし、結婚や出産、大事な人との死別、環境は目まぐるしく、確実に起こりうる変化のようで、それを避けるために人付き合いを極端に避けたり、大事な人を作らなかったり、という人間もいる。
けれどするもしないも決断がある、変わらないで居続けることも、変わっていく人生を選ぶことも、結局のところ生きていれば何の気なしに苦労はするものだった。
修にとって既に覚悟は必要であった。傍にいる不動がどうなろうときっと今の自分以上に苦労するだろうから、自分くらいは受け止めてやろうという魂胆に、今なった。
おそらくは、自分以外はそう簡単に受け止めてやらないだろうから。
「……ありがとう」
「んー」
ただ受け止めるとか祈るなんていうのは、何もしないし手助けもできないということなのだが。
ただ受け止めてくれるだけで良いという人もいるが、それは無責任でもある。
そう分かっていても、深泥は言葉を濁して、返事も曖昧に流した。
祈っただけの自分と、病に巻き込まれて行動をせざるを得ない不動は違うと、感じながら。