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石動不動本人の納得はどこ吹く風で、TS病を治さない不動に対して周りの人間はとにかく冷たかった。
親は朝食を作らず、という程度なら買えばいいが、それ以上にクラスメイトや教師ですら怪訝な反応を示す。
「なんでまだ女なん?」
「……、これからは、女」
友達の深泥の質問に答えた瞬間から、ますますクラスの喧騒は不動に敵対的な意見に飲まれていく。
単純な話、異質なものや変わったものを共同体から排斥しようという人間一般のありふれた防衛本能である。
「きもちわるい……」
女子の誰かが言った。更衣やお手洗いで元男が混じる、という時点でそう思うのは当然であるし、そこに男性器の有無などは関係ない。気持ち悪いものは気持ち悪い、そういうストレートな感情は誰しも抱く。
男子は茶化す。軽い気持ちで不動の胸を触ろうとする者もいれば、口さがない者は女子の着替えを見た感想を言ってくれ、などとも言う。
「ふざけんな!」
当然、女の気持ちである不動はそういう男子を嫌い、軽蔑するが、そうすれば彼一人が排斥されるのは当然であった。はてさて一人追いやられた石動不動が己の性別に自信を持てるのかどうか。
周りは敵ばかり――と不動は考えるが、彼が思うほどに周りは敵ばかりなわけではなかった。
「石動ー、保健室に女子の制服あるし取りに行こうぜー」
これから女子になる、というのなら女子の制服を着るのは当然のことである。
朝、周りの空気も読まないでこの声をかけたのは蒼堂芹耶、スラリと背が高く、長い髪をまとめた眼鏡の麗人であった。
「……えっと、うん」
剣呑な空気を取り払うように芹耶は不動の手を取りその場を後にする。
残る声に後ろ髪引かれるのは不動だけ、芹耶はまっすぐと進んでいた。
「……下着は女物なんだ」
「えっと、姉ちゃんが貸してくれて」
「へぇ~、仲良いんだ」
男物の学生服から女子のブレザーに着替える不動を、芹耶はじっと見つめていた。慣れない服装で戸惑うこともあるだろう、朝休みの間くらいなら保健室にいてもいいし、女子同士なら減るものでもないからだ。
下着のサイズが合っていないのは確かだが、ブラジャーのサイズの方が小さいのは芹耶も眉を潜めた。体だけ見れば紛れもなく女性である、などと思う。
「えっと……ありがとう」
「いやいや。私が言わなきゃ行動できなかったわけでもなし」
ブレザーを着た不動はしかと似合っていた。スカートや女性の服というものに慣れていない彼女は、居心地悪そうにスカートを抑える所作など女子より女子らしくあった。
今の彼女には伸びた髪も柔らかい体も全てが新鮮で、それを一つ一つ触るように確認せねば不安なのだろう。経験はしていないが、不動を見て覚える真新しさと覚束なさがそれを思わせた。
「女が好きなんだ」
「……はい」
「ま、そういう人もいるしね」
義倉とかね、と一つクッションをつけ加えつつ。
「正直、元から石動って女らしい……っていうか、そういう感じはあった気がする。他のより淑やかだし優しいし、丁寧だし、優しすぎるかもしれない」
肯定的な言葉に不動が小さく頷くも、それは芹耶にとってもう一つのクッションでしかない。
本題は、次。
「だからこそ嫌な感じかな。石動が、そういう優しくて丁寧なところを女らしさだから自分は女であるみたいに考えてたらさ。私は結構雑だけど、それで男かって言われたら違うし。石動はなんで自分が女だって思ったわけ?」
少し棘のある言葉で、教室の他の人より細くても鋭い敵意で、芹耶の言葉は不動に刺さる。
男らしさ、女らしさというものはある。誰が決めたかもわからない暗黙の了解。
だがそんなものに当てはまらない人間は当然いる。そんな暗黙の了解をなくそうと頑張っている人間だっている。
女らしいから女になったなど、くだらない性規範に迎合するかよわい女、であるというのに他ならないから、などと言おうものなら一発殴るのも厭わないのが芹耶の気持ちだった。
不動は少し考えてから、答えた。
「女だと思ったから」
「……いやだからその理由を聞いてんだよ」
「女だと思ったから、に理由なんてない。そう思ったから」
「うーん……」
どう聞き出そうか、と思って、何を聞き出そうか、と思って……。
そもそも自分が納得する答えなんてあるのか、と芹耶は思い至った。
芹耶は自分が女に生まれてガサツだったりしても女であるとなんとなく思っているが、それに理由などない。
らしいから、なんて理由よりもよっぽど誠実ではないか、そう思ったから、というのは。
「なるほどなー。でも他の人それで納得しなさそうだ」
「……私は私が納得できたらそれでいい」
私、というのは少し違和感のある言い方であった。不動はもともと一人称が俺だったのを、今になって直したからだろう。
「俺っていう女がいてもいいんじゃない?」
「それは、私が嫌」
「あそ。じゃ、それでいい。教室帰るか」
「うん」
してまあ、少しスッキリした関係に、爽やかな夏の風が吹き通る。
六月二十六日の朝のことであった。