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六月二十五日の朝、その異変が起きた時よりもその夜、クーラーを点けるにはやや涼しい時間に問題は表出していた。
石動不動の部屋には姉とその彼女がいた。そしてその部屋の主である不動はベッドの上に鎮座して自分の意見を通そうと、目前に立つ二人の女にと自分の意見を発した。
「女になる」
そういった声は既に鈴の音のように凛と高く、髪も首元まですらりと伸びたショートカット、制服姿は胸の部分に確かに女性的な膨らみがあり、なるほど見れば見るほどに不動は女である。
が、部屋の内装には昔蹴っていたサッカーボールが吊るされポスターもサッカー選手のものがある。昔読んでいたサッカー漫画も少年漫画であるし、なんならベッドや絨毯も青を基調としたもので、どうにも男らしさがあった。
なにせ石動不動は今朝方までは確かに男であった。
前に立つ二人の女は生まれつき女であるが。
「そりゃお姉ちゃんは妹が欲しいって言ったことあるけど、弟をなくしたいとは思ってないからね?」
姉の石動無明は、諭すように優しく言う。その姿は女になった不動のすべてを幾分かスケールアップしたように身長が大きく髪が長い。包容力、というのか気持ちの余裕も今の不動よりはあるようだった。
だが二人揃っていくらか気持ちに焦りがあるのも事実だった。
突発性性転換症候群、SUDDEN-GENDER-TRANCE-SYNDROME、TS病とも呼称されるこの病は本人の面影すらなく姿かたちから性機能までを女性は男性に、男性は女性にと変異させるものであった。
全くもって原因不明、意味不明のこの病気であるが特効薬は既にできていた。罹患から一週間以内にワクチン投与すればすぐに元の姿に元通り、ということで社会的な混乱は非常に小さくまとまっていた。あるいは神罰などと宣うものもいるが、今は割愛。
大きな問題は、不動がワクチン投与を拒否していることであった。
「……そりゃ女の人が好きだけど、でもそれと自分の性別は関係ないと思う、し、この体になって、自分ではこっちの方が、なんかしっくり来た感じがするから」
不安げで目も合わせてくれないが、弟の拙い言葉はそれなりに真剣であることは伝わる。弟より三年長く生きているし、十五年間連れ添った姉弟であるのだ。姉妹になろうと気にしない、とまでは言わないがその意を汲んでやりたい気持ちはある。
だがそう簡単に行かない社会の問題、罹患して治さない人間など社会から白い目で見られるし、それを嫌う両親だったからである。
「……じゃあ、まあちょっとくらいは女の子になってみるのもいいかもね。合う合わないって試してみてわかるものだし、お母さんにはそう言っておくよ」
「……ごめん、姉ちゃん」
部屋から二人が出て一人、不動は申し訳なさと所在なさで胸がいっぱいになって、ベッドに倒れた。
朝起きた時、女になっていた時、驚きも焦りもしなかったのは事実だ。自分の体の柔らかさを、膨らんだ胸の重さも、やや長くなって蒸す髪も、普段より感じる枕の男の臭いの違和感も布団にすっぽり収まる体も全てを合わせても、慌てることなく一言『なるほど、そうか』と納得できた。
一人称は俺だった。女性の方が男性より性的に好きだ。ただそれ以上に自身が女であることに不思議な納得があった。こんな病が流行り、それが自分の身に降りかかって初めて気づいた事実であった。
石動不動はそうして自分は心身ともに女になったと、また奇妙な根拠のない確信を得た。