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死への一歩

作者: 百川歩

たまに自分がどうしようもないアホに思えてくるときがある。どうしようもなく死にたくなる時がある。それは自分の言った言葉を思い返す時、どうしてあの時あんな言葉を言ってしまったんだ、あんな行動をとってしまったんだと思いついた時。そして自分がそれを繰り返し続けてしまっていると思う時だ。

コミュニケーションに正解はない。わかっている。だけどあの時の言葉は間違っていた、そんな気がする。ずっとずっとそんな気がする。しまいには自分の存在自体が間違っているような気がする。自分が最も忌み嫌う「自分可哀想ですよー君」に自分もなってしまっているのかもしれない。そして怖くなる。相手はどう思っているんだろう。こんな俺をどう思っているんだろう。日々自家撞着を繰り返し、目標と行動がちぐはぐなこの俺を。人間はこんなものだ、と思うのはとても楽だ。だけど思考を停止させてはダメだとも思う。

不安だ。不安。どこかに自分を全肯定してくれる人はいないだろうか。心の底から愛してくれる人はいないだろうか。こう言うとメンヘラのように聞こえる。いや、自分はもしかしたらメンヘラなのか。欲しい。癒してくれる人が、安心できる人が欲しい。近くに寄り添って、頭を撫でてくれるだけでいい。なんならそばにいるだけでいい。お金を払ったっていい。でもお金はいらないよ、とも言ってほしい。俺は強欲だろうか。違う。みんなどこかにそれを欲しがっているはずだ。自分を絶対的に褒めてくれる人を。自分が自分であることを肯定してくれる人を。

俺は卑しい人間です。行動の全ての源は怖さからです。愛されないのは、嫌われるのは怖いのです。こんな俺を知ってください。こんな俺を愛してください。それだけが俺の救いです。どうか、どうかご慈悲を。


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トラックにつっこんで脳死した男性の遺書を見た。この遺書が書かれた5日後に自分からつっこんで行ったそうだ。この男性はもう生きていない。殺したのは自分だ。彼の心臓は僕が奪って、今僕の身体に入れられている。この自殺者は心臓病で死ぬはずだった自分を救ってくれた人。死にゆく僕の身体を生かしてくれた人。だが、どうやらこの人は救われなかったらしい。

心臓がドクン、と脈を打つ。この心臓は生きている。生きようとしている。僕の心臓とは違う。しかし彼は死んだ。自ら死を選んだ。彼の身体は偽物に入れられてもこうして生き続けてしまうのに。

僕はまた考える。死について、生について。あやふやで、明確で、おぼろげで、きっちりと規定されているその2つの事象。考えてもわかるわけのないこと。だけど確かに、生と死は僕の中で形を帯びてきている。わかるような気もする。わからないような気もする。それが幾重にも重なっている。結局のところは、自分はわかっていないのだろう。ただ、ひとつ言えるのはこれから僕はちゃんと自分の身体で歩いていかなければならないということ。フィクションではない、このリアルな社会を。

僕は生きている。生かされているではなく、生きている。かろうじてだが、形を留めて。僕はそれを自覚しながら今日もまた一歩、死へと近づいていく。

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