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「―――……と、………文斗!」
(誰だ、私を呼ぶのは……?)
音声を知覚した瞬間、フッ、と意識が浮上した。
重い瞼を開けると、余りの光でしばらく目が眩んだ。やがて視界の中央に浮かび上がる見慣れた女性の顔。但し本来右目がある筈の場所は今、医療用の白い眼帯で覆われていた。
「良かった。お前が最後だったんだぞ」
「先輩……その目は、一体……?」
ジーンズにYシャツ姿の彼女は、謎めいた微笑のまま私の前髪を撫でる。その包帯を巻いた手を見た瞬間、意識喪失直前の記憶が蘇る。
「まさか……あの鳥達の攻撃で……!!?」
「片目で済んだだけ、まだマシな部類さ……お前を巻き込んだのは軽率な判断だった。本当に済まない」
「そんな、っぐっ!?」
起き上がりかけた途端、左脚に走った堪え難い激痛。吃驚して患部を抱えかけ、更に全身からの悲鳴に悶絶する羽目になる。
「おい、急に動く奴があるか!丸四日も昏睡していたんだぞ」
「そ、そう言う大事な事は先に教えて下さい……いった……うぐぅ!」
呻きつつ両脛を擦り労わる。ようやく痛みが治まった所で、今度は強烈な咽喉の渇きを覚えた。
「ほら、取り敢えず水を」
「あ、ありがとうございます」
一気にコップ三杯を飲み干し、やっと落ち着いた。
どうやらここは我が家のある街、シャバムの中央病院らしい。あんな凄惨な逮捕劇があったとは信じられない程、窓から見えるメインストリートは平和そのものだった。
「もう半時間もすれば、奥方と恵君が見舞いに来る。帰りに医者を呼んでおく。お前は何も心配しなくていい」
「済みません。先輩も重傷なのに、何から何まで……」
「何。駄目上司として、せめてこれ位はしてやらんとな。ああ。お前の怪我の具合だが、左脚は何十針か縫ったそうだ。医師の話では、幸いにも神経には掠っていないらしい。傷さえ塞がれば問題無く歩けるようになるだろう。良かったな」
淡々と告げる隻眼の横顔は、不思議と作戦前より凛々しく見えた。しかし鈍い彼女は知らないに違いない。研修時代からずっと、私が密かに懸想している事など……ほんの一欠片すらも。
「だが今日目が覚めてくれて、本当に助かった」
「あの、先輩。黒は……?」
恐る恐る例の尼僧について尋ねると、さあな、先輩は首を横に振った。
「私達が撤収する時には、とっくに姿を消していた―――置き土産に死体を残して、な」
「!!!?」
「『S作戦』の翌日、政府館の裏の林で発見された。派遣先の寺に問い合わせた所、間違い無く本物の尼僧だと確認された。尤も四肢損壊の上、犬に喰い荒らされたせいで照合は大変だったらしいが」
では、最初から……成り代わっていたと、言うのか。
「果たして何者だったのだろうな、あれは」
怪僧の所業を伝えるべきだろうか。いや……『Dr.スカーレット』は捕縛されたのだ。彼女が牢獄内にいる以上、当面現れる事は無いだろう。
先輩は腕組みし、溜息を吐く。
「さて。ここからは副聖王より極秘にと聞かされた話だ。部隊の複数人の遺体には、刃物に因る致命傷があったらしい。凶器は私達の誰一人所持していなかった、流線型の長い刃。だが」
スッ。私の額に手を添え、視界を奪う。
「―――全ては終わった事だ、文斗。お前はお前の日常へ戻れ、いいな?」
温かな、分厚い筋肉で覆われた掌。自身の犠牲を恐れず、幾多の戦いに身を投じる女性の手だ。
「先輩、は」
「分かっているだろう?」
フッ、と肩の力が抜けた笑顔を見せる。
「辞表を提出して来た。最後に直接お前に謝れて良かった。今まで本当にありがとう、文斗」
「………」
「頼むから辛そうな顔をしないでくれ。今回の一件で、却って踏ん切りが付いた。恐らく会う事は二度と無いだろうが、お前なら何があっても大丈夫だ。私が保証する」
言って入口まで後ずさり、片手を挙げる。
「じゃあな、文斗。しっかりやるんだぞ」
「先輩!?わ、私はまだ……!!」
あなたに教わりたい事も、伝えたい事も山程、
キィ。「あ、東雲さん」「おや、丁度良かった」
病室へ入って来た妻へ、先輩は丁寧に一礼。
「たった今目を覚ました所だ。医者を呼んで来るから、傍に付いていてやるといい。恵君も」
「うん!」
パタパタパタッ!無邪気にベッドまで走り寄る一人息子。が、細い手足で這い上がってくる一瞬、彼の顔にあの植物使いの少女が重なった。
「お父さん?」
「あ、あぁ……大丈夫だよ。さ、おいで」
今にも愛する者を縊り殺しかねない、両手の痙攣。それを意志の力で抑え付け、血を分けた肉親を膝の上に抱いた。
そうして子供特有の熱い体温を感じ、安堵している内に―――微かな残り香を残し、東雲 杏もまた病室を去っていた。