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ガタンッ!「わっ!?」「おっと、今のは大分揺れたな。山道に入ったらしい」
尻が一瞬浮遊した拍子に、反射的にあられもない声を上げてしまった。他でもない先輩の前だと言うのに。
穴があったら入りたいと後悔しつつ、手は無意識に腰の拳銃へと伸びていた。研修でしか射撃訓練を受けていないため、これしか借りられなかったのだ。生兵法は怪我の元、同行の先輩にもそう忠告を受けた。使うのは本当にもしもの時だ。
現在私達が向かっているのは中堅細菌学者、ダン・ルマンディ氏の私設研究所だ。そこでバイオテロを企てる彼の妻でマッドサイエンティスト、『Dr.スカーレット』を拘束。並びに彼女に洗脳された子供等を救出する作戦だ。尤も私達三人は救護班、要するにサポート役だが。
「おい、ド素人共。さっきから五月蝿えぞ」
で、比較的揺れの少ない前側に陣取っているのが実働部隊。何れも筋骨隆々な四人の男達だ。その内最も体格が大きく、リーダー格のゴリラ面が歯牙を剥き出す。
彼は強行課所属にして作戦のサブリーダー、バントレー・ディタントだ。早く暴れたいらしく、先程から軍用ブーツでひっきりなしに貧乏揺すりを繰り返している。今はエンジン音で紛れているが、停車すれば間違い無く五月蝿くて敵わないだろう。
「ああ、済まない。防衛団の私はともかく、後輩はこれが初の実戦なものでな。どうか大目に見てやってくれないか」
流石は先輩、大人の対応だ。が、ゴリラの返答は車体への踵落しだった。
「ケッ、足手纏い共が!副聖王も、何だって用無しの救護班なんざ」「―――おや、随分と自信がお有りなのですね」「!!?」
荷台後方左端。それまで入口傍で彫像の如く沈黙していた最後の救護員は、ゆったりとした仕草で剃髪した頭を撫でた。
「い、いたのか手前……」
「面白い事を仰いますね。乗車前に御自身で点呼なされたのに」
そう指摘すると、戦場に不釣合いな黒い僧服の尼は朗らかに笑む。関わり合いになりたくないとばかりに舌打ちしたゴリラは、そそくさと運転席側へ姿勢を変えた。腰巾着三人もそれに倣い、私達へ背を向ける。
「話し掛けて来たのはあちらだと言うのに、おかしな人達ですね。ふふ」
傍目には見えないが私達同様、勿論僧服の下には支給品の対刃ジャケットを着込んでいる。お陰で若干着膨れでゴワゴワするが、命には代えられない。
尼僧の名は黒。昨日の自己紹介に因ると、“白の星”出身の僧だそうだ。前々から所属の山寺に代々伝わる応急処置術を広く喧伝していた所、急遽スカウトされたらしい。異例の大抜擢、と言う奴だ。
(しかし私同様、彼女も戦場に立つのは人生初の筈。幾ら手馴れているとは言え、極限状況で本来の実力を発揮出来ると考え難いが)
しかも聞く所に因ると、敵は異能使いの幼子達。救護鞄では対処し切れない、想定外の怪我を負う公算は高い。
(ならば副聖王様は何故、この任務に彼女を登用し)「私の事など宜しいではありませんか、壬堂さん」「っ!!?」
作戦会議で初対面した瞬間から、うっすらとは感じていた。彼女の時折放つ、この怖気を走らせざるを得ない独特の雰囲気は何だ?禁忌に触れるのにも似た、酷く冒涜的な感覚は……。
「その内嫌でも分かりますよ。あなたは面白い位顔に出る人ですから、ねえ班長?」
「余り虐めてやるなよ、黒。それが文斗の良い所さ。変に気兼ねせずに済む」
「先輩!?」
羞恥心に駆られる私を、尼僧は瞼の裏から可笑しげに観察。本人は生来の薄目で、特に視覚障害も無いと言っている。が、少なくとも私には一ミリも開いて見えなかった。
「昨日の会食の時も思いましたが、お二人は仲が宜しいのですね。そう親密になれるものなのですか、外界の師弟と言うのは」
「たった三ヶ月研修に付き添っただけさ。師匠など大袈裟な」
クスッ。
「文斗も私の弟子など嫌だろう?」
「い、いいえ!東雲先輩は、私の一生尊敬する偉大な師匠ですとも!!」
大真面目に叫んだため、五月蝿えぞ救護班!又もゴリラが怒鳴る。が、黒が余程恐ろしいのか、物理的制止には来なかった。
「文斗……全く、お前と言う奴は……」
幌に吊り下げられた携帯ランプの下、ほんのり頬を染める先輩。彼女には珍しい初々しい反応だ。節操も無く胸を高鳴らせていると、黒が背後の幕を少し捲り、真っ暗な車外を確認した。
「先程より速度が落ちましたね。どうやら目的地が近いらしい」
「だな。二人共、降車の準備を。くれぐれも忘れ物の無いようにな」
忠告しつつ先輩は目配せし、私へ別の命を与える―――この尼僧から目を離すな、決して警戒を怠るなよ、と。