幕間 『理由』
鈴は異世界に旅立つ前日、托矢の家に泊まった。特に理由は無い。そういうことになっている。あえて理由をつけるなら、この先どうなるかわからない中で少しでも一緒に居たかった、というだけだ。
二人は月の光が射し込む托矢の寝室で明日に向けて眠ろうとしていた。
「なぁ鈴、お前はなぜ異世界を目指したんだ?」
托矢はいつもとは違う真剣な口調で訊く。鈴は昔を懐かしむように「なんでだろうな…」と言ってから、ゆっくりと話し始める。
「ブライソン博士の言葉を借りるなら『創造の情熱を失った世界に夢も希望も抱けなくなった』ということになるのかな。この世界にいては『本当の成長』が出来ない気がするんだ」
その言葉を聞いて托矢は少し悲しそうに応える。
「なるほどな、そういうことか。この世界はあらゆるリスクを排除しようとしているからそう思うのも当然のことなのかもしれないな」
「どういうことだ?」
「つまり何かを失うことや失敗する事を恐れ過ぎているのさ。これは持論だけど、何かを得るためには失う経験をする事も同じ位大切な事だと思う。失ったことに対する後悔から守る道具が生まれ、失敗を恥じるから成長する、そう思うんだ」
鈴はわかったようなわからないような表情をして尋ねる。
「そういうお前は何のために異世界を目指したんだ?」
「それは楽しそうだからさ。それが俺のポリシーだからな」
「そういえばお前がそのポリシーを持ったのって研究が本格化した頃だったよな?」
そう言って鈴はふと思い出した。托矢はその頃に妹を失っていた事を。それから鈴は黙ってしまった。それを気にする素振りも見せず、托矢は話し続ける。
「俺もひとつ面白い話をしよう。『Card of Fate』つまり『運命のカード』の話だ」
そして托矢はいつもの口調に戻って語った。
「カード、特にフェノメノンカードは使用者のイメージをもとに効果を発揮する。つまりカードの働きは精神力に依存する部分が少なからずあるんだ。そして人生で最もカードを必要とする時、その気持ちがカードに届くと、それはどこからともなく現れるらしい…」
これもまたカードに関する都市伝説の内の一つなのかもしれない。そう思って鈴は本気にはせずに聞いていた。しかし、そこにきてあることをふと思い出した。
「そういえばブライソン博士の最期の言葉って」
「『カードに不可能は無い。なぜなら……』だろ。手紙の最後に書いてある」
「そうだ。まるでその先を想像させたいみたいに聞こえるな」
二人はそんな会話をしながら眠りについた。
その夜もふける頃「会えるものならまた会いたいな…」という鈴の寝言を聞いたものはいない。
鈴はこの夜も夢を見た。
今ではもうすっかり昔の夢だ。
鈴は暗い部屋の隅でうずくまり、ただ無気力にうつむいていた。リビングからは両親の怒鳴り声が、絶え間なく聞こえてくる。
この世界に生きる理由はあるのだろうか?
そんなことを考えてはこの世界に嫌気がさし、どこかへ逃げたくなる。
もっと自由で、もっと綺麗で、もっと生気に満ちている、そんな世界へ。
もっと可能性が広がっていて、もっと成長できる、そんな場所はないものだろうか?
しかし現実は無慈悲だ。何も変わらない明日を運んでくる。
そして鈴は、抜け出せない場所から目を背ける。
ずっとそうだった。そうするしかないと思い込んでいた。
托矢と出会うまで、ずっと。
だが、今は違う。
友達の手を借りて立ち上がることも、共にこの世界から逃げ出すことも出来る。
自分の進む道を、未来を自分で決められる。
もう、この夢は悪夢ではない。
そして、心に余裕があるからこそ見える景色もある。
実際春休みに旅をして、多くの素晴らしいものを見た。
それでも異世界を目指す。
そこに未知があるのなら、踏み出さない理由は無い。
きっとその先には、もっと美しい世界が待っている。
彼方に辿り着いた時、いったい何を想うのだろう?