第7話 『名残』
鈴と托矢が扉の向こうに旅立ってから数時間後、実佳と海希は鈴の家にいた。そしてひたすらパズルを解いている。結構な難易度のようだが、二人で分担して次々と解いていく。
十問近くあったパズルを解き切ると、二人は部屋の隅に置かれた机の引き出しを漁る。そこには、二通目になる手紙が入っていた。
実佳は正気に戻るとまず海希を口止めし、椅子に倒れ込むように座って手紙を開けた。手は僅かに震え、乾いた笑みを浮かべているが、何とも嬉しそうだ。
その手紙に全て書かれていると思ったのだろうが、彼女が取り出した便箋に記されていたのは意味不明な文字列、案の定、暗号文だった。
「あなた、パズル部の入部希望者ならこれ位は解けるわよね?」
実佳はそう言って良い笑顔で後輩に手紙を押し付けると、さっさと部屋を出て文芸部の仕事に戻っていった。
さて、一人ポツンと部室に残された海希だが、嫌な顔一つせず、というかむしろ楽しそうに例の暗号文を解き始めた。
そこまで難しくもなく、三十分も経たないうちに解読を終えると、秋月家を訪ねろ、という内容の文が出てくる。自宅を知らないと進めない、知人でない人に謎を解かれない為の保険だろうか?
「面白そうだな...」
海希はしばらく忘れていたそんな言葉をいつの間にかつぶやいていた。僅かな間の邂逅だったが、鈴と托矢、二人の鱗片に触れたことで何かにあてられたのかもしれない。
窓から見える花びらの散った桜の枝が、なんとも寂しく見えた。
程なくして実佳が戻ると、海希は手紙の暗号について伝え、二人揃って鈴の自宅に直行した。どうやら今の時間で残っていた仕事を片付けてきたらしい。
秋月家に到着すると、実佳が顔見知りだったようで、すんなりと鈴の部屋に通された。無駄なものはほとんど置いていない、整理の行き届いた部屋、いつもと変わらない。しかし、実佳には鈴の残り香が少しずつ薄くなっている気がした。
何気なく机の上を見ると、例のごとく数問のパズルが置いてある。鈴がいつも作るペンシルパズルという種類のパズル、中でも解くと答えとして文字列が導かれるタイプのものだ。
それを見るなり二人は協力して解きはじめる。答えには部屋のあちこちの場所が示され、それぞれの場所には鍵が隠されていた。そして、部屋の中でその鍵が使えそうな鍵穴は一つしかない。机の引き出しである。
ここにきて場面はこの話の最初に戻る。
手紙とはいったがどの手紙とは言っていない、そんな鈴の悪戯心が透けて見え、実佳は苦笑いしつつも、内心ではどこか安心感を覚えていた。
その手紙に書かれていたのは一言で表すなら「原理」の話だ。
「カード」それが一般に普及して、犯罪やテロに利用されないのかと疑問を持つ人も多いだろう。実際、これが自由に使えたら大戦時代に逆戻りだ。しかし、その点については現在全くと言っていいほど支障がない。カードの発動にAIによる制限を掛けているためだ。
例えば、生物に対しての殺傷行為やクローン人間の作成、公共物や事象の改変、それらは全て自動でキャンセルされる。また、カード自体もさることながら、カード関連機器にも似たような制限機能があり、危険物の精製なども出来なくなっている。規制するか否かの判断は全てAIに依存しているが、星の数はどの事例から学習したAIの判断は実に公正だ。
だが、この制限機能にも抜け道はある。研究所などで専用の機械を使えば、必要に応じて制限を解除できるのだ。厳しい審査を通過せねばならず、研究者以外には必要性が皆無なためほとんど知られていないが、不可能ではない。
そして、その制限解除機能を解析機が持っていたらしい、という事が手紙には書かれていた。
鈴と托矢は紫苑学園に入学してすぐの頃、ひたすら合成機と解析機で遊んでいた。部室の机の上にはバインダーが開かれ、大量のカードが散乱している。
「どうだい解析機の調子は?」
托矢は顔も上げずに聞く。
「割と良いよ。合成機で作った新しいカードでもちゃんと情報が出る。多分、元々データベースみたいなものがあるわけじゃなくて、スキャンしたカードの中身とか構成とかを調べて効果を表示しているんだろうね」
そうして自身の見解を説明する鈴は満足そうだが、対して托矢は不満らしい。
「こっちはてんでだめだよ。制限が多くて自由度が低いから面白くないったらありゃしない」
「アイディアとしては悪くないと思うんだけどね」
曖昧な返事と共に、鈴は解析機を通した二枚のカードを托矢に放り投げた。受け取った托矢はカードを無造作に合成機に入れる。
このあたりの連携は流石という他ない。互いに互いの考えを理解していなければ出来ない芸当だ。
おかげで二人はある程度まで会話無しで作業するようになり、部室の中はかなり静かだ。傍から見れば異様な光景だろう。
そんな中にピピッという電子音が響き渡り、合成機の合成完了を伝える。取り出したカードを見て托矢は怪訝そうに眉をひそめた。
「おいおい、濃硫酸ができてるぞ」
「さっきの二枚のカードは『三酸化硫黄』と『水』だからな」
鈴はこともなげに答える。
「そうじゃなくて、濃硫酸って確か資格がないと製作と所持が出来ないカードだろ。この合成機もカード関連機器としてデータベースに持ち主が登録されているから制限機能がはたらくはずなんだ」
「なるほど、確かに濃硫酸は制限対象カードだが...」
そう言って鈴があれこれ考え始める中、托矢は喋り続ける。
「しかも、さっき『食塩水』と『電解』を合成しようとしたときは『危険物取扱資格未取得の為、合成できません』って表示されたぞ」
「同じ制限がかかるはずでかからないって事か?」
「そう、つまり、解析機を通したことで何かしらの制限機能が解除されたかもしれないってことだ」
「ありえるな」
そう言うと二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
そこから先は早かった。二人はカードをひたすら解析機にかけ、合成する。次々に新しいカードを生み出し、遂に当初の目的であった、異世界にアクセスできるカードを作り上げた。カード名は「異界への裂け目」。
もちろん、完成したらすぐに使ってみた。
すると突然、雷が落ちたような光が迸り、文字通り空間が裂けた。
裂けた空間の隙間からは、いかにも妖しげな虹色の光があふれてくる。しかし、隙間はかなり小さい。
「これが本当に異世界に繋がってるのか?」
鈴は半信半疑の眼で裂け目を見つめる。
「何言ってんだ、これが異世界以外のどこに繋がってるって言うんだよ」
「それもそうだ」
そう言うと二人はおかしそうに笑った。
「ここからが本番だ、頑張ろうぜ」
「なあに、もうすぐさ」
そんな会話をする二人をよそに、裂け目は少しずつ閉じてゆく。
帰り際、鈴はポケットの中のそれを閉じかけた裂け目に優しく投げ入れた。そして祈るように目を瞑る。目を開けた時には、空間の裂け目は跡形も無く消えていた。
まるで、役目は果たした、とでも言っているような、そんな消え方だった。
その夜、少年は夢を見る。