第6話 『終止符』
終業式が終われば、学生は春休みに入る。いつもの鈴と托矢なら初日から部室に籠り、冬眠する穴熊のごとく、ほとんど外に出てこなくなる。しかし、今回ばかりは違うようだ。初日から早朝の新幹線で出掛けて行った。もっとも、誰も姿を見る事が無いという点では全くもっていつも通りだ。
わざわざ遠出して何をしているのかと言えば、観光である。
観光聞くと普通のことに思えるが、この場合はいささか度が過ぎている。二人は各地を旅行し、数多の名所を巡り、ありとあらゆる名物料理を食べ、何一つ残さぬ勢いで遊んだ。これが三月末まで続く。
そんな金をどこから捻出しているのかといえば、二人は小学生時代に托矢の父と協力して新しいゲーム制作した、その収益を利用している。
これはカードの研究を行う際にも大いに役立ったものだ。というか、カードに関する研究も終わり、余った金で遊んでいるという方が正しい。
四月に入り、始業式まで約一週間となると二人はあまり遠出しなくなり、代わりに学校内や近所で遊ぶようになった。既に知り尽くしているはずの校内を巡ったり、全て攻略し尽くしたゲームをプレイしたり。とにかく手あたり次第という風に何でもやった。
ちなみに、二人が数年前から春休み最後の日までやり続けていたゲームがある。それが『音ゲー』だったりした。
うららかに晴れ渡った春の日。八分咲きの桜に囲まれた紫苑学園で、入学式と始業式が執り行われていた。鈴も托矢も実佳も、中二としてそこにいる。
午前中に式典の類を終えると、午後は部活の新入生勧誘祭りだ。パズル部など、一部の部は勧誘を行っていないが、ほとんどの部は忙しそうに勧誘と、それに付随する仕事に追われていた。
実佳の所属する文芸部も例外ではなく、彼女はそこでそわそわしながら作業をしていた。皆テキパキと働いてはいるが、なかなか終わらないらしい。
そこに、新入生と思しき一人の少年がやって来て、おずおずと質問した。
「お忙しいところすいません。パズル部はどこにあるか教えて頂けませんか?」
背が低く童顔で、中一にしては幼く見えるが、どこか堂々としている。それでいて腰は低く、嫌な感じが全くしない。そういう所は大人っぽいが、やはりかっこよさより可愛らしさが先に来る、そんな生徒だった。線が細く美形ではあるから、数年もすれば相当にモテそうだ。
実佳は、彼の対処に難儀している先輩に申し出る。
「私がパズル部まで案内しましょうか? 私も少し用事があるので」
仕事が多い中、新入生を無下に扱うことも出来ずに困っていたのだろう。先輩はその提案を快諾してくれた。
「こんにちは。じゃあ、行こうか」
そう少年に声を掛ける彼女の声音は少しだけ弾んでいた。
パズル部への道中、実佳はまず少年に挨拶をして名前を聞いた。すると
「申し遅れました。私は明智海希です」
といういかにも模範的な答えが返ってくる。誰かさんとは大違いだ。
聞き覚えのある名だと思ったら、ついさっきの入学式で特待生の一人として表彰されていた。考えてみれば当然だ。特待生でないとパズル部には入部できない。
その後、実佳も軽く自己紹介を済ませると。話題は自然とパズル部に向かった。
「あなた、もしかしてパズル部の入部希望者なの?」
「はい。パズルは好きですし、部員は今もいるそうなので。そういえば勧誘はしていないみたいですけど、入部できるんですか?」
「規定上は全く問題無いのだけど、あまり期待しない方が良いかもしれないわ。部員二人が二人とも変人でね...。 ただ、パズルやゲームの腕に関しては折り紙付きよ」
「なるほど」
海希はそう言いつつも、よく分からないという表情をしていた。
部室に到着し、実佳が戸を叩く。すると、中から「あ~い」間延びした返事が返ってくる。そして中に入ると、二人は驚きのあまりその場で固まった。
それもそのはず。部屋の中には天井に届きそうなほど大きな虹色に光る扉が鎮座しており、その手前には登山にでも行くような格好で鈴と托矢の二人が待っていた。
「お、やっと来たか」
托矢はそう言って立ち上がり、傍に置いてあったリュックサックを肩に掛ける。鈴もそれに倣って立ち上がり、持っていた封筒を実佳に投げた。
「事の全容は手紙に書いておいた」
そう言うと、托矢と共にその虹色の扉に手をかけ、ゆっくりと押し開ける。
少しずつ開いていく扉の隙間からは、強く冷たい風と、虹色とも白ともつかぬ不思議な光が溢れ出てきた。二人は扉を開き切ると、顔を見合わせて頷き、声を合わせてこう言った。
「さあ行こう、僕らの世界へ!」
そして最後に一瞬だけ振り向き、鈴と托矢は揃って光の中に飛び込んだ。残された二人は、ただ呆然と霧散する虹の扉を見ているだけだった。
散った扉の残滓が消え、少しずつ正気に戻る意識の中で実佳は気がつく。自分が涙を流していることに。また、最後に振り向いた鈴が今まで一度も見たことの無い、希望に満ちた本当に楽しそうな表情をしていたことに。
実佳はそっと涙を拭って手紙を拾い上げる。
他に二人が残したものは無いかと部室を見渡すと、入り口で海希が黙って立っていた。
この出来事はその場にいた四人にとって、終わりであり始まりであった。このステージにはここで終止符が打たれ、また新たな物語が紡がれる。
こうして鈴と托矢は異世界へと旅立った。