第4話~宿主との相対
月明かりのみの暗い路地裏を灯りも点けずに無言で進む。直に標的と被害者は視界に現れた。
仰向けに倒れて血を流す男性。驚愕に見開かれた瞳は虚ろにこちらを見ていた。傍らに立つのは若い男だ。まだ少年といっていい年齢の男は倒れて血を流す男性を見て、引きつるような笑みを浮かべていた。
「新人!笛を吹け!」
指示を飛ばした隊員は小銃を男へ向け発砲しようとした。が、体勢が崩れ断念する。その間に別の隊員が夜空へ照明弾を打ち上げた。
照明弾で我に返ったカーズは慌てて笛を吹き鳴らす。光と音の二つの合図がナナガの夜空へと上がった。
「ぐっ!」
小銃を撃とうとした別の隊員がまた体勢を崩されるが、彼はそのまま地面に転がりつつ発砲した。そこへ、三方から別れていた隊員たちが合流する。
「足下の地面が滑った!何かを塗りつけてる感触じゃねえ!」
隊員が大声で状況を口にした。今来た隊員へ能力を報せる為だ。
「なら物をつるつるにしちまうのか!どっちにしても撃ち辛えな!」
カーズも小銃を構えて撃とうとしたが、不意に地面が滑り踏ん張りが効かなくなる。
「この!」
滑るのならそういうものだと割り切ればいい。滑るに任せて体を水平に保ち、狙いを定める。新人の中でもカーズは射撃の腕には自信も定評もあった。素早く男の心臓に照準を合わせ引き金を引こうとする。が、今度は急に地面滑らなくなり、カーズはつんのめって転がった。
「アッハッハハ!馬鹿じゃないの?大の男が滑って転ぶなんてさあ!」
転がったカーズへ地面を滑った男が恐ろしい速さで迫る。立ち上がって逃げようとする手足が滑り、カーズは頭の中が真っ白になった。男の拳が動けないカーズの喉を潰しに来た瞬間、銃声が響き男の拳が逸れた。
「ぎゃあああああっ」
肩を押さえて転がる男の足へまた着弾し、男の体が跳ねる。
「今だ!殺れ、カーズ!」
転がっていた体が引っ張りあげられ、カーズは銃口を男へ向けた。
「止めてくれ!助けてくれよ、頼むっ。ただの悪戯じゃないか。殺すつもりは無かったんだ!ほら、何十人も殺ったのに中級なんだぜ?大した罪じゃないんだよ!な?」
肩と足を押さえた男は今度は涙を流して命乞いを始めた。カーズは答えず訓練通り狙いを男の額へ定めて引き金を引いた …… つもりだった。
カーズは己の震える銃口を愕然と見た。指は凍りついたようにぴくりとも動かないのに、手は瘧のように震える。躊躇いなどないつもりだった。あれは宿主で人じゃないと割り切っていた。そう思っていた。
ぐいっと体を押し退けられ、カーズは後ろへ尻餅を着いた。代わりに前へ出されたのはレイブンで、彼は青白い顔で引き金を引いた。
「あれはショックだった。自慢じゃないが訓練では俺は優秀で、自分がこんなに情けないとは信じられなかったし、あの気弱なレイブンが俺の代わりに宿主を殺ったんだからな」
さばさばと語ったカーズは僅かになった酒を流し込む。溶け残った氷が澄んだ音を立てた。見計らったように新しいグラスに替えられ、カーズは店主に礼を言う。
「隊長も俺らと同じだったんすねぇ」
沁々と呟く若い隊員ニックも、他の隊員たちも通ったことのある道だ。通れなかったものは別の道を行き、通れた者が先へ進む。
結局カーズは二週間後、別の宿主を仕留めて先へ進んだ。
宿主殺しは一歩間違えば自分が殺される。サポートする先輩隊員も命賭けで、状況によっては新人に殺させるのを諦めて止めを刺す。見た目は完全に人間である宿主殺しに耐えきれない者、宿主に殺される者が何人も出た。
何よりも質が悪いのは自分自身が宿主になる者も出ることだ。合法的に宿主という人間を殺せる事に愉悦を覚える者である。
「同室のリッジは宿主になりやがったよ。俺が引導を渡した」
陽気で訓練も任務も楽しそうにこなしていた男は、人を殺す快楽に呑まれた。人の中の闇がどんな風に潜んでいてどんな風に牙を剥くのかなんて、表面だけでは分かりはしない。
あの時壇上でザッカスの言っていた、「命を軽んじるな。その意味は宿主と向き合えば分かる」という言葉の意味はその全てを含んでいた。
仲間の隊員の命を軽んじるな。宿主殺しを躊躇えば他の隊員の命が危険に晒される。
自分の命を軽んじるな。殺せなければ自分が殺されるのだ。
宿主の命を軽んじるな。殺すことに悦びを見出だせば自分自身が妖魔を生み、精神を喰われる。
「次の春が来るまでに新米隊員はほぼ全員宿主殺しを経験したが、脱落者は73名。内研修期間では12名、宿主殺しを出来ずに辞任が11名、殉職者が42名、宿主になったのが9名」
「毎年の事だが、嫌になる数字ですね」
ウィークラーが広い肩を竦めた。今年の新人教育担当は彼だ。今は研修期間だが、あと2ヶ月もすれば同じように新米隊員は宿主に向き合うことになる。
「もう一人の同室、レイブンさんはどうなったんすか?」
「レイブンはな」
カーズは溜め息を吐いてまた語り始める。レイブンについて語るのは、カーズにとって何よりも痛みを伴う事だった。