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わたしは会ってみようと決めた。
でもそう決心するまでには、数日が必要だった。そのあいだ、わたしはうだうだと大学に通い、つまらない講義を聴き流しつつ、考えにふけっていた。
どうしてだろう。いまさら罪をつぐなうわけではないはずなのに。そもそも罪なんてあったわけではなかったはずなのに。
それでも、何かしようと決心してから、リストカットはしなくなった。自分を傷つける理由がなくなったから。
自分を切り刻む道具だったカッターナイフは、ちゃんと自分のために物を切るカッターナイフに戻った。どんな道具だって使い方を間違えればヒトを傷つけることができる。でも、迷わなければ、決してヒトを傷つけることはない。
ごめんね、とわたしはカッターナイフに謝る。
さながら彼に謝るように。
本当は彼自身に謝ることはなかったのかもしれないから、この謝罪ははんぶん自己満足。でも、もうはんぶんは真心。まるで神様か何かにお祈りするような、真剣さで。
それでようやく、自分にかかった呪いと向き合えた。どこか後ろめたいと思っていた、自分自身と。
わたしはまだ幼かった。
身体よりも、どこか深いところが、まるで生焼けの肉のようにひどく幼かったのだ。
変われたなんて思ってない。
気づいただけだ。でも、それが大きな一歩だった。彼が「妖精」という言葉を、いつから使ってきたかはわからないけれど、自分のために使えると気づいたのと同じように、わたしは自分にいつのまにか掛けていた「呪い」に気づいた。気づいてしまえば呪いは効果を失う。その本当のところを気がつけば、解き方なんて自ずとわかる。
呪いは誰かに掛けられるのではなく、いつのまにか自分に掛けているものなのだ。現代で一番悪い魔法使いは、たぶん自分だった。それは安易で、簡単なほうに逃げようと、あったことをなかったことにして、忘れて無視する魔法を掛けるのだ。
わたしはその魔法を解いて、あのヒトの家の玄関に立った。
ベルを鳴らす。
間もなくそのヒトが現れた。
「あれ、どうしたの」
意外そうだった。
わたしはどう話を切り出そうか、すこし迷った。でも、もう何もなかったことにするつもりはなかった。
「成人式のとき……」
と言って、わたしはこれがあまり良い切り出し方ではないと思った。思ったけど、一旦言ってしまった以上は、最後まで言わないといけないと感じていた。
「あなた、『彼』のことを尋ねていたよね」
「えっ」
「『彼』は、いたわよ」
衝撃を受けていた。
まるで、思い出したくもないことを、いや、せっかく気持ちよく夢を見ていたのを叩き起こされたと言わんばかりの複雑な表情に歪んだ。
そして、不機嫌そうに言うのだ。
「何言ってるんだよ。そんなやついなかったはずだろ」
「わたしは覚えてる」
あえて語気を強めた。
相手が怯むのも構わず、わたしはもう一度言った。今度は、ゆっくり、優しく。
「わたしは覚えてる。だから忘れようとしないで」
きっと、驚いたことだろう。
思い出したように尋ねた『彼』のことを、誰にも否定され、いなかったことにされて、不安になって、自分を見失いかけているときに、実はあったんだよ、と話し掛けるわたしの存在に。それはまるで、『妖精の王国』に行こうよと話し掛けてきたあの日の『彼』のようだった。
でも、相手が返した言葉は、予想とは違った。
「逃げられるとは思うなよ、か……」
ああ、呪いに掛かった人間が、ここにもいたのだ。