魔道師と刺客
「痛っ、それにしてもラドビアスに怒られるな……」
女が小さく呟く。
「顔を見せろ、無礼な奴だ」
ドリゲルトが頭から薄物を引っ手繰るように取ったせいで髪に巻いたリボンがほどけて、亜麻色の長い髪が華奢な背中に流れるように落ちた。
「美しいな」
どんな言葉で嘲ってやろうと思っていたドリゲルトの口からぽろりと素直な言葉が漏れた。 ところが女の口からは辛辣な言葉が飛び出す。
「無粋な男だな、ドリゲルト。顔も下品だがやることも下品だ」
「何をっ」
一瞬で心を奪われたと思った女からの馬鹿にした言葉にドリゲルトは逆上する。 ドリゲルトは寝台の上に荒々しく上がって来ると女の亜麻色の髪を掴んで引き倒し、女の口を奪った。 もがいて顔を背けた女の口の端から血が滴る。
「外見も中身も獣だな。最低だ」
やっと唇を離した途端、平然と言われてドリゲルトは羞恥に我を忘れて女の服の襟元に手をかけるとそのまま服を腰のところまで引き裂いた。
そして――手が止まる。
「おまえ男か」
目の前に染み一つ無い白い体をさらしているのはどう見ても女では無かった。 見ほれるほど美しい顔をしているがその胸は平らで薄い少年のようだ。
「わたしは自分から女だと言った覚えはない」
そう言って男はドリゲルトを見上げて口の端をつりあげる。
――女に紛れ込ませた刺客か?
「まあ、良い。女でも男でも楽しんでやる」
ドリゲルトの言葉に女に化けていた男、イーヴァルアイは初めて狼狽し、顔色を失くして逃げ道を捜して目を彷徨わせた。
――あのご面相で美しい女や男に目がないのだから始末に負えぬ。 きっといつか色事で痛い目にあうのではないか。 酒瓶の半分を飲み干してガウシスは一人ごちた。
「ガウシス様大変でございます」
慌てた様子で扉を叩く音がしてガウシスは急いで酒瓶を寝台の脇に隠すと扉を開けた。
「何事か」
「賊の侵入でございます」
「陛下の御寝所に賊が」
ガウシスは足を縺れさせながら外へ出てきた。
「警備のものはどうした? 陛下の御体は大丈夫なのか」
ベオークのきつい魔道師の戒律を守る生活からやっと王宮付きの役目をもぎ取って楽ができる、と思っていたのに王がこんなに早く死んでしまったら。 ベオークに呼び戻されて厳しい咎めを受けるのは必至だ。
恐慌した頭を抱えたまま、呼びに来た二人の兵士を従えてガウシスは慌てて王の寝所に走った。
――重い。
一方、ドリゲルトの寝所に連れ込まれた上に、巨体に圧し掛かれてイーヴァルアイは息が出来ずに浅い呼吸を繰り返していた。 どうにかしたいがあまりの体重差に暴れても何の足しにも成らなかった。 それよりなにより、男に組み敷かれている状況事態がイーヴァルアイの思考を奪っている ――恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。 あの時のことを……。
自分が生まれた国を飛び出すきっかけの出来事が甦ってそれだけで体が硬直してしまう。
叫びたくなるのを堪えて目を硬く閉じる。
「陛下っ」
扉を大きく開ける音とガウシスの大声が同時にした後、兵士がばたばたと部屋に入って来てドリゲルトは体を起こした。
「何の用だガウシス。せっかく楽しんでいたというのに」
「は? 陛下のお部屋に賊が入ったと……」
顔色を失くして後ろの兵士を見ようと振り返る。
「はい、ここに今賊が」
兵士の一人が言い終わらぬ内にガウシスの体を剣で斜めに斬った。
「――謀られた……か」
ガウシスは呪文を唱えるがそれはもう一人の兵士の短い反呪の応えによって効力を失う。
「おまえ――魔道師だったのか」
寝台によろよろと近づこうとしたガウシスを剣を持った兵士が再度斬りつけた。
「ドリゲルト……様」
倒れたガウシスの体から血が流れて広がる。 その血溜まりに手を浸したもう一人の兵士は見る間に姿を変える。 死に行くガウシスの前にいるのは思慮深い顔をした老いた男の姿。
「お久しぶりです」
かすむ目と頭に浮かぶ顔と名前、北の小国の宰相エベント。 数ある小国の情報と実情を驚くほど把握し、ドリゲルトが全島を掌握したあかつきには高い地位を望んでいたはずの。
――では初めから仕組まれていたのか、王に御教えしなくては。 しかし、そこで彼の思考も命も尽きてしまった。
呪をかけたのか、ガウシス以外はラドビアスの姿が変わったことに気づかなかった。 ラドビアスは血溜まりに付けていた手で扉の内側に呪文を描いていく。
「結界を張りました、ヴァイロン様」
ラドビアスはしゃがんでガウシスのローブで手を拭う。
「ドリゲルト、わたしはモンド国国王、ヴァイロン・クロード・ヴァン・レイモンドールだ。おまえに奪われたものを取り返しに来た。覚悟しろっ」
ヴァイロンが大上段に剣を構える。
「モンド国だと? そんな国があったかな。何しろ数え切れない程の小さい城を落としたからな、覚えてられんな」
にやにや笑いながらドリゲルトが起き上がって言った。
「おまえらこのわたしを殺すつもりか、反対に殺してやるぞ。なぶり殺してもいいがわたしは今楽しみの途中だったからな。すぐに殺してやる」
「――イーヴァルアイ」
そこでドリゲルトの寝台の中にいるのがイーヴァルアイと気付いてヴァイロンが呻く。
「イーヴァルアイ様、いつまで大人しくやられているんですか、あなたはっ」
ラドビアスが大声を出すが、その声にはかなり怒りが入っていた。 しかしその声がイーヴァルアイの呪縛を解いたようだった。
「何でわたしを怒るんだよ、まったく」
身を素早く起こすとイーヴァルアイが印を組んでドリゲルトの背中に触れた。
『縛せよ』
おまえ、何を、と言う声はドリゲルトの口の外へは出ていかなかった。 後ろ手にイーヴァルアイを掴もうとしたドリゲルトの顔がこわばる。 見えない鎖で全身を縛られているかのように体が自分の意思に反して指の先ほども動かない。
そこへヴァイロンが剣を振り下ろす――がその剣は空を斬って寝台の敷布に突き刺さる。 それがイーヴァルアイがドリゲルトを庇って咄嗟に体当たりしたためだと気がつくまで少しの間があった。
「どういうことだっ、イーヴァルアイ」
詰め寄って肩を掴む。
「離せ、わたしの話を聞けヴァイロン」
顔を歪めるイーヴァルアイのむき出しの体のあちこちに残る痣に気付いて、ヴァイロンは掴んだ手を慌てて離した。




