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皇帝ドリゲルト

 その頃、西側の虜囚りょしゅうを閉じ込めている広間。 そこに漆黒の髪を高く結った色の白い二十歳前後の女が、西日を避けるように柱の陰で椅子に座っていた。 女のいるその広い部屋には何十人もの女が集められている。

 それぞれが自分の親を殺され、夫を亡くし。 身の周りの世話をする、いく人かの侍女だけを連れて行くことを許されて、自国から続々と送られて来たのだった。

 同じ境遇のはずなのだが矜持の高い妃、姫達であるがゆえにおしなべて互いに仲が悪かった。 そして、新しい虜囚が連れてこられるたびに厳しい目で値踏みをするのだ。

 その日連れて来られてきたのは背の高い女だった。 頭からすっぽりと薄物の布を被ってただ一人で連れて来られていた。

 ――身分の低い者なのかしら。 だとしたら一緒の部屋は嫌だわ。 着ている物は薄汚れてはいるが、淡い紫の絹織物で作られていて下賎げせんの者が着る物ではない。

 そんなことを考えながら眺めていると、その女がこちらを真っ直ぐ見ていた。 ちらりと薄物からのぞいた口元は確かに笑っている。 アステベートは、驚いて顔を背けて胸を押さえた。

 ――何なのだろう、あの女は。 あんなふうに不躾に人の顔を見てあんな笑みを浮かべるなんて。 アステベートはもう一度そっと伺うように女を見る。

 その女は先程のまま、にたりとした笑みを浮かべてこちらを見ていたかと思うと、するりと頭から薄物を取った。

 その顔の何と麗々しいことか。 ミルクに薔薇の花を溶かし込んだような肌。 細く優美に弧を描く眉の下に長い睫毛に彩られた水色の瞳。 小鼻のすっきりした高い鼻。 しかし、薄い唇の両端が吊り上げられたように半円を描いている所為で、その女を酷薄な顔に見せている。

 化粧もされていないのに目が話せないほどの磁力を持つ完璧なバランスで構成されている女。 アステベートはいつの間にか、同性ながら引き込まれるように見とれている自分に気付いた。

「アステベート様、どうかされましたか」

「何でもないわ」

 侍女の声に冷静さを装ってアステベートは何とか答えたが。

「アステベート様」

 再び声がかかる。

「何なの」

 苛ついてうるさいと侍女に言おうと侍女に向いたエステベートは固まる。 侍女の背後にはあの新入りの女が嫣然えんぜんと笑いながら立っていた。

「おまえは何者です」

 睨みつけながらアステベートが言うのに横から侍女も加勢するように口を出す。

「こちらはサイトス国のアステベート姫様ですよ、いきなりお側によるとは無礼でしょう」

 モンド国の妃などと言わないところが、サイトスからモンドへ輿入れする時に連れて行った侍女たる矜持なのかもしれなかった。 侍女にしても自分の主人が格下の国への嫁入など口惜しくてならなかったのだ。

 しかし女は侍女の言葉など聞いていないかのようにするりと交わして、アステベートのまん前に立つ。

「お初にお目にかかります、アステベート様。モンド国のヴァイロン様の后妃であられると思っていましたのにわたしの思い違いでしたか。では、お会いしても無駄だったかも」

「どういう事です?」

「わたしはヴァイロン様の存知よりの者でございますから」

 ヴァイロンの名を出されて唖然とするアステベートを残して女はさっさとその場を離れて行った。

「待ちなさい、一体お前は何者なの?」

 思わず立ち上がって後を追おうとしたが侍女に止められる。

「御止めください、皆が見ております」

 はっとしてアステベートが周りを見回すと他の女達が興味津々で注目しているのが見てとれて、いらいらと座りなおしてアステベートは唇を噛んだ。

 ――ヴァイロンの存知よりってどういうことなのか。 ヴァイロンの思い人ということ? だからヴァイロンはわたしを愛そうとしなかったのか。

 ヴァイロンのいつも見せる困ったような顔をアステベートは思い浮かべた。 あの時だってヴァイロンは出て行くと言ったわたしを止めることもしなかった。

 ――あの女のせいなのか。

 婚礼の時に初めて顔を合わせたときの喜びを素直に表すことなんて自分には無理だった。

 あんな凛々しい顔を、髪を今まで見たことがなかった。 銀に近い月のようなブロンドの髪に深い藍色の瞳。 嬉しくてならなかったのに、いやだからこそ優しくできなかった。 自分のほうが好きになっているなんて我慢がならなかったのだ。 重苦しいほどの恋情と矜持の板ばさみになって毎日が苦しかったというのに。 アステベートの殻のその奥をヴァイロンはのぞこうとはしてくれなかった。 やっぱり悪いのはヴァイロンなのだ。

「名前さえ名乗らなかった」

 アステベートは歯噛みしながら女の消えた方を睨んだ。 そこへ、侍女の声が聞こえる。

「何やら外が騒がしいですわ。もしや、ルクサン皇国軍の主軍が帰城したのでは」

 小さく言った彼女の声に部屋中の空気が一変する。 今まで囚われの身にも関わらず、お互いに牽制しあったりといつもの女同士の些細な戦いをしていた女達は自分たちに訪れる現実を思いだして黙り込む。その中で落ち着いた様子で窓から外を眺めている女がいた。

「やっとご到着か。早く迎えにきてほしいな、女どもの匂いで気が狂いそうだよ」

 不平を言うと口をとがらして頬杖をつく。 ドリゲルトの率いる主軍が帰城したのは先触れの早馬からニ刻ほど後の夜の帳が降りた頃だった。

 上機嫌のドリゲルトは側に控えている茶色のローブを着た男から酒の入った杯を受け取ると一息に呷って空の杯を男に渡した。

「ガウシス、この遠征は大成功だったな」

「左様でございますな、最初は陛下自らご出陣されると聞いて大変心配いたしましたが」

 そんな心配が馬鹿らしくなるほどこの島の国々は容易かった、のだ。

「退屈な会議よりわたしはこちらのほうが性に合っている。毎日おもしろくてならなかった」

 大きな口で笑う大男、ドリゲルトを横目に見て魔道師のガウシスは顔をわずかにひそめた。 残虐な事をことさら選んで嬉々として行う皇帝に底知れぬ恐ろしさと人間として何かが欠けているのでは、という危惧。 しかし賢明にもガウシスはちらともそれを顔には出さない。

「今宵はお疲れでございましょう、お休みください」

「まさか、馬に乗っていただけでわたしが疲れるわけなどないだろう」

 ガウシスにドリゲルトは不満気に言った。

「と、仰られますと?」

 ドリゲルトは逞しい肩を震わせて大きく笑う。 武王として知られた先王に負けず劣らずドリゲルトは戦争好きだった。 並みの男より頭二つは上背があり、首は細い女の腰ほどもあろうかというほど太い。 胸板も厚くドリゲルトの扱う剣は常人では持ち上げることさえ敵わない。 父親の戦闘好きの性格に父親ほどの狡猾こうかつな頭を持たない息子。つい、三年前に玉座についてから言いがかりのような理由をつけて近隣の国と戦っていたが、今はそれが全てうまく転がって国土の拡大に国は沸いている。 しかし、何時までもこんな国のあり方が通用するはずがない事をドリゲルトにはわかっていなかった。

 その横で愛想笑いを浮かべているのは暫く前に大陸の東にある魔道教の総本山、ベーオーク自治国から派遣された魔道師だった。 策士としてドリゲルトに仕えるガウシスの薦めを受けての今回の遠征である。

「今から今宵こよい、わたしの寝所にはべる女を見に行くぞ、おまえはどうする?」

 立ち上がった王に頭を垂れてガウシスは断りを入れる。

「わたしは女を抱けません。戒律がありますので」

「そうだったな」

 ドリゲルトは気にする風でもなくガウシスを見た。 ガウシスは頭を垂れたまま、密かに溜息をついた。 この不毛なやり取りを何回続ける気なのか。 戒律のことを何回言ってもこうやって嫌がらせのようにこの王は口にするのだ。

「では酒でも飲んでいろ」

 言い放つと大股で西側の虜囚を入れている部屋に向かう。 部屋の外にいた兵士が王に気付いて頭をさげるのを見もせず、扉を一気に押し開けた。

 しんと張り詰めた空気を切り裂くような悲鳴が上がる中、ドリゲルトは舌なめずりをしながらゆっくりと歩いて行く。 主人を庇おうとして目の前に飛び出した侍女の一人が手甲のついた手で振り払われて壁にぶつかり血を吐いて動かなくなった。 主人である若い女は顎を掴まれて持ち上げられた後、真横に放りなげられる。

 女たちの息を呑む音が聞こえるほど女たちは怯えきって歯の根が合わないくらい震え上がっていた。 その表情さえ楽しそうに見ながらドリゲルトは最奥へ向かう。

 ――とりあえず、手近な女にするか。

 そう考えたところに見えたすらりとした姿。

「おまえ顔を見せろ」

 しかし、その女はあろうことか微かに舌打ちをした。

「おい、おまえだ。今宵のとぎを命ずる。光栄に思え」

 ドリゲルトはその体躯に似合わず、素早く女に近寄るとあっと言う間に肩にかついで部屋を出て行く。 そして片手で殴るように扉を開けるとかついでいた女を寝台に投げ落とした。


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